東漢時代457 献帝(百三十九) 楊脩 219年(5)
それを知った楊脩が魏王・曹操に報告します。
しかし推験しても中に人がいなかったため、曹操は楊脩を疑うようになりました。
『資治通鑑』胡三省注が解説しています。曹植は車に乗って馳道の中央を走り、勝手に司馬門を開いて外出したため、既に罪を得ていました。曹仁が関羽に包囲された時、曹操が曹植を派遣して曹仁を助けさようとしましたが、曹植は酒に酔って命を受けることができませんでした。そのためますます疎まれました。
楊脩は曹植の所に行くたびに、曹植の行動に欠点があることを憂慮しました。そこで、曹操の意を忖度(推察)して、あらかじめ曹操の教(訓戒)に対する十余條の回答を作り、曹植の門下にこう命じました「(魏王の)教(訓戒)が出たら、問われた内容に応じてそれに答えよ(教出,隨所問答之)。」
魏王・曹操が杜襲を留府長史に任命して関中に駐留させました。
『資治通鑑』胡三省注によると、留府を関中に置いたのは蜀に備えるためです。
関中の営帥・許攸(営師は武装勢力の長です。この許攸は、かつて袁紹に仕えて後に曹操に帰順した許攸とは同姓同名の別人です)が部曲を擁して帰順せず、慢言(傲慢・放縦な言葉。侮る言葉)があったため、曹操は激怒して討伐しようしました。
杜襲が言いました「もし殿下の計が是(正しいこと)であるなら、臣は殿下がそれを成すのを助けます(若殿下計是邪,臣方助殿下成之)。しかしもし殿下の計が非であるなら、たとえ(計が)成っていても、それを改めさせなければなりません(若殿下計非邪,雖成宜改之)。殿下は臣を迎え入れて何も言うなと命じました。なぜ下の者を待遇する様がこのように開明ではないのでしょう(殿下逆臣令勿言,何待下之不闡乎)。」
杜襲が問いました「殿下は許攸がどのような人だと思いますか?」
曹操は「凡人だ」と答えました。
そこで杜襲が言いました「賢人だけが賢人を知り、聖人だけが聖人を知るものです(夫惟賢知賢,惟聖知聖)。凡人がどうして非凡な人を知ることができるでしょう。今は豺狼(劉備)が路に当たっているのに、狐狸(許攸)を優先したら、人は殿下が強を避けて弱を攻めたと思うようになります。(許攸を攻めて)進んでも勇にはならず、退いても仁にはなりません。臣が聞くに、千鈞の弩(重い弩。『資治通鑑』胡三省注によると、三十斤で一鈞です)は鼷鼠(小さい鼠)のために機(弩を射る装置)を発することなく、万石の鍾は莛(草の茎)で打っても音を立てることがありません(千鈞之弩不為鼷鼠発機。万石之鍾不以莛撞起音)。今、区区(小さい様子)とした許攸が、どうして神武を労すに足りるのでしょう(何足以労神武哉)。」
許攸はすぐに帰服しました。
冬十月、魏王・曹操が雒陽に至りました。
次回に続きます。