秦楚時代

秦楚時代46 西楚覇王(二十) 垓下の戦い(後) 前202年(2)

今回は西楚覇王五年、漢王五年の続きです。秦楚時代が終わります。 [一(続き)] 項王は再び兵を率いて東に戻り、東城に至りました。二十八騎が従っています。 追撃する漢軍の騎者は数千人です。 項王は逃れられないと判断し、騎兵達にこう言いました「わしは…

秦楚時代45 西楚覇王(十九) 垓下の戦い(前) 前202年(1)

今回は西楚覇王五年、漢王五年です。二回に分けます。 西楚覇王五年 漢王五年 前202年 己亥 [一] 『漢書・高帝紀』『史記・項羽本紀』と『資治通鑑』からです。 冬十月(歳首)、漢王・劉邦が項羽を追撃して陽夏南に至りました。そこで軍を止めて、斉王・韓…

秦楚時代44 西楚覇王(十八) 楚漢講和 前203年(4)

今回で西楚覇王四年、漢王四年が終わります。 [八] 『資治通鑑』からです。 秋七月、漢が黥布を淮南王に立てました。 『史記・高祖本紀』と『漢興以来諸侯王年表』によると、諡号は「武王」というようです。 [九] 『資治通鑑』からです。 八月、北貉と燕の人…

秦楚時代43 西楚覇王(十七) 蒯徹の進言 前203年(3)

今回も西楚覇王四年、漢王四年の続きです。 [七] 『資治通鑑』からです。 項王(項羽)は龍且が死んだと聞いて大いに懼れました。 そこで、盱台人・武渉を斉に派遣しました。 武渉が斉王・韓信に言いました「天下が共に秦のために苦しんで久しかったため、勠…

秦楚時代42 西楚覇王(十六) 斉平定 前203年(2)

今回は西楚覇王四年、漢王四年の続きです。 [三] 韓信が斉都・臨淄を平定してから東に向かって斉王・田広を追撃しました。 項王(項羽)は韓信が既に華北を平定し、斉・趙を破り、楚を撃とうとしていると聞き、斉王を助けるために龍且を派遣しました。二十万…

秦楚時代41 西楚覇王(十五) 楚漢の対峙 前203年(1)

今回は西楚覇王四年、漢王四年です。四回に分けます。 西楚覇王四年 漢王四年 前203年 戊戌 [一] 『資治通鑑』からです。 冬十月、韓信が歴下を守る斉軍を襲って破り、斉都・臨淄に至りました。 斉王・田広は酈生(酈食其)が自分を売ったと判断して烹(釜茹…

秦楚時代40 西楚覇王(十四) 斉の帰順 前204年(4)

今回も西楚覇王三年、漢王三年の続きです。 [八] 『漢書・高帝紀』と『資治通鑑』からです。 秋七月、孛星が大角に現れました。 孛は彗星、異星を指し、兵乱を象徴します。大角は天王の帝廷(朝廷)といわれる星です。 [九] 『資治通鑑』からです。 項羽が立…

秦楚時代39 西楚覇王(十三) 范増の死 前204年(3)

今回も西楚覇王三年、漢王三年の続きです。 [五] 『資治通鑑』からです。 漢王・劉邦が陳平に問いました「天下が紛紛(混乱している様子)としているが、いつになったら定まるだろう。」 陳平が言いました「項王の骨鯁の臣(剛直な臣)には亜父(范増)、鍾…

秦楚時代38 西楚覇王(十二) 黥布謀叛 前204年(2)

今回は西楚覇王三年、漢王三年十月の続きからです。 [二] 『漢書・高帝紀』と『資治通鑑』からです。 甲戌晦、日食がありました。 十一月癸卯晦にも日食がありました。 中華書局の『白話資治通鑑』は二回の日食の日(十月甲戌晦と十一月癸卯晦)を恐らく誤り…

秦楚時代37 西楚覇王(十一) 背水の陣 前204年(1)

今回は西楚覇王三年、漢王三年です。四回に分けます。 西楚覇王三年 漢王三年 前204年 丁酉 [一] 『資治通鑑』からです。 冬十月(歳首)、漢の韓信と張耳が数万の兵を率いて東進し、趙を攻撃しました。 それを聞いた趙王・歇と成安君(代王)・陳余は井陘口…

