第九十三回 趙主父が沙邱で餓死し、孟嘗君が函谷関を通る(後編)

*今回は『東周列国志』第九十三回後編です。
 
平原君が美人を斬って躄者に謝罪した出来事は、秦昭襄王の耳にも入りました。
ある日、秦王が向寿に平原君の賢を話して感嘆しました。すると向寿が言いました「斉の孟嘗君には遥かに及びません。」
秦王が問いました「孟嘗君とはどのような人物だ?」
向寿が言いました「孟嘗君はその父田嬰が存命だった頃から家政を主持し、賓客の対応をしてきました。その結果、賓客が雲のように帰順し、諸侯が孟嘗君を敬慕して、田嬰に孟嘗君を世子(跡継ぎ)にするように求めました。田嬰の後を継いで薛公になってからは、賓客がますます盛んになりましたが、自分と同じ衣食を与えて供給の費用が増えたため、ついに破産してしまいました。斉から来た士は孟嘗君が自分と親しく接していたことを語り、全く間言(文句)がありません。平原は美人が躄者を笑ったのに赦して誅殺せず、賓客の離心があってからやっと首を斬って謝罪しました。これでは晩すぎます。」
秦王が言いました「寡人は一度でも孟嘗君に会って事を共にしたいが、どうすればいい。」
向寿が言いました「王が孟嘗君に会いたいのなら、なぜ招かないのですか?」
秦王が言いました「彼は斉の相国だ。招いても来るはずがない。」
向寿が言いました「王が親子弟(実の子弟)を質として斉に送り、孟嘗君を招けば、斉は秦を信じ、孟嘗君を送らないわけにはいかなくなります。王が孟嘗君を得て相に任命すれば、斉も必ず王の親子弟を相にするでしょう。秦と斉が互いに相を立てれば交わりが固められます。その後、共に諸侯を謀れば、困難はありません。」
秦王は「善し」と言って涇陽君悝を斉に送る人質にし、斉にこう伝えました「(涇陽君の)代わりに孟嘗君を秦に送り、飢渴の想いを慰めるために寡人に一目会わせていただきたい。」
 
孟嘗君の賓客は孟嘗君が秦に招かれたと聞いて応じるように勧めました。
この時、蘇代が燕の使者として斉にいました。蘇代が孟嘗君に言いました「今回、代(私)は外から来ました。その途中で土偶(土の人形)と木偶人(木の人形)が話しているのを見ました。木偶人が土偶人に言いました『天が雨を降らせた。子(あなた)は壊れてしまうぞ。どうする?』土偶人が笑って言いました『私は土から生まれたので、壊れても土に帰るだけです。しかし子が雨に遭ったら漂流してしまうので、私にはあなたの底(基礎。ここでは家、居場所の意味)が分からなくなってしまいます。』秦は虎狼の国なので、楚懐王も帰れなくなりました。あなたならなおさらでしょう。もしあなたを斉に留めなかったら、臣にはあなたがどうなるのか予想もできません(原文「若留君不遣,臣不知君之所終矣」。そのまま訳すと「もしあなたを留めて派遣しなかったら、臣にはあなたの終わりがわからなくなります」ですが、前の部分は「留めなかったら」の誤りだと思われます。『戦国策斉策三』では「君入之(あなたが秦に入ったら)」と書かれています)。」
孟嘗君は秦の招きを辞退しようとしました。
しかし匡章が湣王にこう言いました「秦が質を送って孟嘗君に会おうとしているのは斉と親しむためです。孟嘗君が行かなかったら秦懽(秦の歓心)を失ってしまいます。また、たとえ孟嘗君を送ったとしても、秦の質を留めたら秦を信用していないことになります。王は礼を用いて涇陽君を秦に帰らせ、孟嘗君に秦を聘問させて秦の礼に答えるべきです。そうすれば秦王は必ず孟嘗君を信任し、斉を厚く遇するでしょう。」
湣王は納得して涇陽君にこう言いました「寡人はすぐ相国文を派遣して上国を聘問させ、秦王に挨拶させよう。敢えて貴人を質とする必要はない。」
すぐに車が準備され、涇陽君は秦に送り返されました。あわせて孟嘗君が秦に派遣されます。
 
