第七十六回 楚昭王が西奔し、伍子胥が屍を鞭打つ(四)

*今回は『東周列国志』第七十六回その四です。
 
闔閭が再び章華台に群臣を集め、大宴を開きました。楽工が音楽を奏で、群臣が楽しみ喜びます。
しかし伍員だけは痛哭を止めません。
闔閭が問いました「卿が楚に報いるという志は既にかなえられたではないか。なぜまだ悲しむのだ?」
伍員が涙を浮かべたまま言いました「平王は既に死に、楚王も逃走しました。臣の父と兄の仇はまだ万分の一も報いていません。」
闔閭が問いました「卿はどうしたいのだ?」
伍員が答えました「臣が平王の塚墓を掘り、棺を開いて斬首することをお許しください。そうすれば臣の恨みを晴らすことができます。」
闔閭は「卿の寡人に対する徳(恩)は多い。寡人は枯骨を愛して卿の私情を慰めないようなことはしない」と言って許しました。
 
伍員は平王の墓の場所を求めました。やがて、東門外地方室丙荘寥台湖(東門外の寥台湖ということはわかりますが、その間の「地方室丙荘」をどう区切るかわかりません)にあると知り、自分の兵を率いて墓に向かいます。
しかしその場所は枯れ草の平原と一面の湖水が広がっているだけで、墓がどこにあるのかわかりませんでした。四方に人を送って探しても影も形もありません。
伍員は胸を叩いて天を仰ぎ、「天よ!天よ!私に父兄の怨を報いさせないのですか!」と叫びました。
すると一人の老父が現れ、揖礼して問いました「将軍は平王の塚を探してどうするつもりですか?」
伍員が言いました「平王は子を棄てて媳(子の妻)を奪い、忠臣を殺して佞臣を信任し、我が宗族を滅ぼしました。私は彼が生きている間にその首に兵(武器)を加えることができませんでしたが、死んでからでもその屍を戮して(刑を加えて)、地下の父兄の仇に報いなければならないのです。」
老父が言いました「平王は怨みが多いことを知っており、人に墓を掘られることを恐れて湖中に埋葬させました。将軍が棺を得るには、湖水を涸れさせなければ見つかりません。」
老父は寥台に登って墓の場所を指さしました。
伍員は泳ぎが得意な士を湖に入れて探させました。すると台の東で石槨(石の棺)を発見します。そこで軍士にそれぞれ沙が入った囊(袋)を背負わせ、墓の周りに積んで水を塞がせました。
石槨を穿って開くと、中から重い棺が出てきました。しかしそれを開けても衣冠や精鉄数百斤が入っているだけです。
老叟(老父)が言いました「これは疑棺(偽の棺)です。真棺はまだその下にあります。」
更に石板を除くと下にもう一つの棺がありました。伍員は棺を壊して死体を引きずり出させます。死体を確認すると果たして楚平王でした。水銀を使って棺に入れてあった(原文「水銀殮過」。恐らく水銀を死体の表面に塗ってあった)ため、皮膚も肉も変化していません。
死体を一目見た伍員は怨気が天を衝き、手で九節の銅鞭を持って三百回鞭打ちました。肉がただれて骨が折れます。伍員は更に左足で腹を踏み、右手で目をえぐり取り、譴責して言いました「汝は生きている間、無駄に目珠(眼球)をつけて忠佞を見分けることができず、讒言を信じてわしの父と兄を殺した!冤罪ではないか!」
その後、平王の首を斬り、衣衾(服と布団)棺木を破壊し、骸骨と一緒に原野に棄てました。
 
伍員が平王の死体を鞭打ってから老叟に問いました「子(あなた)はなぜ平王が葬られた場所とその棺木の詐(偽り)を知っていたのですか?」
老叟が言いました「他でもありません。私は石工です。昔、平王は我々石工五十余人に疑塚(偽の墓)を造らせました。しかし私達が秘密を漏らすことを恐れ、塚が完成してから諸工を塚の中で皆殺しにしたのです。老漢だけは秘かに逃げて難を免れました。今日、将軍の誠切(真剣)な孝心に感動したので、敢えて教えに来ました。また、五十余の冤鬼に代わって少しでも恨を晴らすためでもあります。」
伍員は金帛を与えて老叟の恩に厚く応えてから去りました。
 
 
楚昭王は舟に乗って西の沮水を渡り、方向を変えて南の大江(長江)を渡りました。雲中に入ります。
そこには数百人の草寇(盗賊)がおり、夜の間に昭王の舟を襲いました。戈で昭王を撃ちます。傍にいた王孫繇于が背を向けて王を庇い、大喝して言いました「ここにいるのは楚王だ!汝等は何を欲しているのだ?」
言い終わる前に戈が肩に中りました。血が踵まで流れて昏倒します。
寇賊が言いました「我々は財帛があることを知っているだけだ。王がいることなど知らぬ!そもそも令尹や大臣も賄賂を貪っているではないか!小民ならなおさらだろう!」
賊は舟中を探して金帛宝貨を集めました。
箴尹固が急いで昭王を抱きかかえ、岸に登りました。昭王が叫びました「誰が私のために愛妹を守っているのだ!怪我をさせてはならない!」
下大夫鍾建が季羋を背負って王に続きました。岸の上で振り向くと群盗が火を放って舟を焼いています。
一行は夜の間に数里逃走しました。
 
