西周時代

西周時代11 成王(四) 魯の伯禽

西周成王八年の続きです。 [四] 周公・旦は魯に封じられていましたが、成王を補佐するため、封国には行きませんでした。成王は周公・旦の子・伯禽を魯に送りました(『史記・魯周公世家』は管蔡等が叛乱を起こした時、周公が封国に行けないため、伯禽を魯に…

西周時代10 成王(三) 親政開始

今回も西周成王の続きです。 成王八年 親政元年 『資治通鑑外紀』によると癸巳の年です。 [一] 春正月朔(初一日)、成王が親政を始めました。 以下、『史記・魯周公世家』からです。 周公は若い成王の政治が荒淫放蕩に奔ることを恐れて『毋逸(『尚書』で…

西周時代32 幽王(二)申侯・犬戎の乱(前774~771年)

今回で西周時代が終わります。 幽王八年 丁卯 前774年 [一] 幽王が鄭伯・多父(桓公・友)を司徒に任命しました。周の民が和し、皆、その政治を喜びました。 [二] 幽王が虢石父と褒姒の讒言を信じて申后と太子・宜臼を廃しました。褒姒が王后に、その子・伯…

西周時代31 幽王(一)美女・褒姒(前781~775年)

今回から幽王の時代です。二回に分けます 幽王 宣王が死んで子の宮湦(または「宮涅」「宮生」)が即位しました。西周最後の王となる幽王です。 幽王元年 庚申 前781年 [一] 春正月、幽王が即位しました。 幽王が太師(大師)・尹氏と皇父に命を下して政治を…

西周時代30 宣王(四) 太原料民 杜伯殺害(前795~782年)

今回で宣王の時代が終わります。 宣王三十三年 丙午 前795年 [一] 斉の成公・説(または「脱」)が九年で死に、子の荘公・購(または「贖」)が継ぎました。 [二] 『今本竹書紀年』『資治通鑑外紀』はこの年に王師(周王の軍)が太原の戎を攻めて失敗し…

西周時代29 宣王(三) 魯の内争(前807~796年)

今回も宣王の時代です。 宣王二十一年 甲午前807年 [一] 魯懿公九年、公子・伯御が国人と共に懿公・戯を攻めて殺しました。伯御は懿公の兄・括(宣王八年、十二年参照)の子です。 伯御が魯君の位に即きましたが、周王室がその地位を認めなかったため、諡号…

西周時代28 宣王(二) 魯の後継者(前821~808年)

今回は宣王時代の続きです。 宣王七年 庚辰 前821年 [一] 宣王が申伯を謝邑に封じて南方の藩屏にしました。『詩経・大雅・崧高』は申伯を称える詩です。 [二] 宣王が樊侯・仲山甫を東方に送り、斉に城を築かせました。『詩経・大雅・烝民』にこの時のこ…

西周時代27 宣王(一) 宣王中興(前827~822年)

今回から宣王の時代です。年数は今まで通り『竹書紀年』(今本)を参考にします。『資治通鑑外紀』『資治通鑑前編』にはことなる年数が記載されているので、別の表にまとめます。 宣王 厲王が死に太子・靖(または「静」)が即位しました。これを宣王といい…

西周時代26 共和(二) 共和年間(前841~828年)

今回は共和時代です。 厲王十三年 共和元年 庚申 前841年 [一] 厲王が彘に亡命したため、共和時代が始まりました。厲王亡命の翌年が共和元年です。西暦紀元前841年にあたります。 『竹書紀年』(今本)によると、執政をすることになった共伯・和は行いを正し…

西周時代25 共和(一) 信史時代 諸侯の状況

今回から共和時代です。 共和時代は中国史において非常に重要な意味を持ちます。それは共和元年から正確な年が分かるようになるからです。 恐らく「国人暴動」によってそれ以前に作られた多くの史書が紛失したのだといわれています。厲王出奔以前の出来事を…

西周時代24 厲王(二) 国人暴動

今回も厲王の時代です。大きな暴動が起きます。 八年 [一] 厲王は暴虐なうえ奢侈を極めました。『帝王世紀』によると、厲王は酒色にも溺れていたようです(厲王荒沈於酒,淫於婦人)。そのため国人が厲王を謗るようになりました。 厲王の卿士である召公・虎…

西周時代23 厲王(一) 栄夷公

今回から厲王の時代です。今まで通り、在位年数は『竹書紀年』(今本)を参考にします。『資治通鑑前編』には異なる年数が使われていますが、併記すると繁雑になるので別途年表にまとめます。 厲王 夷王が死んで子の厲王が立ちました。名は胡です。 後に彘に…

