2016-03-21から1日間の記事一覧

春秋時代288 東周敬王(五十七) 衛荘公即位 前480年(2)

今回は東周敬王四十年の続きです。 [十] 『春秋左氏伝』によると、本年、衛で蒯聵が即位しました。『史記・衛康叔世家』は前年の事としています。以下、『春秋左氏伝(哀公十五年)』の記述です。 衛の孔圉(孔文子)は太子・蒯聵の姉(孔姫。孔伯姫)を娶っ…

春秋時代287 東周敬王(五十六) 魯・斉講和 前480年(1)

今回は東周敬王四十年です。二回に分けます。 敬王四十年 前480年 辛酉 [一] 春正月、魯の成邑が叛して斉に頼りました。 魯の仲孫彘(孟武伯)が成を討伐しましたが、勝てませんでした。 仲孫彘は輸に城を築きました。 [二] 夏、楚の子西と子期が呉を攻撃し…

春秋時代 黄池の会と呉の滅亡(5)

黄池の会から呉の滅亡までを書いています。 春秋時代283 東周敬王(五十二) 黄池の会 前482年 今回は『史記』からです。 まずは『呉太伯世家』です。 呉王・夫差十四年(東周敬王三十八年・前482年)春、夫差が北上して黄池で諸侯と会しました。中国(中原)…

春秋時代 黄池の会と呉の滅亡(4)

黄池の会から呉の滅亡までを書いています。 春秋時代283 東周敬王(五十二) 黄池の会 前482年 今回は『国語・越語上』からです。 越軍は呉を囿(笠沢)で破り、また没(地名)で破り、更に呉の郊外で破りました。 呉王・夫差が講和を求めて言いました「寡人の…

春秋時代 黄池の会と呉の滅亡(3)

黄池の会から呉の滅亡までを書いています。 春秋時代283 東周敬王(五十二) 黄池の会 前482年 『国語・呉語』の続きです。 越王・句践が宮内に入り、夫人に命令を出しました。越王は寝門前の屏(屏風。外と中を遮る小さい壁)を背にして立ち、夫人が屏に向い…

春秋時代 黄池の会と呉の滅亡(2)

黄池の会から呉の滅亡までを書いています。 春秋時代283 東周敬王(五十二) 黄池の会 前482年 『国語・呉語』の続きです。 呉王・夫差は黄池を退いてから、大夫・王孫苟を派遣して周王に功労を報告しました「かつて楚人が不道(無道)で王事(貢物の義務)を…

春秋時代 黄池の会と呉の滅亡(1)

黄池の会から越の反撃、呉の滅亡に関して、本編は『春秋左氏伝』の記述を元にしました。 春秋時代283 東周敬王(五十二) 黄池の会 前482年 ここでは『国語』『史記』の記述を紹介します。 まずは『国語・呉語』からです。 呉王・夫差が申胥(伍子胥)を殺して…

第十九回 厲公が復国し、恵王が反正する(後編)

*『東周列国志』第十九回の後編です。 鄭厲公は楚文王の凶信(訃報)を聞いて喜び、「これで憂いがなくなった」と言いました。 叔詹が進言しました「『人に頼る者は危うく、人の臣となる者は辱められる(依人者危,臣人者辱)』といいます。我が国は斉と楚…

第十九回 厲公が復国し、恵王が反正する(中編)

*『東周列国志』第十九回の中編です。 厲公が復位して数日後、人心が安定したのを確認してから傅瑕を招いて言いました「汝は大陵を守って十七年も寡人を防ぐために尽力した。旧君に対して忠であったといえよう。しかし今、命を惜しんで死を恐れ、寡人のため…

第十九回 厲公が復国し、恵王が反正する(前編)

第十九回 傅瑕を捕えて厲公が復国し、子頽を殺して恵王が反正する 擒傅瑕厲公復国 殺子頽恵王反正 *『東周列国志』第十九回の前編です。 斉桓公が帰国すると、管仲が上奏しました「周が東遷してから鄭より強い国はありません。鄭は東虢を滅ぼして都とし、前…

第十八回 曹沫が斉侯を脅迫し、桓公が甯戚を爵す(後編)

*今回は『東周列国志』第十八回後編です。 管仲が去ってからも甯戚は峱山の下で牧牛をしました。 三日後、斉桓公の大軍が通りました。甯戚は以前と同じように短褐単衣を身に着け、破れた笠をかぶり、裸足で路旁に立ちました。大軍を恐れて避けるような様子…

第十八回 曹沫が斉侯を脅迫し、桓公が甯戚を爵す(中編)

*今回は『東周列国志』第十八回中編です。 魯荘公が会に行く日、群臣に問いました「共に参加できる者はいないか?」 将軍・曹沫が名乗り出ました。 すると荘公が言いました「汝は斉に三敗した(三敗に関する記述はありません)。斉人に笑われるのではないか…

春秋時代 西施

越が呉に美女・西施を献上しました。 春秋時代279 東周敬王(四十八) 呉・斉の対立 前486~485年 春秋時代 呉王夫差の驕侈 西施は中国史における四大美女の一人に数えられています。しかし西施の名は『春秋左氏伝』にも『史記』にも出てきません。 戦国時代の…