秦楚時代

秦楚時代18 秦二世皇帝(九) 趙高と李斯 前208年(4)

今回も秦二世皇帝二年の続きです。 [十五] 『資治通鑑』からです。 秋七月、大雨が三日以上続きました(大霖雨。霖雨は三日以上の雨の意味)。 『史記・秦楚之際月表』では「天が大雨を降らせ、三カ月にわたって星が見えなかった」としています。 『漢書・高…

秦楚時代17 秦二世皇帝(八) 楚懐王即位 前208年(3)

今回も秦二世皇帝二年三月の続きからです。 [十三] 『史記・項羽本紀』『高祖本紀』と『資治通鑑』からです。 広陵の人・召平が陳王・陳勝のために広陵を攻めていましたが攻略できませんでした。 『資治通鑑』胡三省注によると、召氏は西周文王の子にあたる…

秦楚時代16 秦二世皇帝(七) 陳勝の死 前208年(2)

秦二世皇帝二年の続きです。 [七] 『資治通鑑』と『史記・陳渉世家』からです。 秦二世皇帝が長史・司馬欣と都尉・董翳を増派して章邯を援けさせました。 章邯は秦の上将として東討中です。 『資治通鑑』胡三省注によると飂叔安の裔子・董父がうまく龍を操っ…

秦楚時代15 秦二世皇帝(六) 李斯の進言 前208年(1)

今回から秦二世皇帝二年です。六回に分けます。 秦二世皇帝二年 前208年 癸巳 『史記・高祖本紀』が当時の状況を簡単に書いています。 「秦二世皇帝二年(実際は元年)、陳渉の将・周章が軍を西に進めて戲に至ったが、引き返した。燕(韓広)、趙(武臣)、…

秦楚時代14 秦二世皇帝(五) 項羽登場 前209年(5)

秦二世皇帝元年九月の続きです。 [十五] 『史記・項羽本紀』と『資治通鑑』からです。一部、『漢書・陳勝項籍伝』も参考にします。 下相の人・項梁も呉で挙兵しました。 項氏は代々楚将となり、項(地名)に封じられたため、項を氏にしました。 楚が滅亡した時…

秦楚時代13 秦二世皇帝(四) 劉邦登場 前209年(4)

秦二世皇帝元年の続きです。 [十三] 『資治通鑑』からです。 張耳と陳餘は邯鄲に入った時、周章が退却したと知りました。 また、陳王のために各地を攻略した諸将でも、多くの者が帰還してから讒毀(讒言誹謗)によって罪を得て誅殺されたと聞きました。 そこ…

秦楚時代11 秦二世皇帝(二) 陳勝・呉広の蜂起 前209年(2)

秦二世皇帝元年の続きです。 [七] 『史記・秦始皇本紀』からです。 四月、巡行していた二世皇帝が咸陽に帰って言いました「先帝は咸陽の朝廷が小さかったから阿房宮を建造した。しかし室堂が完成する前に上(始皇帝)は崩じ、(阿房宮の建造を)中止して酈山…

秦楚時代10 秦二世皇帝(一) 粛清 前209年(1)

今回から秦二世皇帝の時代です。『史記・秦始皇本紀』『項羽本紀』『高祖本紀』と『資治通鑑』を主要な史料とします。 秦二世皇帝 秦二世皇帝は名を胡亥といい、始皇帝の少子です。『史記・高祖本紀』の注釈(索隠)によると、趙高は二世皇帝のために十七人…

秦楚時代9 秦始皇帝(九) 胡亥即位 前210年(2)

秦始皇帝三十七年の続きです。 [三] 趙高と李斯は始皇帝の書を偽造して長子・扶蘇に送り、罪を責めました。『史記・李斯列伝(巻八十七)』から書の内容です「朕は天下を巡行し、寿命を延ばすために名山諸神を祷祠(祈祷祭祀)した。今、扶蘇と将軍・蒙恬は師…

秦楚時代8 秦始皇帝(八) 始皇帝の死 前210年(1)

