2015-02-14から1日間の記事一覧
今回で東周襄王二年が終わります。 [八] 当時、周王室はますます衰え、斉・楚・秦・晋が強大になっていましたが、晋は献公の死によって混乱し、秦穆公は辺境にいたため中国(中原)の会盟に参加せず、楚成王は荊蛮の地に勢力を拡大して夷狄としての立場を自…
今回も東周襄王二年の続きです。 [五(続き)] 呂甥が大夫達に言いました「国君が既に死んだが、勝手に新君を立てることはできない。久しく国君がいなければ、諸侯の謀略を招くであろうが、国外の公子を迎え入れても民心が統一しなければ乱を大きくしてしま…
今回は東周襄王二年の続きです。 [五] 九月甲子(晋が使っていた夏暦の九月甲子。周暦では十一月初十日)、晋献公が在位二十六年で死にました。太子・奚斉(驪姫の子)が即位することになります。 しかし晋の里克と丕鄭は公子・重耳を晋に入れようとし、三公…
今回は東周襄王二年です。四回に分けます。 襄王二年 前651年 庚午 [一] 春三月丁丑(十九日)、宋桓公が在位三十一年で死にました。太子・茲父(または「茲甫」)が即位します。これを襄公といいます。 『史記・宋微子世家』によると、襄公は庶兄の目夷を相…