2016-05-11から1日間の記事一覧

戦国時代42 東周顕王(十) 馬陵の戦い 前341年(1)

今回は東周顕王二十八年です。二回に分けます。 顕王二十八年 前341年 庚辰 [一] 魏の龐涓が韓(または「趙」。後述します)を攻撃しました。韓は斉に救援を求めます。 斉威王が大臣を集めて問いました「速く援けに行くべきか、ゆっくり援けに行くべきか?」…

第三十七回 介子推が綿上で焚死し、太叔帯が宮中に入る(四)

*今回は『東周列国志』第三十七回その四です。 王の横に座っていた隗后は、甘公・帯の非凡な才貌と卓越した射術を見て、称賛を止めませんでした。隗后が襄王に問い、彼が金枝玉葉(王族)だと知ると、心底から愛慕の情を抱きます。 隗后が言いました「天色は…

第三十七回 介子推が綿上で焚死し、太叔帯が宮中に入る(三)

*今回は『東周列国志』第三十七回その三です。 当時、鄭文公は楚に臣服しており、中国(中原)との交通を絶っていました。強大な楚に頼って弱国を虐げています。 滑伯が衛に仕えて鄭の指示を聞かなくなったため、鄭文公は兵を興して討伐しました。 滑伯が恐…

第三十七回 介子推が綿上で焚死し、太叔帯が宮中に入る(二)

*今回は『東周列国志』第三十七回その二です。 晋文公が復国の論功行賞を行うために群臣を集めました。賞は三等に分けられます。亡命に従った者が首功、文公の帰国を助けた者が二等、文公を迎え入れて帰順した者が三等です。この三等の中でもそれぞれ功労の…

第三十七回 介子推が綿上で焚死し、太叔帯が宮中に入る(一)

第三十七回 介子推が志を守って綿上で焚死し、太叔帯が寵に頼って宮中に入る (介子推守志焚綿上 太叔帯怙寵入宮中) *今回は『東周列国志』第三十七回その一です。 晋文公は王城で呂省と郤芮を誅殺してから、秦穆公に再拝して感謝の意を示しました。 この時…