今回は秦始皇帝最後の年です。二回に分けます。 秦始皇帝三十七年 前210年 辛卯 [一] 『秦始皇本紀』と『資治通鑑』からです。 冬十月癸丑(中華書局『白話資治通鑑』によると恐らく誤り)、始皇帝が出遊しました。左丞相・李斯が従い、右丞相・馮去疾が咸陽…

秦楚時代7 秦始皇帝(七) 坑儒 前212~211年

今回は秦始皇帝三十五年と三十六年です。 秦始皇帝三十五年 前212年 己丑 [一] 『史記・秦始皇本紀』と『資治通鑑』からです。 朝廷が蒙恬に直道(軍事用の大道)を開かせました。九原を通って雲陽に至ります。山を削って谷を埋め、長さは千八百里に及びまし…

秦楚時代6 秦始皇帝(六) 焚書 前213年

今回は秦始皇帝三十四年です。 秦始皇帝三十四年 前213年 戊子 [一] 『史記・秦始皇本紀』と『資治通鑑』からです。 獄吏で不直な者、罪があると知りながら判決を覆して罪人を放った者(覆獄故)、誤った裁きを下した者(失者)を謫治(懲罰)し、長城建築に…

秦楚時代5 秦始皇帝(五) 南征北伐 前214年

今回は秦始皇帝三十三年です。 秦始皇帝三十三年 前214年 丁亥 [一] 『資治通鑑』からです(下述する南方征伐と順番を入れ替えています)。 蒙恬が匈奴を駆逐して河南の地を攻略し、四十四県を置きました。 匈奴を防ぐために長城を築きます。地形に基いて険…

秦楚時代4 秦始皇帝(四) 始皇帝暗殺未遂事件 前218~215年

今回は秦始皇帝二十九年から三十三年までです。 秦始皇帝二十九年 前218年 癸未 [一] 始皇帝が東游しました。 そこで韓人・張良による始皇帝暗殺未遂事件が起きます。 以下、『資治通鑑』『史記・留侯(張良)世家』『漢書・張陳王周伝(巻四十)』からです。 …

秦楚時代3 秦始皇帝(三) 封禅 前220~219年

今回は秦始皇帝二十七年と二十八年です。 秦始皇帝二十七年 前220年 辛巳 [一] 『史記・秦始皇本紀』と『資治通鑑』からです。 秦始皇帝が隴西、北地を巡遊し、雞頭山に至って還る途中、回中(回中宮)を通りました。 [二] 『史記・秦始皇本紀』と『資治通鑑…

秦楚時代2 秦始皇帝(二) 始皇帝の政治 前221年(2)

秦始皇帝二十六年の続きです。 [三] 『史記・秦始皇本紀』と『資治通鑑』からです。 丞相・王綰等が始皇帝に言いました「諸侯を破ったばかりで、燕、斉、荊(楚)の地は遠いので、王を置かなければ鎮められません。諸子を立てることを許可してください。」 …

秦楚時代1 秦始皇帝(一) 皇帝誕生 前221年(1)

秦王・政二十六年(前221年)、秦が天下を統一しました。今回から秦帝国に入ります。 秦始皇帝 姓は嬴、名は政といい、秦荘襄王の子です。 秦始皇帝二十六年 前221年 庚辰 [一] 秦王・政は天下を併合してから、自らの徳が三皇を兼ね、功が五帝を越えていると…

秦楚時代目録

秦楚時代の目録です。 本編 秦楚時代に入る前に 秦楚時代1 秦始皇帝(一) 皇帝誕生 前221年(1) 秦楚時代2 秦始皇帝(二) 始皇帝の政治 前221年(2) 秦楚時代3 秦始皇帝(三) 封禅 前220~219年 秦楚時代4 秦始皇帝(四) 始皇帝暗殺未遂事件 前218~215年 秦楚時代…

秦楚時代に入る前に

今回から秦楚時代に入ります。 秦の統一と政治 約五百五十年にわたる春秋戦国の分裂を統一し、中国最初の大帝国を築いたのは、かつては西方の後進国とみなされていた秦でした。 秦王・政は中国史上初めて「皇帝」と称します。これが秦の始皇帝です。 天下を…