第八十回 夫差が越を赦し、勾践が呉に仕える(三)

*今回は『東周列国志』第八十回その三です。
 
伯嚭が句践を連れて呉王の寝室に入りました。夫差が無理に目を開いて「句践も孤に会いに来たか?」と問います。
句践が叩首して言いました「囚臣は龍体が失調したと聞いて肝肺を打たれたように悲しみ、顔色を一望したいと思っていましたが、謁見の機会がありませんでした。」
句践が言い終わる前に夫差は腹部が膨張するのを感じ、排便を欲しました。句践等に外出を命じます。
すると句践が言いました「臣は東海にいた頃、医師に仕えたことがあります。人の泄便を観れば疾の瘥劇(病の状態)を知ることができます。」
句践は戸の下に拱立(恭しく立つこと)しました。
侍人が余桶(便桶)を持って寝床の傍に行き、夫差を抱えて排便を手伝います。
終ってから戸の外に桶を出すと、句践が桶の蓋を開け、手で糞を取り、跪いて舐めました。
左右の者は皆鼻を覆います。
句践が再び寝室に入り、叩首して言いました「囚臣が大王に再拝敬賀いたします。王の疾は己巳の日に至って改善し、三月壬申には全愈します。」
夫差が「なぜそれが分かるのだ?」と問うと、句践が言いました「臣が医師から聞いた話では、『糞とは穀味であり、順の時には気が生じるが、逆の時には気が死ぬ』とのことでした。今、囚臣が大王の糞を味見したところ、苦くて酸っぱい味は正に春夏に発生する気に応じていました。だから知ることができたのです。」
夫差が喜んで言いました「句践は仁者である(仁哉句践也)!臣子が君父に仕える時、敢えて糞を舐めて病を判断できる者が他にいるか。」
太宰嚭も傍にいたため、夫差が「汝にはできるか?」と問いました。
伯嚭は首を横に振って言いました「臣は大王をとても愛していますが、このような事はできません。」
夫差が言いました「太宰だけでなく、我が太子にもできないことだ。」
夫差はすぐに句践を石室から離れさせ、泊まる場所を手配してこう言いました「孤の疾が治ったら、すぐ伊()を国に還らせよう。」
句践は再拝して恩を謝し、退出しました。
この後、句践は民舍を借りて住むことになりました。牧養の事は今まで通りです。
 
夫差の病が徐々に良くなりました。句践が言った通りです。
夫差は心中で句践の忠心を想い、朝廷に出られるようになると、文台で酒宴を設けて句践を招きました。
句践は招かれた理由を知らないふりをして、以前の囚服のまま文台に行きます。
それを聞いた夫差は句践に沐浴を命じ、衣冠を改めさせました。句践は再三辞退してからやっと命に従います。
句践が服を換えて入謁し、再拝稽首すると、夫差が慌てて抱き起してこう宣言しました「越王は仁徳の人である。久しく辱めるわけにはいかない。寡人はその囚役を解き、罪を免じて還らせることにする。今日は越王のために北面の坐を設けた。群臣は客礼をもって仕えよ(恐らく群臣が北面するという意味で、句践は夫差と並んで座り、南を向いています)。」
夫差は句践に揖讓して客坐に就かせました。諸大夫がその傍に並んで坐ります。
伍子胥は呉王が仇を忘れて敵をもてなすのを見て心中不快になり、席に着かず袖を払って出ていきました。
伯嚭が進み出て言いました「大王は仁者の心によって仁者の過ちを赦しました。『同じ声は互いに和し、同じ気は互いに求める(同声相和,同気相求)』といいます。今日の席は仁者が留まるべきであり、不仁の者は去って当然です。相国は剛勇の夫ですが、座らないということは、自分を慚愧しているのでしょう。」
夫差は笑って「太宰の言の通りだ」と言いました。
酒が三巡してから、范蠡と越王が立ちあがって呉王に酒を勧め、寿を祝いました。その祝辞はこうです「皇王(上天。天王。ここでは呉王)が上におり、陽春のように恩を播く。その仁に匹敵する者はなく、その徳は日々新しくなる。なんと素晴らしいことだろう。徳を伝えて限りがない。寿を万歳まで延ばし、長く呉国を保つ。四海が全て徳を受け、諸侯が賓服する。觴酒(一杯の酒)が昇って(献じられて)、永く万福を受ける(皇王在上,恩播陽春。其仁莫比,其徳日新。於乎休哉,伝徳無極。延寿万歳,長保呉国。四海咸承,諸侯賓服。觴酒既升,永受万福)。」
呉王は大喜びし、この日は酔いが回るまで宴を続けました。
その後、夫差は王孫雄に命じて句践を客館に送らせ「三日以内に孤が汝を送って帰国させよう」と約束しました。
 