秦楚時代36 西楚覇王(十) 劉邦再起 前205年(3)

今回で西楚覇王二年、漢王二年が終わります。 [十八] 『史記・高祖本紀』『史記・項羽本紀』と『資治通鑑』からです。 五月、漢王・劉邦が滎陽に至りました。 敗戦した諸軍が全て合流します。 蕭何も関中の老弱未傅の者(服役の義務から外れている老人や未成…

秦楚時代35 西楚覇王(九) 彭城の戦い 前205年(2)

今回は西楚覇王二年、漢王二年の続きです。 [十五] 『史記・項羽本紀』『史記・高祖本紀』と『資治通鑑』からです。 田栄の弟・田横が散卒を集めて数万人を得ました。城陽で挙兵します。 夏四月、田横が田栄の子・田広を斉王に立てて楚に対抗しました。 項王…

秦楚時代34 西楚覇王(八) 劉邦の進撃 前205年(1)

今回は西楚覇王二年、漢王二年です。三回に分けます。 西楚覇王二年 漢王二年 前205年 丙申 [一] 『資治通鑑』からです。 冬十月(歳首)、項王(項羽)が秘かに九江王・黥布、衡山王・呉芮、臨江王・共敖に命じて義帝を襲わせ、江中(郴)で殺しました。 こ…

秦楚時代33 西楚覇王(七) 劉邦東進 前206年(7)

今回で西楚覇王元年、漢王元年が終わります。 [十四(続き)] 『史記・高祖本紀』にはもう一人の韓信が登場します。通常は大将になった韓信と分けるため、韓王・信と呼ばれています。 まず『史記・韓信盧綰列伝(巻九十三)』から韓王・信について紹介します。…

秦楚時代32 西楚覇王(六) 韓信登場 前206年(6)

今回も西楚覇王元年、漢王元年の続きです。 [十四] 『資治通鑑』からです。 淮陰の人・韓信は家が貧しく善行もなかったため(無行)、官吏に選ばれることなく、商賈(商業)で生計を立てることもできず、常に人に頼って飲食を得ており、多くの人から嫌われて…

秦楚時代31 西楚覇王(五) 反項羽の動き 前206年(5)

今回も西楚覇王元年、漢王元年の続きです。 [九] 『資治通鑑』からです。 漢王に封じられた劉邦が怒って項羽を攻撃しようとしました。 周勃、灌嬰、樊噲も劉邦に挙兵を勧めます。 『資治通鑑』胡三省注によると、灌氏は斟灌氏(夏代の諸侯)の子孫です。 蕭…

秦楚時代30 西楚覇王(四) 項羽の封王 前206年(4)

今回も西楚覇王元年、漢王元年の続きです。 [八] 『史記・項羽本紀』『史記・高祖本紀』と『資治通鑑』からです。 項羽が人を送って楚懐王の命を聴きました。 懐王は「約束の通りにせよ(如約)」と答えます。 先に関中に入った沛公・劉邦が関中の王になるべ…

秦楚時代 秦略史

紀元前206年に秦が滅亡しました。 秦楚時代27 西楚覇王(一) 秦滅亡 前206年(1) 『史記・秦始皇本紀』が本文の後ろに秦の略史を記載しています。本編とは異なる部分もあるので、ここで紹介します。 襄公が立ちました。享国(国を治めること。在位)十二年です…

秦楚時代 過秦論(中)

西漢・賈誼の「過秦論』を紹介しています。 秦楚時代 過秦論(上) 今回は中編です。下篇とまとめて一篇とすることもあります。 「過秦中」 秦は周祀(周の祭祀。周王朝)を滅ぼし、海内を併せ、諸侯を兼併し、南面して帝を称し、四海(天下)を養った。天下の…

秦楚時代29 西楚覇王(三) 鴻門の会(後) 前206年(3)

西楚覇王元年、漢王元年十二月の続きからです。 [六(続き)] 翌朝、沛公・劉邦が百余騎を率いて鴻門に行き、項羽に謝罪して言いました「臣と将軍は戮力(協力)して秦を攻め、将軍は河北で戦い、臣は河南で戦ってから図らずも先に関に入って秦を破り、また…

