第九十一回 燕噲が兵を招き、張儀が楚を欺く(四)

*今回は『東周列国志』第九十一回その四です。
 
話は秦に移ります。
斉湣王が燕に勝って燕王噲と子之を殺し、威を天下に震わせたため、秦恵文王が憂いました。
しかも楚懐王が従約長として斉と深く結び、互いに誓いの証書を取り交わして信を結んでいます(置符為信)
秦王は斉と楚を離間させたいと思い、張儀に計を問いました。
張儀が言いました「臣が三寸不爛の舌によって楚で南遊し、機会を見つけて進言しましょう。必ず楚王に斉との関係を途絶えさせ、秦と親しくさせてみせます。」
恵文王が言いました「寡人は子(汝)の言う通りにしよう。」
張儀は秦の相印を返して楚に行きました。
 
張儀は懐王のそばにいつも嬖臣がおり、懐王がその言に逆らうことはないと知っています。その嬖臣は姓を靳、名を尚といいます。そこでまず重賄を靳尚に贈り、それから懐王に会いに行きました。
懐王は張儀の名を重んじて郊外に迎えに行きます。
懐王が張儀に席を与えて問いました「先生がわざわざ敝邑に足を運んだのは、何か教えがあるからですか?」
張儀が言いました「臣がここに来たのは、秦と楚の交わりを願っているからです。」
楚懐王が言いました「寡人が秦との交わりを願っていないのではありません。秦の侵伐が止まないので、親を求められないのです(親しくできないのです)。」
張儀が言いました「今、天下には七国がありますが、大国は楚と斉を越えるものがなく、これに秦を加えても三国しかありません。秦が東の斉と結んだら斉が重くなり(強大になり)、南の楚と結んだら楚が重くなります。しかし寡君の意は楚にあって斉にはありません。それはなぜでしょうか。斉は秦と婚姻関係にある国なのに、秦を裏切ることが多いからです。寡君は大王に仕えたいと思っており、儀(私)も大王の門闌の廝(門前の従僕)になることを願っています。しかし大王が斉と通好しているので、寡君の忌(嫌うこと。警戒すること)を犯しています(秦が楚を攻撃しなければならないのは、楚が斉と結んでいるからです)。大王が関を閉ざして斉をの関係を断つのなら、寡君は商君が楚から取った商於の地六百里を楚に返還し、秦女を贈って大王の箕帚(清掃)の妾(妻妾)とさせます。秦と楚が代々婚姻を結んで兄弟になり、協力して諸侯の患を防ぐことに、大王は同意してください。」
懐王は喜んで「秦が楚に故地を還すと約束するのなら、寡人が斉を大切にする理由はない」と言いました。
群臣も楚が領地を回復できると聞いて祝賀します。
しかし一人だけ姿勢を正して進み出てこう言いました「いけません(不可,不可)。臣が見るに、この事は弔うべきであって祝賀するべきではありません。」
楚懐王が見ると客卿の陳軫です。
懐王が問いました「寡人は一兵も費やすことなく坐して六百里の地を得るのだ。群臣が祝賀しているのに子だけが弔うのはなぜだ?」
陳軫が問いました「王は張儀を信じるのですか?」
懐王が笑って言いました「なぜ信じないのだ。」
陳軫が言いました「秦が楚を重んじるのは斉があるからです。もし斉との関係を断ったら楚は孤立します。秦がなぜ孤国(孤立した国)を重んじて、六百里の地を譲るというのでしょうか?これは張儀の詭計です。もし斉との関係を断ったら、張儀は王を裏切り、領地も譲りません。斉も王を怨んで逆に秦に附いてしまいます。斉と秦が協力して楚を攻めたら、楚の滅亡は時間の問題となります。臣が弔うべきだと言ったのはこのためです。王はまず一人の使者を張儀随行させて秦で領地を受け取らせるべきです。領地が楚に入ってから斉との関係を断っても遅くはありません。」
大夫屈平も進み出て言いました「陳軫の言う通りです。張儀は反覆の小人なので信じてはなりません。」
ところが嬖臣靳尚がこう言いました「斉との関係を断たなかったら、秦が我々に領地を譲るはずがありません。」
懐王が頷いて言いました「張儀が寡人を裏切らないのは明らかだ。陳子は口を閉ざして何も言うな。寡人が領地を受け取るのを見ておれ。」
懐王は相印を張儀に授け、黄金百鎰と良馬十駟を下賜しました。
さっそく北関の守将に命じて斉の使者を拒絶させます。あわせて、領地を受け取るために逢侯丑を派遣し、張儀と一緒に秦に入らせました。
 
