2016-05-21から1日間の記事一覧
今回は東周顕王三十七年から四十一年までです。 顕王三十七年 前332年 己丑 [一] 秦恵王が犀首を派遣して斉と魏を脅し、共に趙を攻撃させました。 早くも蘇秦の従約(合従の盟約)が破られます。 趙粛侯が蘇秦を譴責しました。恐れた蘇秦は裏切った斉に報復…
*今回は『東周列国志』第四十六回後編です。 鬥越椒は令尹の位を狙っていたため、穆王にこう言いました「子揚(鬥般。子文の子)はいつもこう言っています『我々父子は代々楚の政治を行い、先王の大恩を受けてきた。先王の志を達成できないことを慙愧してい…
*今回は『東周列国志』第四十六回中編です。 当時、許と蔡の二国は晋文公が死んだため、再び楚の盟を受けていました。 晋襄公は陽処父を大将に任命して許を討伐させ、蔡にも侵攻させました。 これに対し、楚成王は鬥勃と成大心に蔡の救援を命じました。 楚…
第四十六回 楚商臣が宮中で父を弑し、秦穆公が殽谷で屍を封ず (楚商臣宮中弑父 秦穆公殽谷封屍) *今回は『東周列国志』第四十六回前編です。 翟主・白部胡が晋軍に殺されたことは逃走した敗兵から弟の白暾に知らされました。白暾が泣いて言いました「私は…