2016-08-01から1日間の記事一覧

戦国時代 荊軻(二)

荊軻の故事を紹介しています。 戦国時代 荊軻(一) 久しく時が過ぎましたが、荊軻は動こうとしません。 その間に秦将・王翦が趙を破り、趙王を虜にしてその地を全て併合しました。秦は更に兵を北に進めて燕の南界に至ります。 恐れた太子・丹が荊軻に言いまし…

戦国時代 荊軻(一)

秦王政二十年(前227年)、荊軻が秦王・政(始皇帝)の暗殺を謀りました。 戦国時代125 秦王政(十一) 荊軻 前228~227年 本編は『資治通鑑』を元にしました。ここでは『史記・刺客列伝(巻八十六)』の内容を簡単に紹介します。 荊軻は衛人ですが、先祖は斉…

戦国時代125 秦王政(十一) 荊軻 前228~227年

今回は秦王政十九年と二十年です。 秦王政十九年 前228年 癸酉 [一] 前年、趙は自らの手で趙最後の名将・李牧を殺してしまいました。秦の侵攻を防げる者がいなくなります。 秦の王翦が趙軍を攻めて大勝し、趙葱を殺しました。顔聚は逃亡します。 秦軍は邯鄲…

第八十回 夫差が越を赦し、勾践が呉に仕える(四)

*今回は『東周列国志』第八十回その四です。 句践は心中で会稽の恥を念じていたため、会稽に築城して都を遷し、戒めにしようとしました。そこで范蠡に新都建設を委ねます。 范蠡は天文地理を観察し、新城を設計しました。会稽山を中に包み、天門(天界に通…

第八十回 夫差が越を赦し、勾践が呉に仕える(三)

*今回は『東周列国志』第八十回その三です。 伯嚭が句践を連れて呉王の寝室に入りました。夫差が無理に目を開いて「句践も孤に会いに来たか?」と問います。 句践が叩首して言いました「囚臣は龍体が失調したと聞いて肝肺を打たれたように悲しみ、顔色を一…

第八十回 夫差が越を赦し、勾践が呉に仕える(二)

*今回は『東周列国志』第八十回その二です。 伯嚭が軍を率いて越王を護送しました。呉の都城に入り、呉王に謁見します。 句践は肉袒(上半身を裸にすること。降伏の姿です)して階下で伏し、夫人がそれに従いました。 范蠡が宝物・女子の単(明細)を開いて…

第八十回 夫差が越を赦し、勾践が呉に仕える(一)

第八十回 夫差が諫に違えて越を赦し、勾践が力を尽くして呉に仕える (夫差違諫釈越 勾践竭力事呉) *今回は『東周列国志』第八十回その一です。 越の大夫・文種は呉王・夫差が講和に同意したことを越王に報告し、こう言いました「呉王は既に班師(撤兵)し…

第七十九回 女楽を帰して孔子を拒み、会稽に棲んで宰嚭に通じる(四)

*今回は『東周列国志』第七十九回その四です。 戦いが始まると、呉兵が少し退いたため、越軍は約百十人(百人前後)を殺傷しました。句践は利に乗じて直進します。しかし数里進んだ所で夫差の大軍に遭遇しました。 双方が陣を構えて大戦します(ここからは…

第七十九回 女楽を帰して孔子を拒み、会稽に棲んで宰嚭に通じる(三)

*今回は『東周列国志』第七十九回その三です。 翌日、句践が秘密裏に軍令を伝えました。軍中で死罪を犯した者三百人が集められ、三列に分けられます。三百人は袒衣(上半身を脱ぐこと)して剣を首にかけ、ゆっくり呉軍に向かって歩きました。 先頭の者が呉…

第七十九回 女楽を帰して孔子を拒み、会稽に棲んで宰嚭に通じる(二)

*今回は『東周列国志』第七十九回その二です。 後日、孔子と弟子が大樹の下で礼について学んでいました。 宋の司馬・桓魋は男色によって景公の寵愛を得て信任され、政治を行うようになっていました。孔子の到来を嫌い、人を送って樹を伐るように命じます。…

第七十九回 女楽を帰して孔子を拒み、会稽に棲んで宰嚭に通じる(一)

第七十九回 女楽を帰して黎彌が孔子を拒み、会稽に棲んで文種が宰嚭に通じる (帰女楽黎彌阻孔子 棲会稽文種通宰嚭) *今回は『東周列国志』第七十九回その一です。 斉侯が夾谷の会から帰って間もなくして、晏嬰が病で死にました。景公は数日にわたって哀泣…