2016-05-18から1日間の記事一覧

戦国時代48 東周顕王(十六) 越の没落 前334年(2)

今回は東周顕王三十五年の続きです。 [九] 越王・無彊が斉を攻めました。 斉王は越に人を送り、斉を討つよりも楚を討った方が利があると遊説します。 越王はそれを聞いて楚を攻撃しました。 ところが越は楚に大敗します。 楚は勝ちに乗じて呉の故地をすべて…

戦国時代47 東周顕王(十五) 徐州の会と魏・斉の称王 前334年(1)

今回は東周顕王三十五年です。二回に分けます。 顕王三十五年 前334年 丁亥 [一] 『史記・周本紀』『六国年表』等にはこの年に「周顕王が秦恵王(実際はまだ王を称していません)に文武胙(西周文王と武王の祭祀で使った肉)を下賜した」とありますが、『資治…

第四十三回 智甯兪が衛を復し、老燭武が秦を説く(後編)

*今回は『東周列国志』第四十三回後編です。 復位した衛成公は吉日を選んで太廟の祭祀を行い、約束を守って周歂と冶廑に卿職を授けることにしました。二人には卿服を着て廟の祭祀に同席するように命じます。 当日五鼓(五更。午前三時から五時)、周歂が車…

第四十三回 智甯兪が衛を復し、老燭武が秦を説く(中編)

*今回は『東周列国志』第四十三回中編です。 周襄王が京師に戻り、群臣が謁見して祝賀しました。 晋の先蔑が稽首して晋侯の命を伝え、衛侯を司寇(法官)に預けるように求めます。 当時、周公・閲が太宰として政治を行っていたため、閲は衛侯を館舍(客舎)…

第四十三回 智甯兪が衛を復し、老燭武が秦を説く(前編)

第四十三回 智甯兪が鴆を借りて衛を復し、老燭武が城を降りて秦を説く (智甯兪假鴆復衛 老燭武縋城説秦) *今回は『東周列国志』第四十三回前編です。 諸侯の朝覲を終えた周襄王が洛陽に還ることになりました。諸侯は襄王を河陽の境まで見送ります。晋の先…

第四十二回 周襄王が覲を受け、衛元咺が対獄する(後編)

*今回は『東周列国志』第四十二回後編です。 諸侯による朝覲の礼が終わると、晋文公が衛叔武の冤情を襄王に訴え、王子虎による判決を請いました。襄王はこれに同意します。 文公は子虎を公館に招きました。賓客と主人が礼辞を述べて席を決めてから、王命を…

第四十二回 周襄王が覲を受け、衛元咺が対獄する(中編)

*今回は『東周列国志』第四十二回中編です。 この日、叔武は自ら輿隸(奴隷)を指示して宮室の掃除をしました。歂犬が衛都に入った時、ちょうど掃除を終えて庭で髪を洗っていました。 すると突然、甯兪が現れて「国君のお帰りです」と報告しました。 叔武は…

第四十二回 周襄王が覲を受け、衛元咺が対獄する(前編)

第四十二回 周襄王が河陽で覲を受け、衛元咺が公館で対獄する (周襄王河陽受覲 衛元咺公館対獄) *今回は『東周列国志』第四十二回前編です。 周襄王二十年、襄王自ら践土で晋文公を労いました。会が終わってから襄王は周に帰り、諸侯もそれぞれ別れを告げ…