春秋時代25 東周恵王(四) 晋の驪姫 前672年(2)

今回は東周恵王五年後篇です。
 
[八] 晋献公が驪戎(驪山に住む西戎の別種。国君は姫姓の男爵)討伐を占わせると、大夫・史蘇がこう言いました「勝ちますが不吉です(勝而不吉)。」
献公がその理由を聞くと、史蘇はこう言いました「兆(予兆。兆象)は『交わる場所で骨をくわえ、間で歯がそれを噛み切る挾以銜骨,歯牙為猾)』と出ました(この内容は『春秋左氏伝』から。『史記・晋世家』では「歯牙為禍」。讒言による害が起きるという意味)。歯が交わって噛み切るのは勝敗が入れ替わることを意味します。両国の衝突が起きた後、勝利が禍に転じるはずです。また、歯も牙もくわえる動作も全て口に関係しています。口の禍によって民が離散し、国を傾けるでしょう。」
史蘇は出征に反対しましたが、献公は聞き入れず兵を出しました。
その結果、晋軍は驪戎を破って驪姫(驪戎君の娘)とその妹を得ます。
献公は二人を寵愛し、驪姫を夫人に立てました。
 
ある日、献公が大夫を集めて宴を開きました。献公は司正(宴を司る官)に命じて史蘇に酒を贈らせ、こう言いました「汝は酒だけ飲め。食事をしてはならない。驪戎の役の際、汝は『勝つが不吉だ』と言った。半分は当たったから賞として酒を与えよう。しかし半分は外れたから罰として食事は禁止する。国を破って妃を得たのだから、これ以上大きな吉はないであろう。」
史蘇は酒を飲み、再拝稽首して言いました「占いで兆があったら臣には隠すことはできません。兆を隠したら臣の職責を失うことになります。二罪(兆を隠すことと職責を失うこと)を侵して主君に仕えることができるでしょうか。この二罪を犯したら更に大きな罰が訪れます。食事ができないどころではありません。主君も吉を好み凶に備える必要があるとお考えでしょう。例え凶兆がなくても、備えをすることに間違いはありません。また、万一凶事が起きたとしても、備えがあれば被害を小さくすることができます。臣の占いが外れるのは国の福です。今回の罰を厭うことはありません。」
 
宴が終わってから史蘇が大夫達に言いました「男戎(この戎は兵の意味です)がいれば女戎もいます。晋が男戎によって戎に勝てば、戎は女戎によって晋に勝つでしょう。」
大夫・里克(里季子)がその理由を聞くと、史蘇が言いました「昔、夏桀が有施氏を討伐し、有施氏は妺喜を嫁がせました。その妺喜が寵を受けたため、伊尹と共に夏を滅ぼすことになりました(妺喜は夏王朝を内部から滅ぼし、伊尹は外部から滅ぼしました)。また、殷辛(紂)は有蘇氏を討伐し、有蘇氏は妲己を嫁がせました。妲己も寵を受けて膠鬲(殷の賢臣。周武王を援けました)と共に殷を滅ぼすことになりました。周は幽王が有褒氏を討伐し、褒人は褒姒を嫁がせました。褒姒は寵を受けて伯服を産み、虢公・石甫(佞臣)と共に太子・宜臼を追放して伯服を太子に立てました。太子が申に出奔したため、申人と人が西戎を招いて周を攻め、周の滅亡を招いたのです。今、晋は徳が少ないのに女を捕え、寵を増しています。三季(夏・商・周三代末期)王と同じではありませんか。私が驪の討伐を占った時、国が離散するという答えが出ました。これは賊(敗亡)の兆です。私が平穏でいられないだけではなく、国が分離するという意味です。政治を行う者は警戒しなければなりません。亡国まで日はありません。」
 
郭偃(卜偃。卜を掌る大夫)が言いました「三季の王が滅んだのは当然だ。王とは民の主である。奢侈を尽くして反省することなく好き放題にふるまえば、国を滅ぼし後世から同情されることもない。しかし今の晋国は偏遠の侯国に過ぎない。その領土はせまく、大国(秦・斉)が近くにいる。限りなく欲を満足させようとしても上卿や隣国がそれを制限するだろう。今後、頻繁に国君を換えることになるかもしれないが、国が滅ぶことはない。また、国君が換わるとしても多くて五回までだ。史蘇の占いでは『口の禍』の恐れがあるというが、口は三五の門(日・月・星の三辰と五行を語る場所)である。口舌によって禍が起きたとしても、少なければ三人、多くても五人の国君が影響を受けるだけだ。歯が噛み切ったとしても被害は口の中だけのことであり、国を滅ぼすには及ばない。驪姫が乱を起こしたとしても、不幸は驪姫自身に起きるだろう。人々を帰服させることはできないはずだ。」
 
大夫・士蔿が言いました「警告するだけではなく、備えをするべきだ。備えがあれば今後の事に対応できる。二大夫(史蘇と郭偃)の言はどちらにも道理がある。」
 
後に驪姫が乱を起こし、晋は隣国・秦の援けに頼ることになります。献公の後、奚斉、卓子、恵公、懐公と即位し、五人目の文公によって国内を安定させることができました。
以上、『国語・晋語一』から抜粋しました。


次回に続きます。