第八十七回 衛鞅が変法し、孫臏が下山する(四)

*今回は『東周列国志』第八十七回その四です。
 
この頃、墨翟が名山で遊んで鬼谷を通りました。元々は友を探すのが目的でしたが、孫賓に会って談論し、深く意気投合しました。そこで孫賓に問いました「子(汝)の学業は既に成就した。なぜ山を出て功名を求めず、久しく山沢の中に埋没しているのだ?」
孫賓が言いました「私には龐涓という同学がおり、魏に仕えに行きました。志を得る日が来たら互いに推挙しあおうと約束したので、私はそれを待っているのです。」
墨翟が言いました「涓は既に魏将になった。私が子のために魏に入り、涓の意志を探ってみよう。」
墨翟は別れを告げて魏国に向かいました。
 
墨翟は龐涓が自分の才能と功績を自負して驕っており、大言してはばかることがないと聞き、孫賓を迎え入れる意志がないと察しました。そこで自ら野服(山村の平民の服)を着て魏恵王に謁見を求めます。
恵王はかねてから墨翟の名を聞いていたため、階段を降りて迎え入れ、兵法について尋ねました。
墨翟は大略(大まかな内容)を解説します。
恵王は喜んで墨翟に官職を与えようとしました。しかし墨翟は固辞してこう言いました「臣は山野を性としており、衣冠を身につける習慣がありません。(代わりの者を紹介しましょう。)孫武子の孫で名は賓という者を知っています。真に大将の才があり、臣は万分の一も及びません。今は鬼谷に隠れています。大王は彼を招くべきです。」
恵王が言いました「孫賓は鬼谷で学んでいるのか?それなら龐涓と同門だ。卿が観たところ、二人の学問で勝っているのはどちらだ?」
墨翟が言いました「賓と涓は同学ですが、賓だけが祖の秘伝を得ました。たとえ天下を探してもかなう者はいません。龐涓ならなおさらです。」
墨翟は別れを告げて去りました。
恵王がさっそく龐涓を召して問いました「卿の同学に孫賓という者がおり、彼だけが孫武子の秘伝を得たため、その才は天下無比(無敵)だと聞いた。将軍はなぜ寡人のために招かないのだ?」
龐涓が言いました「臣が孫賓の才を知らないわけではありません。しかし賓は斉人で、宗族が全て斉にいます。もし魏に仕えたとしても、必ず斉の事を優先して魏を後にするでしょう。そのため、臣は敢えて進言しなかったのです。」
恵王が言いました「『士は己を知る者のために死ぬ(士為知己者死)』という。本国の者でなければ用いてはならないということはなかろう。」
龐涓が言いました「大王が孫賓を召したいというのでしたら、臣がすぐに書を準備して送りましょう。」
龐涓は口では不満を表しませんでしたが、心中では躊躇してこう考えました「魏国の兵権は私一人の手中にある。しかしもし孫賓が来たら、必ず寵を奪われるだろう。魏王の命が出されたから従わないわけにはいかない。彼が来るのを待って、彼を害す計を謀ることにしよう。(彼が魏に来た機会に)彼の進用(登用)の路を塞ぐことができれば、それも好いだろう。」
龐涓は一通の書信を書いて恵王に提出しました。恵王は駟馬の高車と黄金白璧を準備し、使者に龐涓の書を持たせて鬼谷に派遣しました。
 