翌朝、子期と宋木、鬥辛、鬥巣が続々と後を追って集まりました。
鬥辛が言いました「臣の家は鄖にあり、ここから四十里も離れていません。王はとりあえず我慢して臣の家まで足を運び、それから計を考えてください。」
暫くして王孫繇于も合流しました。
昭王が驚いて問いました「子は重傷を負ったのになぜ免れたのだ?」
王孫繇于が言いました「臣は負傷して立ち上がれなくなり、火が臣の身に及びました。その時、誰かが臣を岸に推すような感覚がありました。昏迷の中で彼がこう言いました『わしは楚の元令尹孫叔敖である。我が王に伝えよ。呉師は間もなく自ら退く。社稷は緜遠(長く続くこと)である。』彼が臣の肩に薬を塗ったので、目が覚めた時には血が止まり、痛みも治まっていました。だからここまで来れたのです。」
昭王が言いました「孫叔は雲中で生まれた。その霊は消滅していないのだ。」
昭王と王孫繇于は互いに長い間嘆息しました。
 
鬥巣が乾糒(乾飯)を出して共に食べました。箴尹固が匏瓢(ひょうたんの酒器)を解いて水を汲み、昭王に進めます。
昭王は鬥辛に命じて成臼の津で舟を探させました。鬥辛は東から一艘の舟が来るのを見つけます。よく見ると大夫の藍尹亹で、妻と子供を載せていました。
鬥辛が大声で言いました「王がここにおられる!載せてくれ!」
しかし藍尹亹はこう言いました「亡国の君をなぜ私が載せなければならないのだ!」
藍尹亹は通り過ぎて振り向こうともしません。
鬥辛は長い間待ってやっと漁舟を見つけました。衣を解いて漁父に授けたため、やっと舟を岸につけることに同意します。
昭王は季羋と共に川を渡って鄖邑に至りました。
 
鬥辛の仲弟鬥懐は王が来たと聞いて出迎えました。鬥辛が食事の準備をさせ、鬥懐が運びます。この時、鬥懐が頻繁に昭王を見つめたため、疑いをもった鬥辛が季弟(末弟)の鬥巣と一緒に王に侍って寝ました。
夜半、刀を研ぐ音が聞こえてきました。鬥辛が門を開けてみると鬥懐がいます。手に霜刃(鋭利な刃物)を持ち、怒気を盛んに放っていました。
鬥辛が問いました「弟が刃を研いでいるのは何のためだ?」
鬥懐が言いました「王を殺すためです。」
鬥辛が問いました「汝にはなぜそのような逆心がうまれたのだ?」
鬥懐が言いました「昔、私達の父は平王に忠を尽くしたのに、平王は費無極の讒言を聞いて父を殺しました。平王が私達の父を殺したのですから、私が平王の子を殺して仇に報いても問題はないでしょう。」
鬥辛が怒って言いました「国君とは天と同じだ。天が人に禍を降したら、人は天を仇とするのか?」
鬥懐が言いました「王が国にいたら国君ですが、今は国を失ったので仇です。仇に会いながら殺さなかったら人ではありません。」
鬥辛が言いました「古では、怨は嗣(跡継ぎ。子)に及ばなかった(父に対する怨みを子に対して報いることはなかった)。しかも王は前人の過失を悔いて我々兄弟を登用した。今、危難に乗じて弑殺したら、天理が許容しないだろう。汝にその意志があるのなら、私が先に汝を斬る!」
鬥懐は刀を脇の下に挟んで門を出ていきました。怨恨は収まっていません。
戸の外で叱喝する声が聞こえたため、昭王は衣をはおって様子を窺っていました。兄弟のやり取りを全て聞いたため、鄖に留まるのをあきらめます。鬥辛と鬥巣が子期と商議し、王を奉じて北の隨国に奔ることにしました。
 
子西は魯洑江を守っていましたが、郢都が既に陥落し、昭王が出奔したと聞いて、国人が離散することを恐れました。そこで王服を着て王輿に乗り、自ら楚王を称して脾洩に国を建てました。人心を安定させるためです。呉の乱から逃げて来た百姓が子西を頼って住み始めました。
やがて王が隨にいると聞き、百姓を諭して王の居場所を教えてから隨に向かいました。子西も昭王に従います。
 
 
伍員は楚昭王を得られなかったことを恨み、闔閭に言いました「楚王を得なければ楚を滅ぼしたことにはなりません。臣が一軍を率いて西に渡り、昏君を追撃して捕えることを許可してください。」
闔閭は同意しました。
伍員は追撃しながら楚王の居場所を探り、隨にいると聞いて隨国に向かいました。隨君に書を届けて楚王の引き渡しを要求します。
 
果たして、楚王はどう免れるのか、続きは次回です。

第七十七回 申包胥が兵を借り、楚昭王が国に還る(一)