2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

東漢時代339 献帝(二十一) 馬騰 韓遂 194年(1)

今回は東漢献帝興平元年です。七回に分けます。 東漢献帝興平元年 甲戌 194年 [一] 『後漢書・孝献帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月辛酉(十三日)、天下に大赦し、初平五年から興平元年に改元しました。 [二] 『後漢書・孝献帝紀』と『資治通鑑』から…

東漢時代338 献帝(二十) 劉虞の死 193年(3)

今回で東漢献帝初平四年が終わります。 [二十四] 『後漢書・孝献帝紀』と『資治通鑑』からです。 大司馬・劉虞と公孫瓉の関係がますます悪化しました。 当時は公孫瓉がしばしば袁紹と攻撃し合っており、劉虞がこれを禁じても止められなかったため、劉虞は(…

東漢時代337 献帝(十九) 徐州討伐 193年(2)

今回は東漢献帝初平四年の続きです。 [十四] 『後漢書・孝献帝紀』と『資治通鑑』からです。 下邳の人・闕宣(『資治通鑑』では「下邳・闕宣」、『後漢書・孝献帝紀』では「下邳賊・闕宣」です。『資治通鑑』胡三省注によると、闕氏は「闕党の童子」の後を継…

東漢時代336 献帝(十八) 陶謙 193年(1)

今回は東漢献帝初平四年です。三回に分けます。 東漢献帝初平四年 癸酉 193年 [一] 『後漢書・孝献帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月甲寅朔、日食がありました。 『孝献帝紀』の注と『欽定四庫全書・後漢記』によると、未晡八刻(「晡」の八刻前。「晡…

東漢時代335 献帝(十七) 青州兵 192年(5)

今回で東漢献帝初平三年が終わります。 [十八] 『後漢書・孝献帝紀』と『資治通鑑』からです。 十二月、太尉・皇甫嵩を罷免し、光禄大夫・周忠を太尉にして尚書の主管に参与させました(参録尚書事。司徒・淳于嘉、司空・楊彪と今回太尉になった周忠の三人で…

東漢時代334 献帝(十六) 王允の死 192年(4)

今回も東漢献帝初平三年の続きです。 [九(続き)] 六月戊午(初一日)、叟兵(蜀兵)が李傕の兵衆を城内に招き入れ、(李傕が)兵を放って虜掠(略奪)させました。 呂布が城中で戦いましたが、勝てなかったため、董卓の頭を馬鞍に繋げ、数百騎を率いて城外に逃…

東漢時代333 献帝(十五) 李傕等の反撃 192年(3)

今回も東漢献帝初平三年の続きです。 [七] 『三国志・魏書一・武帝紀(裴松之注含む)』と『資治通鑑』からです。 青州の黄巾が兗州を侵しました。その衆は百万もおり、任城相・鄭遂を殺してから転じて東平に入りました。 兗州刺史・劉岱がこれを撃とうと欲…

東漢時代332 献帝(十四) 董卓誅滅 192年(2)

今回は東漢献帝初平三年の続きです。 [六] 『後漢書・孝献帝紀』と『資治通鑑』からです。 董卓が弟・董旻を左将軍に、兄の子・董璜を中軍校尉に任命しました。どちらも兵事を担当します。 董卓の宗族内外(遠近の宗族)がそろって朝廷に列しました。 董卓の…

東漢時代331 献帝(十三) 界橋の戦い 192年(1)

今回は東漢献帝初平三年です。五回に分けます。 東漢献帝初平三年 壬申 192年 [一] 『後漢書・孝献帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月丁丑(中華書局『白話資治通鑑』は「丁丑」を恐らく誤りとしています)、天下に大赦しました。 [二] 『後漢書・孝献帝…

東漢時代330 献帝(十二) 管寧、邴原、王烈 191年(7)

今回で東漢献帝初平二年が終わります。 [十九] 『資治通鑑』からです。 公孫度の威が海外に行われ、中国の人士で乱を避けた者の多くが帰順しました。 北海の人・管寧、邴原、王烈が皆、公孫度を頼りに行きます。 管寧は若い頃、華歆と友人になりました。 か…

東漢時代329 献帝(十一) 孫堅の死 191年(6)

今回も東漢献帝初平二年の続きです。 [十六] 『資治通鑑』からです。 袁術が南陽に入った時は数百万の戸口がありましたが、袁術が驕奢淫逸で欲をほしいままにし、税の徴収にも限度がなかったため、百姓がこれを苦にして徐々に離散していきました。 袁術と袁…

東漢時代 劉備登場

東漢献帝初平二年(191年)に劉備が登場しました。 東漢時代328 献帝(十) 劉備登場 191年(5) ここでは『三国志・蜀書二・先主伝』を元に劉備について書きます。 先主(三国・蜀の初代皇帝。『先主伝』は以下全て「先主」と書いていますが、ここでは「劉備」…

東漢時代328 献帝(十) 劉備登場 191年(5)

今回も東漢献帝初平二年の続きです。 [十四] 『資治通鑑』からです。 劉虞の子・劉和は侍中として献帝に仕えていました。 献帝は東に帰りたいと思っていたため、劉和を董卓から逃れさせ(原文「使和偽逃董卓」。董卓を騙して長安から逃れさせたのだと思いま…

東漢時代327 献帝(九) 韓馥の死 191年(4)

今回も東漢献帝初平二年の続きです。 [八(続き)] これ以前に韓馥の従事・趙浮と程渙が強弩一万張を指揮して孟津に駐屯していましたが、韓馥が袁紹に冀州を譲ると聞き、兵を率いて馳せ還りました。 この時、袁紹は朝歌の清水(『資治通鑑』胡三省注によると、…

東漢時代326 献帝(八) 袁紹と韓馥 191年(3)

今回も東漢献帝初平二年の続きです。 [五] 『後漢書・孝献帝紀』『三国志・魏書一・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 夏四月、董卓が長安に入りました。 以下、『資治通鑑』からです。 公卿が皆、出迎えて車の下で拝しました。 董卓が御史中丞・皇甫嵩の手…

東漢時代325 献帝(七) 孫堅入洛 191年(2)

今回は東漢献帝初平二年の続きです。 [四(続き)] 本文に戻ります。 ある人が袁術に言いました「孫堅がもしも雒を得たら、今後、制御できなくなります(不可復制)。これは狼を除いて虎を得るというものです。」 袁術は孫堅を疑って軍糧の輸送を止めました。 …