2016-05-23から1日間の記事一覧

戦国時代57 東周顕王(二十五) 孟嘗君 前322~321年

今回で東周顕王の時代が終わります。 顕王四十七年 前322年 己亥 [一] 『史記・秦本紀』によると、韓と魏の太子が秦に来朝しました。 [二] 秦の張儀が齧桑から帰国し、秦の相を免じられました。 張儀は魏の相になります。 張儀は魏が率先して秦に仕えるよう…

戦国時代56 東周顕王(二十四) 五国相王 前323年(2)

今回は東周顕王四十六年の続きです。 [六] この年、韓と燕も王を称しました。 これは『資治通鑑』『史記・六国年表』の記述です。 『資治通鑑』によると、趙武霊王だけは王を称すことなく、「実がないのに虚名を名乗ることはできない」と言って、国人に自分…

戦国時代55 東周顕王(二十三) 蛇足 前323年(1)

今回は東周顕王四十六年です。二回に分けます。 顕王四十六年 前323年 戊戌 [一] 『史記・楚世家』によると、楚が柱国・昭陽に魏を攻撃させました。楚軍は襄陵で魏軍を破って八邑(または「八城」)を奪います(『今本竹書紀年』は前年に書いています)。 襄…

戦国時代54 東周顕王(二十二) 稷下の学士 前324年

今回は東周顕王四十五年です。 顕王四十五年 前324年 丁酉 [一] 『史記』は本年を秦恵王(恵文王)元年としています。恵王は前年に王を称し、本年正月に改元したようです。 [二] 秦の張儀が兵を率いて魏を攻撃し、陜を取りました(前年参照)。 『史記・張儀…

戦国時代53 東周顕王(二十一) 秦の称王 前327~325年

今回は東周顕王四十二年から四十四年までです。 顕王四十二年 前327年 甲午 [一] 秦が義渠(西戎)に県を置き、その君を臣にしました。 これは『史記・秦本紀』『六国年表』および『資治通鑑』に書かれています。 西戎の国・義渠が秦に臣従したため、秦はそ…

第四十七回 弄玉が二人で鳳に跨り、趙盾が霊公を立てる(四)

*今回は『東周列国志』第四十七回その四です。 秦に入った先蔑と士会は公子・雍を迎え入れることを秦康公に伝えました。康公は喜んで「我が先君は晋君を二回定めた。寡人の代になっても、また公子・雍を立てることになった。晋君は代々秦から生まれている」…

第四十七回 弄玉が二人で鳳に跨り、趙盾が霊公を立てる(三)

*今回は『東周列国志』第四十七回その三です。 この年の秋八月、晋襄公が病に倒れました。死に臨んで太傅・陽処父、上卿・趙盾および諸臣を招き、榻の前で言いました「寡人は父業を継ぎ、狄を破って秦を討った。外国によって鋭気を挫かれたことはない。しか…

第四十七回 弄玉が二人で鳳に跨り、趙盾が霊公を立てる(二)

*今回は『東周列国志』第四十七回その二です。 翌朝、穆公が蕭史を中大夫に任命しました。 蕭史は朝班(群臣)に列しましたが、国政には関与せず、日々鳳楼にいました。火食(火を通した物)を食べることなく、時々数杯の酒を飲むだけです。弄玉も簫史から…

第四十七回 弄玉が二人で鳳に跨り、趙盾が霊公を立てる(一)

第四十七回 弄玉が簫を吹いて二人で鳳に跨り、趙盾が秦に背いて霊公を立てる (弄玉吹簫双跨鳳 趙盾背秦立霊公) *今回は『東周列国志』第四十七回その一です。 秦穆公は二十の国を併合して西戎の伯(覇者)となりました。周襄王が尹武公を派遣し、金鼓を秦…