2016-08-23から1日間の記事一覧

戦国時代 盗跖

春秋時代末期から戦国時代初期あたりに「跖」という「盗」が現れたといわれています。「盗」というのは、直接は「盗賊」を指しますが、もっと範囲が広く、統治者に逆らって蜂起した者も「盗」に含まれます。「跖」は通常、「盗跖」とよばれており、民衆反乱…

東周列国志目録(中)

『東周列国志』の目録(中)です。 東周列国志目録(上) 第四十三回 智甯兪が衛を復し、老燭武が秦を説く(前編) 第四十三回 智甯兪が衛を復し、老燭武が秦を説く(中編) 第四十三回 智甯兪が衛を復し、老燭武が秦を説く(後編) 第四十四回 叔詹が晋侯に抗し、弦高…

第九十四回 馮驩が孟嘗の客となり、斉王が桀宋を伐つ(四)

*今回は『東周列国志』第九十四回その四です。 翌日、宋王・偃は斉兵に戦う能力がないと信じ、営寨を引き払って進軍しました。直接、斉の営塁を攻撃します。 閭丘儉は韓聶の旗号を立てて陣を連ねました。辰(午前七時から九時)から午(正午)に至るまで、…

第九十四回 馮驩が孟嘗の客となり、斉王が桀宋を伐つ(三)

*今回は『東周列国志』第九十四回その三です。 宋康王は宋辟公・辟兵の子で剔成の弟です。母の夢の中で徐偃王(西周時代、徐国の国君)が現れて託生(生まれ換わること。転世)したため、偃と名づけられました。 生まれつきの異相で、身長は九尺四寸、面闊…

第九十四回 馮驩が孟嘗の客となり、斉王が桀宋を伐つ(二)

*今回は『東周列国志』第九十四回その二です。 秦昭襄王は孟嘗君を失ったことを後悔しており、また、孟嘗君がもたらす影響を恐れ、こう考えました「あの者が斉国で用いられたら、いずれ秦の害になるだろう。」 そこで、昭襄王は謠(噂)を拡散させて斉国に流…

第九十四回 馮驩が孟嘗の客となり、斉王が桀宋を伐つ(一)

第九十四回 馮驩が鋏を弾いて孟嘗の客となり、斉王が兵を糾合して桀宋を伐つ 馮驩弾鋏客孟嘗 斉王糾兵伐桀宋 *今回は『東周列国志』第九十四回その一です。 孟嘗君は秦から逃げ帰って趙を通りました。平原君・趙勝が趙都から三十里も出て迎え入れ、恭敬を極…