孟嘗君は賓客千余人と一緒に車騎百余乗を連ねて西の咸陽に入り、秦王に謁見しました。
秦王は階段を降りて迎え入れ、手を握って歓びを表し、かねてから敬慕していたことを伝えました。
孟嘗君には白狐裘がありました。毛の深さは二寸もあり、雪のように白く、千金の価値がある天下無双の宝です。孟嘗君はこれを私礼(個人的な礼物)として秦王に献上しました。
秦王はこの裘を着て入宮し、寵愛していた燕姫の前で誇らしげに見せびらかしました。
燕姫が言いました「このような裘はよくあります。何がそれほど貴重なのですか?」
秦王が言いました「狐は数千歳にならなければ白くならない。この白裘は全て狐の腋下一面から取れた毛皮をつなぎ合わせて作られている。純白の皮だから貴重であり、まさに値もつけられない珍宝だ。斉は山東の大国だからこのような珍服があるのだ。」
この時はまだ暖かかったため、秦王は裘を脱いで主藏吏(藏を守る官吏)に渡し、必要な時が来るまでしっかりしまっておくように命じました。
 
秦王は吉日を選んで孟嘗君を丞相に立てることにしました。
それを知った樗里疾は孟嘗君に嫉妬し、相権が奪われることを恐れました。そこで客の公孫奭を送って秦王にこう言わせました「田文は斉族です。今回、秦の相になっても、必ず斉を優先して秦を後にまわします。孟嘗君の賢才があれば、籌事(策謀)が失敗することはありません。しかも大勢の賓客がいます。もし秦の権勢を借りて陰で斉のために謀ったら、秦の危機となるでしょう。」
秦王はこの言葉について樗里疾に意見を求めました。
樗里疾が言いました「奭の言う通りです。」
秦王が問いました「それでは送り返すべきか?」
樗里疾が言いました「孟嘗君は秦に住んで一月余になり、賓客千人も秦の鉅細(大小)の事を把握しています。もし斉に送り返したら、最後は秦にとって害になるでしょう。殺すべきです。」
秦王はこの言に惑わされ、孟嘗君を館舍に幽閉させました。
 
涇陽君は斉にいた時、孟嘗君に厚く遇されていました。毎日、飲食を共にし、斉を離れる時にも数件の宝器を贈られたため、孟嘗君をとても感謝しています。
秦王の謀を知った涇陽君は秘かに孟嘗君を訪ねて話しました。
孟嘗君が恐れて計を問うと、涇陽君はこう言いました「王の計はまだ決まっていません。宮中に燕姫という者がおり、最も王の心を得ています。王が燕姫の言に従わないことはありません。あなたに重器があるようなら、私が燕姫に献上して一言を求め、あなたを国に帰らせましょう。こうすれば禍から免れられます。」
孟嘗君は白璧二双を涇陽君に託し、燕姫に献上して援けを請いました。
燕姫が言いました「妾(私)は白狐裘をとても愛しています。山東の大国にあると聞きました。もしこの裘があるのなら、一言を惜しむことはありません。璧を欲しいとは思いません。」
涇陽君が帰って孟嘗君に伝えました。
孟嘗君が言いました「私には一着の裘しかなく、既に秦王に献上してしまった。どうして再び手に入れることができるだろう。」
そこで全ての賓客に問いました「白狐裘を取り戻せる者はいないか?」
衆人は手を束ねて黙ってしまいます。
しかし最も下に座っていた一人の客が名乗り出て「臣ならできます」と言いました。
孟嘗君が問いました「子にはどのような計があって裘を得るのだ?」
客が言いました「臣は狗盗(犬の真似をして盗みをはたらくこと)ができます。」
孟嘗君は笑って客を送りました。
夜、客は犬の姿をして竇(孔。犬が通る孔)から秦宮の庫藏に侵入しました。犬を真似て鳴き声をあげます。主藏吏は守狗(番犬)だと思って疑いません。
客は官吏が眠りに就くのを待ち、官吏の身辺に隠していた鑰匙(鍵)を奪って櫃(箱)を開きました。こうして白狐裘を盗み取り、倉を出て孟嘗君に献上します。
孟嘗君は再び涇陽君を通して燕姫に届けました。大喜びした燕姫は夜になって王と酒食を楽しんでいる機会にこう言いました「妾(私)は斉の孟嘗君が天下の大賢だと聞きました。孟嘗君は斉相を勤めており、秦に来たいとは思っていませんでしたが、秦が招いたのでここに来ました。用いないのならそれまでです。なぜ誅を加えようとするのでしょう。人の国の相を招いておいて理由もないのに誅殺したら、賢人を殺戮した汚名を被ることになります。妾は天下の賢士が足を止めて秦を避けることになるのではないかと心配しています。」
秦王は「その通りだ(善)」と応えました。
 
