第五十八回 魏相が医者を迎え、養叔が芸を献じる(三)

*今回は『東周列国志』第五十八回その三です。
 
楚共王が晋営に突然迫って陣を築きました。不意を突かれた晋軍が混乱すると思っています。しかし晋営は静かなままで動きがありません。そこで太宰・伯州犁に問いました「晋兵は営塁を堅く守って動こうとしない。子(汝)は晋人だ。内情が分かるであろう。」
伯州犁が言いました「王は車に登って眺めてください。」
楚王は車に登り、伯州犁を傍に立たせました。
楚王が問いました「晋兵が車を駆けさせており、左や右に行っているが何をしているのだ?」
伯州犁が答えました「軍吏を集めているのです。」
楚王が言いました「今度は中軍に集まった。」
伯州犁が言いました「集合して策を謀っているのです。」
楚王が問いました「突然、幕を張ったがなぜだ?」
伯州犁が言いました「先君に恭しく報告するためです。」
暫くして楚王が言いました「今また幕がとりのぞかれた。」
伯州犁が言いました「間もなく軍令が発せられます。」
楚王が言いました「軍中が騒がしくなり、砂塵が舞って収まらない。」
伯州犁が言いました「敵は列を成すことができないので、井を塞いで灶を平らにし、戦地としているのです。」
楚王が言いました「全ての車に馬が繋がれ、将士が車に乗った。」
伯州犁が言いました「間もなく陣を結びます。」
楚王が言いました「車に乗った者がまた降りた。」
伯州犁が言いました「間もなく戦いが始まるので、神に祈祷するのです。」
楚王が言いました「中軍の勢いが盛んなようだ。国君がいるのだろうか?」
伯州犁が言いました「欒氏と范氏の族が晋君を挟んで布陣しています。敵を軽視してはなりません。」
楚王は晋軍の状況を知ると軍中に警戒するように命じ、交戦の準備を進めました。
 
楚の降将・苗賁皇も晋侯の側に仕えており、こう言いました「楚は令尹・孫叔が死んでから軍政に常(常道。規則)がありません。両広の精兵は久しく入れ替えられておらず、老齢のため戦えない者も多数います。また、左右の二帥は和睦していません。この一戦で楚は必ず敗れます。」
 