秦楚時代28 西楚覇王(二) 鴻門の会(前) 前206年(2)

西楚覇王元年、漢王元年の続きです。 [五] 『史記・項羽本紀』と『資治通鑑』からです。 項羽は河北を平定してから諸侯の兵を率いて西の関中に向い、新安に至りました。 『漢書・陳勝項籍伝』には「項羽は諸侯の兵三十余万を率いていた」とあります。しかし…

秦楚時代27 西楚覇王(一) 秦滅亡 前206年(1)

今回は秦最後の年です。西楚覇王(項羽)元年、漢王(劉邦)元年になります。七回に分けます。 秦王子嬰元年 西楚覇王元年 漢王元年 前206年 乙未 [一] 『漢書・高帝紀』に「(漢高帝)元年冬十月(歳首)、五星が東井(井宿。二十八宿の一つ)に集まる」と…

秦楚時代26 秦二世皇帝(十七) 二世皇帝の死 前207年(6)

今回で秦二世皇帝三年が終わります。 [十三(続き)] 以下、『秦始皇本紀』と『資治通鑑』からです。 この頃、二世皇帝がある夢を見ました。白虎が左驂馬(馬車の左の馬)に噛みついて殺してしまうという夢です。 目がさめた二世皇帝は心中不快になり、不思…

秦楚時代25 秦二世皇帝(十六) 鹿と馬 前207年(5)

今回も秦二世皇帝三年の続きです。 [十三] 秦の中丞相(宦官の趙高は禁中に出入りできたので中丞相というようです)・趙高が秦の政権を独占しようとしました。しかし群臣が従わない恐れがあるため、策を用いて試してみることにしました。 趙高は鹿を連れて二…

秦楚時代24 秦二世皇帝(十五) 章邯投降 前207年(4)

今回も秦二世皇帝三年の続きです。 [十] 『史記・高祖本紀』と『資治通鑑』からです。 夏四月、沛公・劉邦が南の潁川(潁川郡。陽翟が治所。『秦楚之際月表』では「潁川」ではなく「潁陽」)を攻めて屠しました(皆殺しにしました)。 張良(韓国の相の家系…

秦楚時代23 秦二世皇帝(十四) 彭越 酈食其 前207年(3)

今回も秦二世皇帝三年の続きです。 [七] 『史記・高祖本紀』と『資治通鑑』からです。 春二月、沛公・劉邦が北(『資治通鑑』では「北」。『漢書・高帝紀』では「碭から北に向かって」。『史記・高祖本紀』では「西」)の昌邑を攻撃しました。そこで彭越に遇…

秦楚時代22 秦二世皇帝(十三) 鉅鹿の戦い 前207年(2)

今回は秦二世皇帝三年十二月の続きです。 [六] 『史記・項羽本紀』と『資治通鑑』からです。 秦将・章邯が甬道を築いて河(漳水)に繋げ、王離に食糧を送りました。 甬道というのは壁や屋根に守られた道です。『資治通鑑』胡三省注によると、輸送中の食糧を…

秦楚時代21 秦二世皇帝(十二) 項羽の簒権 前207年(1)

今回から秦二世皇帝三年です。六回に分けます。 秦二世皇帝三年 前207年 甲午 [一] 『資治通鑑』からです。 冬十月、斉将・田都が田栄の指示に背き、楚を助けて趙を救いに行きました。 『史記・秦楚之際月表』によると、秦二世皇帝二年(前年)九月、項羽が…

秦楚時代20 秦二世皇帝(十一) 項梁の死 前208年(6)

今回で秦二世皇帝二年が終わります。 [十九] 『史記・項羽本紀』『高祖本紀』と『資治通鑑』からです。 楚の項羽と沛公・劉邦は定陶を攻めていましたが、攻略できなかったため西の地を攻略しながら進み、雍丘に至りました。そこで秦軍と戦って大勝し、三川守…

秦楚時代19 秦二世皇帝(十) 李斯の死 前208年(5)

秦二世皇帝二年の続きです。 [十八(続き)] この頃、盗賊がますます増えていたため、東方の群盗を討伐するために関中で絶えず士卒が徴集されていました。 右丞相・馮去疾、左丞相・李斯、将軍・馮劫が諫言して言いました「関東で群盗が並起してから、秦は兵…