2016-03-30から1日間の記事一覧

戦国時代 趙簡子・趙襄子に関する故事(3)

前回は『史記・趙世家』から趙簡子(趙鞅)と趙襄子(無恤)について書きました。 戦国時代 趙簡子・趙襄子に関する故事(2) 代を占領した出来事は『呂氏春秋・孝行覧』にもあります。『史記』とは少し異なります。 かつて趙簡子が病にかかった時、太子(無恤…

戦国時代 趙簡子・趙襄子に関する故事(2)

前回は『資治通鑑』から趙簡子の後継者選びに関して書きました。 戦国時代 趙簡子・趙襄子に関する故事(1) ここでは『史記・趙世家』の内容を注釈(「索隠」「正義」)を交えて紹介します。 晋頃公の時代、趙簡子が病にかかり、五日間も意識を失ったため、大…

戦国時代 趙簡子・趙襄子に関する故事(1)

『資治通鑑外紀』が趙簡子(趙鞅)と趙襄子(趙無恤)に関する故事を紹介しています。 戦国時代7 東周貞定王(二) 智氏と趙氏 前464~459年 まずは『呂氏春秋・恃君覧・驕恣(巻第二十)』からです。『説苑・君道(巻一)』にも同じ話があります。 趙簡子が鸞…

戦国時代7 東周貞定王(二) 智氏と趙氏 前464~459年

今回は東周貞定王五年から十年までです。 貞定王五年 前464年 丁丑 [一] 晋の荀瑤が鄭を攻撃しました。 晋軍が到着する前に、鄭の駟弘が言いました「知伯は愎(頑固で剛情)で勝利を好む。我々が早く弱い姿勢を見せれば、彼は兵を退くだろう。」 駟弘(駟桓…

戦国時代6 東周貞定王(一) 魯哀公の出奔 前468~465年

今回から東周貞定王の時代です。 貞定王 『史記・周本紀』は元王の死後、子の定王・介が即位したとしています。敬王→元王→定王という順番です。 しかし『世本(張澍稡集補注本等)』を見ると、「敬王が死んで貞王・介が立ち、貞王が死んで元王・赤が立つ」と…