この日は両軍とも営塁を堅く守って対峙するだけで戦いませんでした。
楚将・潘党が営塁の後ろで矢を試し、紅心(的の中心の赤い部分)を射ました。三矢が連続して命中します。諸将が喚声を上げて称賛しました。
ちょうどそこに養繇基(養由基)が来ました。諸将が「神箭手が来た」と言います。
それを聞いた潘党が怒って言いました「わしの箭(矢)が養叔に及ばないというのか?」
養繇基が言いました「汝は紅心に命中させるだけなので珍しくもない。私の箭は『百歩穿楊』ができる。」
諸将が「『百歩穿楊』とは何ですか?」と問うと、養繇基が言いました「以前、ある人が楊樹の葉一枚に色をつけて印とし、私が百歩離れた所からそれを射たら、ちょうど葉の中心を貫いた。だから『百歩穿楊』というのだ。」
諸将が言いました「ここにも楊樹があります。試しに射ることはできますか?」
養繇基が言いました「できないはずがなかろう。」
諸将は喜んで「今日、養叔の神箭を観ることができる」と言い、墨を持って楊枝の葉に印をつけました。
養繇基が百歩離れた所から矢を射ます。矢が落ちた様子はありません。
諸将が楊樹に近づいて確認すると、矢は楊の枝にかかっており、鏃が葉の中心を射抜いていました。
潘党が言いました「一箭なら偶然中ることもある。三枚の葉に順に印をつけて、汝が順にそれを射抜いたら、高手(達人)だと認めよう。」
養繇基が言いました「できるとは限らないが、試してみよう。」
潘党は高低不均一に楊樹の葉三枚を選び、「一」「二」「三」と書きました。
それを確認した養繇基は百歩さがり、三本の矢にも「一」「二」「三」と記号をつけます。
数字の順に射られた矢は寸分たがわず命中しました。
諸将は皆、拱手(両手を胸の前で合わせる礼。敬意を示します)して「養叔は真に神人だ」と称賛します。
潘党も心中秘かに養繇基の類まれな技能を称賛しましたが、自分の方が優れているというところを見せたいため、養繇基にこう言いました「養叔の射術は本当に巧みだ。しかし人を殺すには力で勝らなければならない。私が射た矢は数層の堅甲を貫くことができる。諸君のために試してみよう。」
諸将が「観てみたいものです」と言いました。
そこで潘党は隨行していた組甲の士(甲冑を着た兵)に甲冑を脱がせ、五層になるように畳ませました。
諸将が「充分です」と言いましたが、潘党は更に二層を重ねて七層にします。
諸将は「七層の甲は一尺近い厚さがある。どうして射抜くことができるだろう」と思いました。
潘党は七層の堅甲を射鵠(矢の的)の上に縛り付けさせると、また百歩離れた場所に立ち、狼牙箭(狼の牙のように鋭い矢)を持って黒彫弓(彫刻された黒い弓)を引きました。左手は泰山を支えるているよう(重い弓の弦を引く喩えです)、右手は嬰児を抱きかかえているようです。確実に狙いが定まり、ついに力を尽くして矢を放つと、ヒュッ(撲)と音が鳴りました。潘党は「中った(著了)!」と叫びます。
矢が飛んで行くのは見えましたが、落ちた様子はありません。諸将が確認に行くと、一斉に喝采して「素晴らしい腕前です(好箭,好箭)!」と称賛しました。
弓が強くて力が大きかったため、矢は七層の堅甲を貫き、釘が物に刺さるようにしっかり突き刺さっていました。矢を揺らしても抜けません。
潘党は得意になり、軍士に矢がついたままの状態で層甲(重ねた甲冑)を持ってくるように命じました。営内に誇示するためです。
すると養繇基が「まだ動かすな!私も一箭を試したいと思うが如何だ?」と言いました。
諸将は「養叔の神力も見たいものです」と答えます。
養繇基は弓を持って矢を射ようとしましたが、手を止めました。諸将が問いました「養叔はなぜ射ないのですか?」
養繇基が言いました「同じように札(甲片)を貫いても珍しくない。私には『矢を送り出す法(送箭之法)』がある。」
養繇基は改めて弓を構えると風のように速い矢を放ち、「よし(正好)!」と言いました。
養繇基の矢は上下左右寸分違わず潘党の矢に命中し、布鵠(布でできた矢の的)の向こう側に押し出しました。養繇基の矢は層甲の孔に刺さっています。
それを見た諸将は吐舌(舌を出すこと。驚きを表します)しました。潘党もやっと心服し、感嘆して言いました「養叔の妙手には及びません。」
 
史伝史書に養繇基の射術について書かれています。以前、楚王が荊山で狩りをしました。山上には通臂猿という腕が長い猿がおり、矢をつかまえることができました。
楚兵が数重に包囲してから王が左右の者に矢を射させましたが、全て猿に取られます。
そこで楚王は養繇基を招くことにしました。猿は養繇基の名を聞いて啼号(鳴き叫ぶこと)します。
養繇基が到着すると、一矢を射ただけで猿の心(胸。心臓)に刺さりました。
養繇基は春秋第一射手と称されており、その名に恥じない腕を見せました。
 
諸将が言いました「晋と楚が対峙しており、我が王はまさに人材を必要としている。二人の将軍にこのような神箭があるのなら、我が王に報告するべきだ。美玉を箪笥(たんす)に隠しておくべきではない(不可韞櫝而藏)。」
諸将は軍士に命じて矢が刺さった層甲を持ってこさせ、楚共王の面前まで運びました。養繇基と潘党も一緒に共王に会いに行きます。諸将が二人の射術について詳しく楚王に報告し、「我が国にこのような神箭がいれば晋に百万の兵がいたとしても恐れることはありません」と言いました。
ところが楚王は激怒してこう言いました「謀によって勝利を得ようというのに、一箭の僥倖(幸運)に頼ろうというのか!汝等がこのようなことを自慢しているのなら、後日、必ず芸によって命を落とすことになるだろう!」
共王は養繇基の矢を没収し、今後矢を射ることを禁止しました。養繇基は恥じ入って退出します。
 
 
 
*『東周列国志』第五十八回その四に続きます。