翌日、秦王が殿に登って車馬の準備をさせ、駅券(通行証)を発行しました。孟嘗君を釈放して斉に還らせます。
孟嘗君が言いました「私は僥倖(幸運)によって燕姫の一言で虎口を脱することができた。しかし万一秦王が後悔したら、私の命が尽きてしまう。」
客の中に券(証書)を偽造する特技がある者がいました。孟嘗君のために券に書かれた姓名を書き変えます。
孟嘗君一行は昼夜を駆けて逃走しました。
 
函谷関に着いた時は夜の半ばで、関門には鍵がかけられていました。
孟嘗君は追手を恐れてすぐに関を出たいと思いましたが、関の開閉には決まりがあり、人定(人がいなくなって静かになること)になったら閉じて鶏が鳴いたら開くことになっています。
孟嘗君と賓客は関内に集まって緊張した時を過ごしました。
すると突然、客の中から鶏の鳴き声が聞こえました。孟嘗君が不思議に思ってその方向を見ると、一人の客に鶏の声を真似るという特技がありました。
客の声に応じて周りの鶏も次々に鳴き始めます。関吏は空が明けたと思い、起きて駅券の確認を始めました。関が開かれて孟嘗君一行が通過します。
 
孟嘗君は再び昼夜兼行して斉に向かいました。
途中で二人の客に言いました「私が虎口から脱することができたのは、狗盗鶏鳴のおかげだ。」
他の賓客達は自分に功績がないことを恥じ入り、この後、下位に座る客を侮らなくなりました。
 
 
その頃、秦国では樗里疾が孟嘗君の釈放を知り、走って入朝しました。
樗里疾が昭襄王に言いました「王は田文を殺さないとしても、留めて質とするべきです。なぜ還したのですか?」
秦王は後悔して人を派遣しました。急いで孟嘗君を追わせます。しかし函谷関に至って関を出た客籍を確認しても斉使田文の姓名はありません。
使者が言いました「間道を通っているから、まだここまで来ていないのか?」
使者は半日待ちましたが、全く動静がありません。
そこで孟嘗君の容貌や賓客、車馬の数を関吏に話しました。
関吏が言いました「それなら、今朝、関を出た者に違いありません。」
使者が問いました「まだ追いつけるか?」
関吏が言いました「彼等は飛ぶように駆けて行きました。今はもう百里のかなたに至っているでしょう。追いつけません。」
使者はやむなく帰って秦王に報告しました。
秦王が嘆息して言いました「孟嘗君には鬼神も測り知れない機(機転。計策)がある。本当に天下の賢士だった。」
後に秦王が狐白裘を着ようとしましたが、主藏吏は狐白裘を見つけられませんでした。秦王が燕姫に会うと狐白裘を着ています。どうやって手に入れたのかを聞いてやっと孟嘗君の客に盗まれたと知り、再び嘆息してこう言いました「孟嘗君の門下は通都(四方に道が通じた大都市)の市のようだ。そこに無い物は存在しない。我が秦国にかなう者はいない。」
秦王は裘を燕姫に与え、主藏吏の罪を問いませんでした。
 
孟嘗君は帰国してどうなるのか、続きは次回です。

第九十四回 馮驩が孟嘗の客となり、斉王が桀宋を伐つ(一)