使者は一路、鬼谷を目指し、孫賓を訪ねました。孫賓が書を開くとこう書かれています「涓は兄の庇(保護。福)のおかげで、魏王に一見しただけで重用を蒙ることになりました。別れに臨んで推挙すると約束した言葉は、心に留めて忘れたことがありません。よって今回、魏王に推挙しました。すぐ招きに応じて馳せ参じ、共に功業を図ることを望みます。」
孫賓は書を鬼谷先生に見せました。
先生は龐涓が時を得て重用されていると知っています。今回の書には孫賓を用いることしか書かれておらず、師に対する問候(挨拶)が一言もありません。刻薄で本(根本)を忘れた人なので、そこにこだわるつもりはありませんが、龐涓は生まれつき驕慢で嫉妬深い性格なので、孫賓が赴いたら両立できないはずです。孫賓を留めたいと思いましたが、魏王の使者が鄭重に孫賓を招いており、孫賓自身も急いで出発したいと思っているため、留めることもできません。
そこで孫賓にも一枝の花を取って来させました。休咎(吉凶善悪)を占うためです。
時はちょうど九月(秋終盤)です。先生の几案(机)の上に瓶があり、黄菊が一枝挿してありました。それを見つけた孫賓は、菊を瓶から抜き取って先生に見せてから、すぐ瓶に戻しました。
先生が言いました「この花は切断されており、完好(完全)ではない。しかし歳寒に堪えることができ、霜に遭っても壊れない。よって、残害(迫害)に遭ったとしても大凶にはならないだろう。また、幸いなことに瓶の中で養われているから、人から愛重を受けることになる。瓶は範金(型に入れた金属)でできており、鐘鼎の属(類)だ。最後は威が霜雪(厳しい環境。ここでは天下)に行きわたり、名が鼎鐘に記録される。しかしこの花は二回抜き取られた(二回瓶に入れられた)。恐らくすぐには意を得ることができない。元の瓶に戻ったので、汝の功名の地は故土(故郷)となるだろう。わしが汝の名に字を加えて進取(立身)の助けとしてやろう。」
先生は孫賓の「賓」の左に「月」を加えて「臏」としました。「臏」という字は刖刑(足を切断する刑)を指します。鬼谷子が孫賓を孫臏に改めたのは、明らかに孫臏が刖刑に遭うと知っていたからですが、天機(天の機密)を洩らすわけにはいかないため詳しく語りませんでした。
 
孫臏が出発する時、鬼谷子が錦囊(袋)を与えてこう教えました「至急の地に遭った時、開いて看なさい。」
孫臏は拝礼して先生に別れを告げ、魏王の使者について山を下りました。車に乗って去っていきます。
 
傍にいた蘇秦張儀が欣羨(羨望)の色を見せました。山を下りて功名を得るため、二人で相談して先生に別れを告げます。
先生が言いました「天下で最も得難いのは聡明な士だ。汝等二人の質(資質)があり、灰心(外との関係を絶つ心)になって道を学びさえすれば、神仙になることもできる。なぜ塵埃の中で忙しく立ち回り、甘んじて浮名虚利のために駆逐されようとするのだ。」
蘇秦張儀が声をそろえて言いました「『良い木材は岩の下で朽ち果てることなく、良い剣は箱の中に隠されて終わることがない(良材不終朽於巖下,良剣不終秘於匣中)』と言います。日月は流れるように過ぎ去り、光陰が戻ることはありません。某等(私達)は先生の教を受けたので、時に乗じて功を立て、後世に名を高揚させたいと思っているのです。」
先生が言いました「汝等二人のうち一人でも残ってわしの伴になろうとは思わないか?」
蘇秦張儀は決意が固く、留まろうとしません。先生も強制はできないため、嘆息して言いました「仙才を得るのはこれほどまで難しいのか。」
先生がそれぞれを占って言いました「秦は先に吉があり、後は凶となる。儀は先に凶があり、後は吉となる。秦の遊説が先に行われ、儀は晩くに達する。わしが観るに、孫・龐の二子は互いに許容することができず、必ず吞噬の事(呑みこむこと。侵犯すること)が起きる。汝等二人は後日互いに推讓(譲り合うこと)して名誉を成せ。同学の情を損なってはならない。」
二人は稽首して教えを受けました。
先生が二冊の書を取り出して二人に贈りました。二人が見ると太公の『陰符篇』です。
二人が問いました「この書は既に久しく熟誦しました。先生が今日また授けたのは、何のためですか?」
先生が言いました「汝等は熟誦したが精(真髄)を得ていない。今回去ってからもし意を得ることができなかったら、この篇(書)から方法を探れ。自ずから進益(進歩。成果)があるはずだ。わしはこれから海外で逍遙とする。この谷に留まることはない。」
蘇秦張儀が別れてから数日も経たずに鬼谷子も海に出て蓬島で遊びました。仙人になって去ったともいわれています。
 
孫臏が招聘に応じて下山しましたが、その後の事がどうなるのか、続きは次回です。

第八十八回 孫臏が禍から脱し、龐涓が桂陵で敗れる(一)