翌朝、伍子胥が呉王に会って言いました「昨日、大王は客礼で仇人をもてなしましたが、それはなぜですか。句践は内に虎狼の心を抱きながら、外は温恭の貌で飾っています。大王は須臾(暫時)の諛を愛して後日の患を考慮していません。忠直を棄てて讒言を聞き、小仁に溺れて大仇を養ったら、毛髪を爐炭の上に置いて焦げないことを願い、卵を千鈞(大石)の下に投じて完全な形を望むのと同じことになります。どうしてかなうのでしょうか。」
呉王が不快な顔をして言いました「寡人は三カ月にわたって臥疾したが、相国は一度も好言によって慰めることがなかった。これは相国の不忠だ。一度も好物を贈ることがなかった。これは相国の不仁だ。人の臣でありながら不仁不忠なのに、どうして用いる必要があるのだ。越王は自分の国家を棄てて千里も離れた寡人に帰順し、貨財を献じて身を奴婢に落とした。これは忠だ。寡人に疾があれば自ら糞も舐め、全く怨恨の心をもたなかった。これは仁だ。寡人が相国の私意を汲んでこのような善士を誅殺したら、皇天が寡人を助けなくなるだろう。」
伍子胥が言いました「王はなぜ逆の事を言うのですか。虎が姿勢を低くしたら必ず攻撃します(虎卑其勢,将有撃也)。狐狸が身を縮めたら必ず人から物を取ります(狸縮其身,将有取也)。越王が臣として呉に入ってから、心に怨恨を秘めていることを、大王に分かるはずがありません(王は越王を理解できていません)。彼は下で大王の糞を舐めましたが、実際は上で大王の心を食べたのです。王がもしこれを察しないようなら、呉は奸謀に陥って必ず擒(捕虜。敗戦国)になってしまいます。」
しかし呉王はこう言いました「相国はそれ以上いうな。寡人の意は既に決した。」
伍子胥は諫言しても無駄だと知り、鬱鬱として退出しました。
 
三日目、呉王が再び蛇門の外で酒宴を開き、自ら越王を送って城を出ました。群臣も皆、觴(杯)を持って餞別します。伍子胥だけは現れません。
夫差が句践に言いました「寡人は君を赦して帰国させる。君は呉の恩を念じ、呉の怨を忘れよ。」
句践が稽首して言いました「大王が臣の孤窮を哀れんだので、臣は生きて故国に帰ることになりました。生生世世(今世と来世。代々)、力を尽くして恩に報います。蒼天が上にあり、臣心の鑒(鏡)となります(天が臣の心を映し出します。臣の心を証明します)。もし呉を裏切ったら、皇天の佑助を失うことになるでしょう。」
夫差が言いました「君子は一言を定めとするものだ(約束は守るものだ。原文「一言為定」)。君が国に帰ってからは、勉めて努力せよ(勉之,勉之)。」
句践は再拝跪伏し、顔中に涙を流して別れを惜しむ姿を見せました。
夫差が自ら句践を抱えて車に乗せました。范蠡が御者になります。夫人も再拝して恩を謝し、輦に乗って共に南に去っていきました。
周敬王二十九年の事です。
 
浙江沿岸まで帰った句践は江を隔てて越の地を眺めました。山川はどこまでも秀美で、天地はどこまでも清んでいます。
句践が嘆息して言いました「孤は万民に永遠の別れを告げ、骨を異域に委ねると思っていた。再び帰国して祭祀を奉じられると思ったことがあっただろうか。」
言い終わると夫人と向き合って泣きました。左右の者も皆、感動して涙を流します。
 
越王帰還の情報を聞いた文種が、国を守っていた群臣を率いて迎えに来ました。城中の百姓も浙水で拝迎し、歓声が地を震えさせます。
句践は范蠡に国に入る日を卜わせました。范蠡が指を折って言いました「奇遇なことです(異哉)。王の択日(選んだ日。吉日)は、明日以上に吉となる日はありません。王は速やかに駆けて卜に応じるべきです。」
句践は馬を鞭打ち輿を走らせ、夜を駆けて越都に帰りました。
宗廟に帰国を報告して朝廷に臨みます。
 
 
 
*『東周列国志』第八十回その四に続きます。