2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

戦国時代106 東周赧王(四十四) 侯嬴と朱亥 前258年(2)

今回は東周赧王五十七年の続きです。 [七] 魏の公子・無忌は仁の人で、士に対してもへりくだっていたため、三千人の食客が集まりました。以下、『史記・信陵君列伝(魏公子列伝・巻七十七)』と『資治通鑑』からです。 魏に侯嬴という隠士がいました。 『資…

戦国時代105 東周赧王(四十三) 毛遂自薦 前258年(1)

今回は東周赧王五十七年です。二回に分けます。 赧王五十七年 前258年 癸卯 [一] 正月、秦の王陵が趙都・邯鄲を攻撃しました。 しかし王陵は邯鄲攻撃にてこずり、大きな勝利を得ることができませんでした。 秦は兵を増やして王陵を援けましたが、王陵は五校…

戦国時代104 東周赧王(四十二) 孔斌 前259年(2)

今回は東周赧王五十六年の続きです。 [四] 秦が趙を攻撃した時、魏王が諸大夫の意見を求めました。諸大夫は秦による趙攻撃は魏に利があると言います。 孔斌が諸大夫に「それはなぜだ?」と問いました。 諸大夫が言いました「秦が趙に勝ったら我々は秦に服せ…

戦国時代103 東周赧王(四十一) 范睢と白起 前259年(1)

今回は東周赧王五十六年です。二回に分けます。 赧王五十六年 前259年 壬寅 [一] 十月(秦の歳首)、秦の武安君・白起が軍を三つに分けました。 王齕が趙の武安と皮牢を攻めて攻略し、司馬梗が北に向かって太原を平定します。上党の地が全て秦の支配下に入り…

戦国時代102 東周赧王(四十) 長平の戦い 前260年

今回は東周赧王五十五年です。 赧王五十五年 前260年 辛丑 [一] 秦の左庶長・王齕が上党(前回参照)を攻めて攻略しました。上党の民は趙に奔ります。 趙の廉頗が長平に駐軍して上党の民を受け入れ、秦軍に対抗しました。 王齕が何回も趙軍を攻撃しましたが、…

戦国時代101 東周赧王(三十九) 上党 前264~261年

今回は東周赧王五十一年から五十四年までです。 赧王五十一年 前264年 丁酉 [一] 秦の武安君・白起が韓を攻めて九城を攻略し、五万を斬首しました。 これは『資治通鑑』の記述です。『史記・韓世家』によると、秦は韓の陘(汾水付近)を攻略し、汾水の傍に城…

戦国時代100 東周赧王(三十八) 趙の觸龍 前265年

今回は東周赧王五十年です。 赧王五十年 前265年 丙申 [一] 秦の宣太后が死にました。 九月、穰侯・魏冉が食邑の陶に遷りました。 魏冉は范雎によって政権を奪われました。 『資治通鑑』の編者・司馬光はこう書いています「穰侯は昭王の即位を援けて災害(内…

第六十八回 師曠が新声を聞き分け、陳氏が斉国を買う(後篇)

*今回は『東周列国志』第六十八回後編です。 斉の大夫・高蠆は高止を駆逐し、閭邱嬰を讒言で殺してから、朝廷中の不平を招きました。 やがて高蠆が死んで子の高彊が大夫を継ぎました。高彊はまだ若く、酒を愛していたため、同じく酒好きな欒施と意気投合し…

第六十八回 師曠が新声を聞き分け、陳氏が斉国を買う(中篇)

*今回は『東周列国志』第六十八回中編です。 晋平公が師涓に問いました「最近、新声があるか?」 師涓が言いました「道中でちょうど耳にしました。琴で演奏させてください。」 平公は左右の近臣に几(小さな机)と古桐の琴を用意させ、師涓の前に置きました…

第六十八回 師曠が新声を聞き分け、陳氏が斉国を買う(前篇)

第六十八回 虒祁を賀して師曠が新声を聞き分け、家財を散じて陳氏が斉国を買う (賀虒祁師曠辨新声 散家財陳氏買斉国) *今回は『東周列国志』第六十八回前編です。 楚霊王には一つの嗜好がありました。男女を問わず腰が細い者を愛し、腰が太い者は眼中の釘…

第六十七回 盧蒲癸が慶封を逐い、楚霊王が諸侯を集める(四)

