2017-03-03から1日間の記事一覧

西漢時代 治安策(七)

賈誼による『治安策』の続きです。今回で終わります。 「人主の尊(高貴)は堂(殿堂)と同じで、群臣は陛(階段)、衆庶(庶民)は地のようなものです。だから陛九級(九等。九段)の上は、廉(堂の縁)が地から遠く離れており、堂が高くなっています。陛に…

西漢時代 治安策(六)

賈誼による『治安策』の続きです。 「人の智とは、既に起きた事は見れますが、将来起きる事は見れません。礼とは将来起きる事を禁じるもので、法とは既に起きた事を禁じるものです。だから法の作用は容易に見ることができますが、礼から生まれることを知るの…

西漢時代 治安策(五)

賈誼による『治安策』の続きです。 「夏(王朝)は天子になって十余世経ってから殷(商王朝)に継がれました。殷は天子になって二十余世経ってから周に継がれました。周は天子になって三十余世経ってから秦に継がれました。しかし秦は天子になってから二世で…

西漢時代 治安策(四)

賈誼による『治安策』の続きです。 「天下の形勢は倒縣(倒懸。逆さに吊ること)しています。天子とは天下の首です。なぜなら上にいるからです。蛮夷とは天下の足です。なぜなら下にいるからです。ところが今は匈奴が嫚娒(驕慢侮蔑)な態度で侵掠し、不敬が…

西漢時代 治安策(三)

賈誼による『治安策』の続きです。 「臣が前事を窺い見るに、おおよそは強い者が先に反します。淮陰王(韓信)は楚を治めて最強だったので、最も早く反しました。韓信(韓王・信)も胡(匈奴)に頼っていたので(匈奴の助けがあったので)反しました。貫高も趙…

西漢時代 治安策(二)

賈誼による『治安策』の続きです。諸侯王に対する内容です。 「樹国(立国)においては必ず互いに疑うという形勢ができるものです(国を建てたら天子と諸侯の間で猜疑が生じるものです)。下はしばしば殃(禍)を蒙り、上もしばしば憂い悩むことになります。…

西漢時代 治安策(一)

西漢文帝前六年(前174年)に賈誼の『治安策』に触れました。 西漢時代51 文帝(十四) 中行説 前174年(2) ここでは『漢書・賈誼伝(巻四十八)』の本文および注釈を元に簡訳します。字数の関係で七回に分けます。 当時は匈奴が強大になってしばしば辺境を侵し…

西漢時代 中行説

西漢文帝前六年(前174年)、匈奴に派遣された漢の中行説が単于に帰順しました。 西漢時代51 文帝(十四) 中行説 前174年(2) 『漢書・匈奴伝(巻九十四上)』から中行説と漢の使者のやり取りを紹介します。 漢の使者の中には「匈奴の俗は老人を軽視している(…