2016-07-07から1日間の記事一覧

第六十七回 盧蒲癸が慶封を逐い、楚霊王が諸侯を集める(四)

*今回は『東周列国志』第六十七回その四です。 楚の公子・囲が帰国した時、楚王・熊麇は宮内で病にかかっていました。 公子・囲は入宮して病状を問い、密事を上奏する必要があるという理由で嬪侍(妃妾・侍女)を遠ざけると、冠纓(冠の紐)を解いて熊麇の…

第六十七回 盧蒲癸が慶封を逐い、楚霊王が諸侯を集める(三)

*今回は『東周列国志』第六十七回その三です。 周景王二年、蔡景公が世子・般のために楚女・羋氏を娶りました。ところが景公は羋氏と私通します。 それを知った世子・般が怒って言いました「父が父らしくないのだから、子も子らしくある必要はない!」 世子…

第六十七回 盧蒲癸が慶封を逐い、楚霊王が諸侯を集める(二)

*今回は『東周列国志』第六十七回その二です。 当日、斉景公が太廟で嘗祭の儀式を行いました。諸大夫が従っています。 慶舍も祭祀に臨み、慶繩が主宰して爵(酒器)を献上しました。 慶氏の家甲が廟宮を囲んで守ります。 盧蒲癸と王何は寝戈(護身用の武器…

第六十七回 盧蒲癸が慶封を逐い、楚霊王が諸侯を集める(一)

第六十七回 盧蒲癸が計を用いて慶封を逐い、楚霊王が大いに諸侯を集める (盧蒲癸計逐慶封 楚霊王大合諸侯) *今回は『東周列国志』第六十七回その一です。 周霊王の長子は名を晋、字を子喬といい、聡明天縦(天から与えられた才があること)でした。笙を得…

第六十六回 甯喜を殺して子鱄が出奔し、崔杼を戮して慶封が相になる(後篇)

*今回は『東周列国志』第六十六回後編です。 崔成と崔疆は盧蒲嫳の兵が来たのを見ると、門を閉じて守りを固めようとしました。しかし盧蒲嫳がこう言いました「私は左相の命を奉じて来ました。子(汝)を利すためであり、子を害すためではありません。」 崔成…

第六十六回 甯喜を殺して子鱄が出奔し、崔杼を戮して慶封が相になる(中篇)

*今回は『東周列国志』第六十六回中編です。 周霊王二十六年、寧喜が春宴の準備をしました。 それを知って公孫無地が公孫免餘に言いました「寧氏が春宴を開こうとしています。備えがないはずなので、まず、私に先行させて、子(あなた)が後に続いてくださ…

第六十六回 甯喜を殺して子鱄が出奔し、崔杼を戮して慶封が相になる(前篇)

第六十六回 甯喜を殺して子鱄が出奔し、崔杼を戮して慶封が独り相になる (殺甯喜子鱄出奔 戮崔杼慶封独相) *今回は『東周列国志』第六十六回前編です。 殖綽が選卒(精鋭)千人を率いて晋の戍(守備兵)を襲いました。三百人はあっという間に滅ぼされます…