*今回は『東周列国志』第六十七回その四です。 楚の公子・囲が帰国した時、楚王・熊麇は宮内で病にかかっていました。 公子・囲は入宮して病状を問い、密事を上奏する必要があるという理由で嬪侍(妃妾・侍女)を遠ざけると、冠纓(冠の紐)を解いて熊麇の…

第六十七回 盧蒲癸が慶封を逐い、楚霊王が諸侯を集める(三)

*今回は『東周列国志』第六十七回その三です。 周景王二年、蔡景公が世子・般のために楚女・羋氏を娶りました。ところが景公は羋氏と私通します。 それを知った世子・般が怒って言いました「父が父らしくないのだから、子も子らしくある必要はない!」 世子…

第六十七回 盧蒲癸が慶封を逐い、楚霊王が諸侯を集める(二)

*今回は『東周列国志』第六十七回その二です。 当日、斉景公が太廟で嘗祭の儀式を行いました。諸大夫が従っています。 慶舍も祭祀に臨み、慶繩が主宰して爵(酒器)を献上しました。 慶氏の家甲が廟宮を囲んで守ります。 盧蒲癸と王何は寝戈(護身用の武器…

第六十七回 盧蒲癸が慶封を逐い、楚霊王が諸侯を集める(一)

第六十七回 盧蒲癸が計を用いて慶封を逐い、楚霊王が大いに諸侯を集める (盧蒲癸計逐慶封 楚霊王大合諸侯) *今回は『東周列国志』第六十七回その一です。 周霊王の長子は名を晋、字を子喬といい、聡明天縦(天から与えられた才があること)でした。笙を得…

第六十六回 甯喜を殺して子鱄が出奔し、崔杼を戮して慶封が相になる(後篇)

*今回は『東周列国志』第六十六回後編です。 崔成と崔疆は盧蒲嫳の兵が来たのを見ると、門を閉じて守りを固めようとしました。しかし盧蒲嫳がこう言いました「私は左相の命を奉じて来ました。子(汝)を利すためであり、子を害すためではありません。」 崔成…

第六十六回 甯喜を殺して子鱄が出奔し、崔杼を戮して慶封が相になる(中篇)

*今回は『東周列国志』第六十六回中編です。 周霊王二十六年、寧喜が春宴の準備をしました。 それを知って公孫無地が公孫免餘に言いました「寧氏が春宴を開こうとしています。備えがないはずなので、まず、私に先行させて、子(あなた)が後に続いてくださ…

第六十六回 甯喜を殺して子鱄が出奔し、崔杼を戮して慶封が相になる(前篇)

第六十六回 甯喜を殺して子鱄が出奔し、崔杼を戮して慶封が独り相になる (殺甯喜子鱄出奔 戮崔杼慶封独相) *今回は『東周列国志』第六十六回前編です。 殖綽が選卒(精鋭)千人を率いて晋の戍(守備兵)を襲いました。三百人はあっという間に滅ぼされます…

第六十五回 崔慶が斉光を弑殺し、甯喜が衛衎を入れる(後編)

*今回は『東周列国志』第六十五回後編です。 当時、孫林父は年老いていたため庶長子の孫蒯と共に戚に住んでいました。二子の孫嘉と孫襄が朝廷に残っています。 周霊王二十五年春二月、孫嘉が殤公の命を受けて斉を聘問しました。孫襄だけが朝廷を守ります。 …

第六十五回 崔慶が斉光を弑殺し、甯喜が衛衎を入れる(中編)

*今回は『東周列国志』第六十五回中編です。 この時、莒の黎比公はまだ斉国にいました。 崔杼と慶封が景公を奉じて黎比公と盟を結び、黎比公は莒に帰国します。 崔杼は棠無咎に命じて州綽、賈挙等の死体を回収させ、荘公と一緒に北郭に埋葬しました。葬礼を…

第六十五回 崔慶が斉光を弑殺し、甯喜が衛衎を入れる(前編)

第六十五回 斉光を弑殺して崔慶が専権し、衛衎を入れて甯喜が擅政する (弑斉光崔慶専権 納衛衎甯喜擅政) *今回は『東周列国志』第六十五回前編です。 周霊王二十三年夏五月、莒の黎比公が斉侯に毎年来朝すると約束したため、自ら臨淄を訪れて斉に朝見しま…