2016-05-05から1日間の記事一覧

第三十三回 宋公が子昭を納れ、楚人が盟主を脅かす(後編)

*今回は『東周列国志』第三十三回後編です。 楚成王は帰国してから令尹・子文に会盟の事を話しました。子文が言いました「宋君の狂は甚だしいものです。王はなぜ会盟の参加に同意したのですか?」 楚王が笑って言いました「寡人は中華の政の主になりたいと思…

第三十三回 宋公が子昭を納れ、楚人が盟主を脅かす(中編)

*今回は『東周列国志』第三十三回中編です。 宋襄公は斉兵を破って世子・昭を国君に即位させてから、またとない奇功を立てたと信じ、斉桓公の代わりに諸侯に号令して盟主になりたいと思うようになりました。しかし大国が従わないことを恐れ、まず滕、曹、邾…

第三十三回 宋公が子昭を納れ、楚人が盟主を脅かす(前編)

第三十三回 宋公が斉を討って子昭を納れ、楚人が兵を伏せて盟主を脅かす 宋公伐斉納子昭 楚人伏兵劫盟主 *今回は『東周列国志』第三十三回前編です。 高虎は雍巫が兵を率いて城を出た隙に、壮士を城楼に埋伏させ、会議を名目に豎刁を招きました。豎刁は疑う…

戦国時代34 東周顕王(二) 石門の戦い 前365~362年

今回は東周顕王四年から七年です。 顕王四年 前365年 丙辰 [一] 魏が宋を攻撃しました。 これは『資治通鑑』の記述です。『史記・魏世家』によると、魏は宋を攻めて儀台(または「義台」。恐らく地名)を取りました。 [二] 『史記・趙世家』によると、趙が衛…

戦国時代33 東周顕王(一) 東周と西周 前368~366年

今回から東周顕王の時代です。 顕王 東周烈王が死んで弟の扁が立ちました。顕王といいます。 顕王元年 前368年 癸丑 [一] 斉が魏を攻めて観津を取りました。 これは『資治通鑑』の記述です。『竹書紀年』(今本・古本)は前年に書いており、「観津」という地…