2016-05-24から1日間の記事一覧

戦国時代58 東周慎靚王(一) 五国伐秦 前320~318年

今回から東周慎靚王の時代です。 慎靚王 顕王が死んで子の定が立ちました。慎靚王といいます。 慎靚王のように複数の文字による諡号を複諡といいます。 慎靚王元年 辛丑 前320年 [一] 衛は「侯」を称していましたが、更に号を落として「君」と称すことにしま…

第四十八回 五将が晋を乱し、寿餘が秦を欺く(四)

*今回は『東周列国志』第四十八回その四です。 周頃王五年、趙盾は秦軍が再び攻めて来るのを恐れて、大夫・詹嘉を瑕邑に住ませ、桃林塞の守りとしました。 臾駢が言いました「河曲の戦いで秦のために画策したのは土会です。彼が秦にいたら、我々は枕を高く…

第四十八回 五将が晋を乱し、寿餘が秦を欺く(三)

*今回は『東周列国志』第四十八回その三です。 周頃王四年、秦康公が群臣を集めて言いました「寡人が令狐で恨みを呑んでから五年が経つ。今、趙盾は大臣を誅戮して辺政(国境の政治)を修めず、陳、蔡、鄭、宋が交臂(手を組むこと。拱手)して楚に仕えるこ…

第四十八回 五将が晋を乱し、寿餘が秦を欺く(二)

*今回は『東周列国志』第四十八回その二です。 鄭の公子・堅等は楚兵が戦いを挑みに来なくなったため、不思議に思って間諜を送りました。 間諜が帰って言いました「楚兵は四方に出て食糧を略奪しています。鬥元帥は中軍におり、毎日、鼓楽と飲酒に耽ってい…

第四十八回 五将が晋を乱し、寿餘が秦を欺く(一)

第四十八回 先克を刺して五将が晋を乱し、士会を召して寿餘が秦を欺く (刺先克五将乱晋 召士会寿餘紿秦) *今回は『東周列国志』第四十八回その一です。 晋の箕鄭父、士穀、梁益耳は秦軍が迫ったら乱を起こし、趙盾の位を奪う計画を立てました。ところが趙…