2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧

西漢時代253 成帝(十一) 『別録』『七略』 前26年

今回は西漢成帝河平三年です。 西漢成帝河平三年 乙未 前26年 [一] 『資治通鑑』からです。 春正月、楚王・劉囂が来朝しました。 劉囂は宣帝の子で、成帝の叔父に当たります。 二月乙亥(十六日)、成帝が詔を発し、劉囂の素行が純茂(善美)なので特別に優…

西漢時代252 成帝(十) 夜郎の叛乱 前27年(2)

今回は西漢成帝河平二年の続きです。 [六] 『資治通鑑』からです。 御史大夫・張忠が京兆尹・王尊の暴虐倨慢(驕慢)を弾劾しました。 王尊は罪に坐して免官されます。 しかし吏民の多くが王尊を惜しみ、湖(『資治通鑑』胡三省注によると、湖は県名で京兆に…

西漢時代251 成帝(九) 鉄飛 前27年(1)

今回は西漢成帝河平二年です。二回に分けます。 西漢成帝河平二年 甲午 前27年 [一] 『漢書・成帝紀』からです。 春正月、沛郡の鉄官が鉄飛を鋳ました(鉄官冶鉄飛)。 『成帝紀』は「『五行志』に語(記述)がある」と書いています。 以下、『漢書・五行志上…

西漢時代250 成帝(八) 許皇后 前28年

今回は西漢成帝河平元年です。 西漢成帝河平元年 癸巳 前28年 『資治通鑑』胡三省注によると、決壊した黄河の堤防を塞いで河を平定したため改元しました(下述します)。 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春、杜欽が犍為の人・王延世を王鳳に推…

西漢時代249 成帝(七) 陳湯 前29年(2)

今回は西漢成帝建始四年の続きです。 [九] 『資治通鑑』からです。 南山の群盗・傰宗等、数百人が吏民の害になっていました。 成帝は詔を発して兵千人を動員し、傰宗等の駆逐・逮捕を命じまたが、一年余経っても捕えられません。 ある人が大将軍・王鳳に言い…

西漢時代248 成帝(六) 洪水 前29年(1)

今回は西漢成帝建始四年です。二回に分けます。 西漢成帝建始四年 壬辰 前29年 [一] 『資治通鑑』からです。 春正月癸卯(二十六日)、隕石が亳(または「槀」)に四つ落ち、肥累に二つ落ちました。 槀も肥累も県名で真定王国に属します(武帝元鼎三年・前11…

西漢時代247 成帝(五) 匡衡失脚 前30年

今回は西漢成帝建始三年です。 西漢成帝建始三年 辛卯 前30年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春三月、天下の徒(囚人)を赦しました(大赦しました)。 孝弟(悌)・力田に爵二級を下賜しました。 租賦を納める能力がなく救済を受けている者…

西漢時代246 成帝(四) 杜欽 前31年

今回は西漢成帝建始二年です。 西漢成帝建始二年 庚寅 前31年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月、雍の五畤と陳宝祠を廃しました。全て匡衡の進言によります。 『資治通鑑』胡三省注によると、秦が雍に四畤を造り、白帝、青帝、黄帝、赤…

西漢時代245 成帝(三) 外戚王氏 前32年(2)

今回は西漢成帝建始元年の続きです。 [九] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 二月壬子、成帝が舅(母・王政君の兄弟)の諸吏・光禄大夫・関内侯・王崇を安成侯に封じました。 『漢書・外戚恩沢表』によると、王崇の諡号は共侯です。 『漢書・成帝紀…

西漢時代244 成帝(二) 石顕失脚 前32年(1)

今回は西漢成帝建始元年です。二回に分けます。 西漢成帝建始元年 己丑 前32年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月乙丑(初一日)、皇曾祖(皇帝の曾祖父)・悼考廟で火災がありました。 「悼考」は宣帝の父・劉進(史皇孫)を指します。劉…

西漢時代目録(下)

西漢時代の目録の続きです。 西漢時代目録(上) 西漢時代目録(中) 西漢時代243 成帝(一) 成帝劉驁 西漢時代244 成帝(二) 石顕失脚 前32年(1) 西漢時代245 成帝(三) 外戚王氏 前32年(2) 西漢時代246 成帝(四) 杜欽 前31年 西漢時代247 成帝(五) 匡衡失脚 前30…

西漢時代243 成帝(一) 成帝劉驁

今回から西漢成帝の時代です。 孝成皇帝 元帝の太子で名を劉驁、字を太孫といいます。「驁」は良馬を意味します。 以下、『漢書・成帝紀』からです。 成帝の母は王皇后(王政君)で、元帝が太子だった頃、太子宮甲観画堂で劉驁を生みました(宣帝甘露三年・…

西漢時代242 元帝(二十五) 元帝の死 前33年(4)

今回で元帝の時代が終わります。 [九] 『漢書・元帝紀』と『資治通鑑』からです。 元帝の病が重くなり、寝込んでしまいました。 傅昭儀と山陽王・劉康は常に元帝の左右にいましたが、皇后(王政君)と太子(劉驁)はほとんど謁見の機会がありません。 元帝の…

西漢時代241 元帝(二十四) 甘延寿と陳湯の封侯 前33年(3)

今回も西漢元帝竟寧元年の続きです。 [七] 『資治通鑑』からです。 中書令・石顕は以前、姉を甘延寿に嫁がせようとしましたが、甘延寿に断られました。 甘延寿が郅支単于を破って帰還することになった時、丞相や御史は甘延寿が矯制(皇帝の偽の命令を出すこ…

西漢時代240 元帝(二十三) 王昭君 前33年(2)

今回は西漢元帝竟寧元年の続きです。 [二] 帰還した呼韓邪単于は王昭君(王嬙。昭君は字)を寧胡閼氏と号しました。 『資治通鑑』胡三省注によると、「胡(匈奴)がこれを得て国が安寧になる」という意味です。 王昭君は一男を産みました。伊屠智牙師といい…

西漢時代239 元帝(二十二) 呼韓邪単于入朝 前33年(1)

今回は西漢元帝竟寧元年です。四回に分けます。 西漢元帝竟寧元年 戊子 前33年 応劭(『漢書』の注者)によると、呼韓邪単于が辺塞を守ること(保塞)を願い、辺境が安寧を得たので、「竟寧」に改元しました。この場合、「竟」は「境」の意味になります。 し…