道中、張儀は逢侯丑と酒を飲んで心から談論を楽しみ、骨肉(家族)のように親しくなりました。
秦都咸陽に近づくと、張儀は酒に酔ったふりをし、車から足を踏み外して転倒しました。左右の者が慌てて抱きかかえます。
張儀が言いました「私は足脛を怪我してしまった。すぐ医者に診てもらわなければならない。」
張儀は先に臥車に乗って入城すると、秦王に表奏(上書)して報告し、逢侯丑を館駅に留めさせました。その後、張儀は屋敷の門を閉ざして養生し、入朝もしなくなりました。
逢侯丑は秦王に謁見を求めましたが許可が得られず、張儀の様子を伺いに行っても怪我が治癒していないという理由で断られました。
こうして三カ月が経ちます。
逢侯丑は秦王に上書して張儀が領地を譲る約束をしたと伝えました。しかし恵文王は返書でこう答えました「儀にそのような約束があるのなら、寡人は必ず実行しよう。但し、楚と斉はまだ決絶していないと聞いた。寡人は楚に欺かれることを恐れているので、張儀の病(怪我)が善くなるまでは、信じるわけにはいかない。」
逢侯丑が再び張儀の門を叩きましたが、張儀は顔を出しません。そこで人を送って秦王の言を懐王に報告しました。
懐王は「楚は斉との関係を断ったが、秦はまだ徹底していないと思っているのか」と言うと、勇士宋遺を派遣し、宋に道を借りて斉に直進させました。宋遺は宋国の符を持って斉の国境に至り、湣王を罵り辱しめます。
激怒した湣王は使者を西の秦に送り、共に楚を攻撃するように誘いました。
張儀は斉の使者が来たと聞いて計の成功を知り、怪我が治癒したと称して入朝しました。
張儀が朝門に来た時、逢侯丑に遇いました。張儀は驚いたふりをしてこう言いました「将軍はなぜ領地を受け取らず、まだ我が国に留まっているのですか?」
逢侯丑が言いました「秦王は相国を待って面前で決するつもりです。幸いにも相国の玉体が良くなったので、どうか入朝して王に進言し、早く地界(境界)を定めて寡君に報告させてください。」
張儀が言いました「このような事をどうして秦王に関白(報告)する必要があるのですか?儀(私)が言ったのは儀の俸邑六里です。私が楚王に献上したいと思っているのです。」
逢侯丑が言いました「臣が寡君から受けた命は商於の地六百里です。六里とは聞いていません。」
張儀が言いました「楚王は聞き間違えたのではありませんか?秦の地は全て百戦によって得たのです。尺土でも人に譲ることができないのに、六百里も譲ると思いますか?」
逢侯丑はやむなく帰国して懐王に報告しました。
 
懐王が激怒して言いました「張儀はやはり反覆の小人だったか!わしが張儀を得たら、その肉を食ってやろう!」
懐王は秦を攻めるために兵の動員を命じました。
客卿陳軫が言いました「今日、臣は口を開いてもかまいませんか?」
懐王が言いました「寡人は先生の言を聴かなかったために、狡賊に欺かれてしまった。今日、先生に何か妙計があるのか?」
陳軫が言いました「大王は既に斉の助けを失ってしまいました。今また秦を攻めても利は見えません。よって、二城を割いて秦に譲り、兵を合わせて斉を攻めるべきです。秦に対しては地を失いますが、斉の地を取って補うことができます。」
懐王が言いました「楚を欺いたのは秦だ。斉に何の罪があるというのだ?秦と共に斉を攻めたら、人々の笑い者になるだろう。」
即日、懐王は屈を大将に、逢侯丑を副将に任命し、兵十万を動員して天柱山の西北から進軍させました。
楚軍は藍田を襲撃します。
 
秦王も魏章を大将に、甘茂を副将に任命し、十万の兵で阻止させました。同時に使者を斉に送って出兵を求めます。
斉将匡章が軍を率いて参戦しました。
は勇猛でしたが、二国に挟撃されたらかなうはずがなく、連戦連敗しました。秦と斉の兵が丹陽まで追撃します。
は残兵を集めて再戦し、甘茂に斬られました。前後して八万余の首級が獲られます。逢侯丑等の名将七十余人も死に、漢中の地六百里が秦に奪われ、楚国が震撼しました。
楚の敗戦を聞いた韓と魏も南下して楚を襲おうとしました。
恐れた楚懐王は屈平を斉に送って謝罪し、陳軫を秦軍(魏章)に送って二城を献上することで和を求めました。
魏章が部下を派遣して秦王の命を請うと、恵文王はこう言いました「寡人は黔中の地を得たい。商於の地と交換しよう。もし同意するなら、罷兵(撤兵)してもいい。」
魏章は楚に使者を送って秦王の命を懐王に伝えました。
懐王が言いました「寡人は土地を得たいとは思わない。張儀を得られれば満足だ。もし上国(貴国)張儀を楚に送るのなら、寡人は甘んじて黔中の地を献上し、謝礼としよう。」
果たして秦王は張儀を楚に送るのか。続きは次回です。

第九十二回 秦武王が踁を絶ち、楚懐王が秦に陥る(前編)