2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧
今回から西漢孝宣皇帝の時代です。 中宗孝宣皇帝 名は劉詢、字は次卿です(『漢書・宣帝紀』注より)。 元の名は劉病已といいましたが、元康二年(前64年)に劉詢に改名します。 武帝の衛太子・劉據の孫で、父は劉進、母は王夫人です。庶民から皇帝の位に登…
今回で昭帝元平元年が終わります。 [六(続き)] 昭帝が死んで昌邑王が廃されてから、霍光が張安世や諸大臣と誰を擁立するか討議しましたが、なかなか決まりませんでした。 そこで丙吉が書を送って霍光にこう伝えました「将軍は孝武皇帝に仕えて繈褓(幼児)の…
今回も昭帝元平元年の続きです。 [六] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 以前、衛太子・劉據(武帝の太子)は魯国の史良娣を娶りました。 『資治通鑑』胡三省注によると、史氏は西周の史佚(史官)の子孫です。 良娣というのは太子の妃妾の階級です…
今回も昭帝元平元年の続きです。 [五(続き)] 群臣が序列に従って上殿しました。 昌邑王・劉賀を召し、太后の前で伏して詔を聴かせます。 霍光と群臣が連名で昌邑王を弾劾する上奏をし、尚書令が読み上げました「丞相・臣敞(楊敞)等が死を冒して皇太后陛下…
今回も昭帝元平元年の続きです。 [五] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 昌邑王・劉賀が即位しましたが、淫戯(放蕩なふるまい)に限度がありませんでした。 昌邑国の官属も皆、長安に招かれ、多くの者が抜擢されて朝廷の官を与えられました。昌邑…
今回は昭帝元平元年の続きです。 [四(続き)] 昌邑王・劉賀はかつて大きな白犬を見ました。首から下は人のようで、頭に方山冠を被り、尾はありません。 『資治通鑑』胡三省注によると、「方山冠」は五采縠(五彩の絹織物)で作られた冠で、前は高さ七寸、後ろ…
今回は昭帝元平元年です。六回に分けます。 西漢昭帝元平元年 丁未 前74年 [一] 『漢書・昭帝紀』と『資治通鑑』からです。 春二月、昭帝が詔を発しました「天下は農桑を本としている。最近、労役を抑え(省用)、不急の官(不用な官員)を廃し、外繇(外徭…
今回は西漢昭帝元鳳五年と六年です。 西漢昭帝元鳳五年 乙巳 前76年 [一] 『漢書・昭帝紀』からです。 春正月、広陵王・劉胥(昭帝の兄)が来朝しました。 昭帝は広陵国に一万千戸を加封し、銭二千万、黄金二百斤、剣二、安車(小車)一、乗馬二駟(八頭)を下…
今回は昭帝元鳳四年です。 西漢昭帝元鳳四年 甲辰 前77年 [一] 『漢書・昭帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月丁亥(初二日)、昭帝が元服しました(帝加元服)。 「元」は首(頭)、「服」は衣冠を着用することを表すので、「元服」は冠礼(成人して始め…
今回は昭帝元鳳三年です。 西漢昭帝元鳳三年 癸卯 前78年 [一] 『漢書・昭帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月、泰山で大石が自然に立ち上がりました。 また、上林の柳樹が枯れて倒れたのに、自ら起き上がって蘇生しました。更に柳の葉を虫が食べて「公孫…
今回は昭帝元鳳二年です。 西漢昭帝元鳳二年 壬寅 前79年 [一] 『漢書・昭帝紀』と『資治通鑑』からです。 夏四月、昭帝が建章宮から未央宮に遷り、大きな酒宴を開きました。 郎、従官に帛を下賜し、宗室の子に一人当たり銭二十万を下賜しました。 吏民で牛…
今回は昭帝元鳳元年の続きです。 [八(続き)] 上官桀等は強引な策をとることにしました。 まず長公主が酒宴を開いて霍光を招きます。そこに伏兵を置いて格殺(撃殺)し、昭帝を廃して燕王・劉旦を天子に迎えるつもりです。 劉旦は駅書を置いて燕国と京師の間…
今回は昭帝元鳳元年です。二回に分けます。 西漢昭帝元鳳元年 辛丑 前80年 『資治通鑑』胡三省注によると、始元三年に鳳凰が立て続けに現れて東海、海西、楽郷に下りたため、八月に元鳳に改元しました。 [一] 『漢書・昭帝紀』からです。 春、長公主(鄂邑長…