2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

東漢時代42 光武帝(四十二) 岑彭暗殺 35年(2)

今回は東漢光武帝建武十一年の続きです。 [八] 『資治通鑑』からです。 趙王・劉良(光武帝の叔父)が光武帝に従って来歙を葬送し、城に還って夏城門を入りました。 『資治通鑑』胡三省注によると、雒陽には十二の城門があり、夏門(夏城門)は亥(西北の北よ…

東漢時代41 光武帝(四十一) 来歙暗殺 35年(1)

今回は東漢光武帝建武十一年です。二回に分けます。 東漢光武帝建武十一年 乙未 35年 [一] 『後漢書・光武帝紀下』からです。 春二月己卯(初八日)、光武帝が詔を発しました「天地の性(生命)では人が最も貴いものだ(天地之性人為貴)。よって、殺したの…

東漢時代40 光武帝(四十) 隗純投降 34年

今回は東漢光武帝建武十年です。 東漢光武帝建武十年 甲午 34年 [一] 『後漢書・光武帝紀下』と『資治通鑑』からです。 春正月、大司馬・呉漢がまた捕虜将軍・王霸等四将軍と六万人を率いて(『資治通鑑』は『後漢書・銚期王霸祭遵列伝(巻二十)』の「王覇…

東漢時代39 光武帝(三十九) 護羌校尉 33年(2)

今回は東漢光武帝建武九年の続きです [八] 『後漢書・光武帝紀下』と『資治通鑑』からです。 光武帝が中郎将・来歙に命じて長安に駐屯している諸将を全て監護させました。太中大夫・馬援が副(副官)になります。 来歙が上書しました「公孫述は隴西と天水を…

東漢時代38 光武帝(三十八) 祭遵の死 33年(1)

今回は東漢光武帝建武九年です。二回に分けます。 東漢光武帝建武九年 癸巳 33年 [一] 『資治通鑑』からです。 春正月、潁陽侯・祭遵(諡号は成侯)が軍中で死にました。 光武帝は馮異に詔を発して祭遵の営も併せて指揮させることにしました。 祭遵の為人は…

東漢時代37 光武帝(三十七) 隗囂の反撃 32年(2)

今回は東漢光武帝建武八年の続きです。 [四] 『後漢書・光武帝紀下』からです。 秋、大水(洪水)がありました。 [五] 『後漢書・光武帝紀下』と『資治通鑑』からです。 この頃、潁川の盗賊が一斉に蜂起し、属県を攻略しました。河東の守兵も東漢に叛したた…

東漢時代36 光武帝(三十六) 竇融合流 32年(1)

今回は東漢光武帝建武八年です。二回に分けます。 東漢光武帝建武八年 壬辰 32年 [一] 『後漢書・光武帝紀下』と『資治通鑑』からです。 春正月、中郎将・来歙が二千余人を率いて出撃しました。山木を伐って道を開き、番須、回中から直接、略陽を襲います。 …

東漢時代35 光武帝(三十五) 陳元の上書 31年(2)

今回は東漢光武帝建武七年の続きです。 [八] 『資治通鑑』からです。 大司農・江馮が上書して言いました「司隸校尉に三公を督察させるべきです。」 司空掾・陳元(『資治通鑑』胡三省注によると、王莽の厭難将軍・陳欽の子です)が上書して言いました「臣が…

東漢時代34 光武帝(三十四) 鄭興の上書 31年(1)

今回は東漢光武帝建武七年です。二回に分けます。 東漢光武帝建武七年 辛卯 31年 [一] 『後漢書・光武帝紀下』からです。 春正月丙申、光武帝が中都官や三輔・郡国に詔を発し、繫囚(牢に繋がれた囚人)を釈放させました。殊死(死刑)以外の者は全てその罪…

東漢時代 馬援

東漢光武帝建武元年(25年)に東漢前期の名将・馬援が登場しました。 東漢時代4 光武帝(四) 隗囂 竇融 25年(3) 今回は『後漢書・馬援列伝(巻第二十四)』を元に馬援の生い立ちについて少し詳しく書きます。 馬援は字を文淵といい、扶風茂陵の人です。 その…

東漢時代 馬援の書

馬援が隗囂の将・楊広に書を送って隗囂に曉勧(諭して勧めること)させようとしました。 東漢時代33 光武帝(三十三) 匈奴 30年(5) 以下、『資治通鑑』から馬援の書の内容です。 「援(私)が窺い見るに(竊見)、四海は既に定まり、兆民(万民)が情を同じく…

東漢時代33 光武帝(三十三) 匈奴 30年(5)

今回で東漢光武帝建武六年が終わります。 [二十七] 『資治通鑑』からです。 以前、馬援は隗囂が漢に対して二心を抱こうとしていると聞き、しばしば書を送って責譬(譴責して諭すこと)しました。しかし書を得た隗囂は更に怒りを増します(隗囂は馬援が東漢に…

東漢時代32 光武帝(三十二) 竇融 30年(4)

今回も東漢光武帝建武六年の続きです。 [二十六] 『資治通鑑』からです。 これより以前に竇融が弟の竇友を派遣して光武帝に上書しようとしました。その内容はこうです「臣は幸いにも先后の末属を託されることができ(『後漢書・竇融列伝(巻二十三)』による…

東漢時代31 光武帝(三十一) 馮異の進撃 30年(3)

今回も東漢光武帝建武六年の続きです。 [十七] 『後漢書・光武帝紀下』からです。 以前、楽浪の人・王調が郡を占拠して東漢に服従しませんでした。 秋、東漢が楽浪太守・王遵を派遣して王調を撃たせると、郡吏が王調を殺して投降しました。 [十八] 『後漢書…

東漢時代30 光武帝(三十) 隗囂離反 30年(2)

今回は東漢光武帝建武六年の続きです。 [五] 『資治通鑑』からです。 馮異が長安から雒陽に還って入朝しました。 光武帝が公卿に言いました「彼はわしが起兵(挙兵)した時の主簿だ(馮異は光武帝が挙兵して潁川を攻略した時に投降し、主簿に任命されました…

東漢時代29 光武帝(二十九) 公孫述 30年(1)

今回は東漢光武帝建武六年です。五回に分けます。 東漢光武帝建武六年 庚寅 30年 [一] 『後漢書・光武帝紀下』と『資治通鑑』からです。 春正月丙辰(十六日)、舂陵郷を章陵県に改め、豊や沛のように世世(代々)徭役を免じることにしました(復傜役,無有…

新年と目標

明けましておめでとうございます。 あっという間に2017年が終わり、2018年になりました。 昨年の正月はこう書きました。 今年の目標: 春節明けから西漢時代を開始。 年内で西漢・東漢を終わらせて、来年(2018年)は魏晋南北朝。 2020年までには『資治通鑑…