西周時代22 夷王 楚熊渠

今回は夷王の時代です。 夷王 孝王が死に、懿王の太子・燮が諸侯に擁立されました。これを夷王といいます。 元年 庚子。または乙丑、丁卯。 [一] 春正月、夷王が即位しました。 諸侯が来朝すると、夷王は堂を下りて諸侯と「抗礼(平等な礼)」を行いました…

西周時代21 孝王

今回は孝王の時代です。 孝王 懿王が死んで恭王の弟(または「懿王の弟」)・辟方が立ちました。これを孝王といいます。 元年 辛卯。または庚戌、壬子。 [一] 春正月、孝王が即位しました。 [二] 『竹書紀年』(今本)によると、この年、孝王が申侯に命…

西周時代20 懿王

今回は懿王の時代です。 懿王 恭王(共王)が死んで子の懿王が立ちました。名は囏(または「堅」)です。 元年 丙寅。または乙酉、丁亥。 [一] 春正月、懿王が即位しました。 [二] 鄭で「天再旦」という現象が見られました。「天再旦」とは一日に太陽が二回…

西周時代19 恭王

今回は恭王の時代です。 恭王 穆王が死んで子の恭王が立ちました。恭王は共王とも書かれます。名を繄扈(または「伊扈」)です。 元年 甲寅。または乙亥。 [一] 春正月、恭王が即位しました。 四年 [一] 恭王が密を滅ぼしました。 恭王が涇水で遊んだ時、密…

西周時代18 穆王(三) 呂刑

今回で穆王時代が終わります。 三十七年 [一] 穆王が九師を大挙して東征(南征)し、九江に至りました。この時、黿鼉(亀や鰐)を大量に捕まえて橋を架けたといわれています。 周軍は越を討って紆に至りました。 これは『今本竹書紀年』の記述です。『古本竹…

西周時代18 穆王(二) 徐偃王

今回は穆王時代の続きです。 十四年 [一] 穆王は宗周を安定させると徐夷への反撃を開始しました。楚子(楚国の主。子爵)に命じて徐国を討伐させます。造父が使者として楚に赴き、一日で到着しました。 周の王孫厲が楚子に徐夷討伐を説得する話が『淮南子・…

西周時代16 穆王(一) 犬戎征伐 造父

今回から穆王の時代です。三回に分けます。 今までと同じく、在位年数は主に『竹書紀年』(今本)を参考にしました。『資治通鑑前編』は異なる年数を用いていますが、併記すると繁雑になるので、別途年表にまとめます。 穆王 昭王が死んで子の満が立ちました…

西周時代15 昭王 南征失敗

今回は昭王の時代です。 昭王 康王が死んで子の昭王が立ちました。名は瑕です。 昭王の時代は王道が欠けて徳が衰えました。 元年 庚子。または己丑。 [一] 春正月、昭王が即位しました。 [二] 成王の時代(二十一年)に「治象(明文化された法令)」が廃され…

西周時代14 康王 成康の治

今回は西周康王の時代です。 康王 成王が死に、子の康王が即位しました。名は釗です。 元年 甲戌。または癸亥。 [一] 春正月、康王が即位しました。 冢宰・召公・奭に百官を統べさせました。 諸侯が豊宮(鄷宮)で康王に朝見しました。 魯侯・伯禽、唐侯・…

西周時代13 成王(六) 成王の死

今回で西周成王の時代が終わります。 二十一年 [一] 「治象(明文化された法令)」を排除しました。 世の中が安定して法を犯す者がいなくなったという意味と、法治ではなく礼徳による政治(徳治)を行ったという意味があると思われます。 [二] 周公・旦…

西周時代12 成王(五)

今回も西周成王の時代です。 九年 [一] 春正月、成王が太廟を祭り、始めて「勺」を用いて天を祀りました。「勺」は「汋楽」ともよばれる音楽です。「勺」は「先祖の道を掬う」という意味のようです。 [二] 粛慎氏が来朝しました。 成王が栄伯(周と同姓の畿…

西周時代目録

西周時代の目録です。 本編 西周時代に入る前に 西周時代1 建国前(一) 后稷から亜圉まで 西周時代2 建国前(二) 古公亶父以降 西周時代3 武王(一) 即位 西周時代4 武王(二) 西周時代5 武王(三) 分封 西周時代6 武王(四) 西周時代7 武王(五) 西…

西周時代9 成王(二) 東都建設

今回は西周成王の時代の続きです。 四年 [一] 春正月、成王が始めて宗廟を参拝しました。 これは『竹書紀年』(今本)の記述です(春正月,初朝於廟)。『逸周書・嘗麦解』は孟夏(四月)に始めて宗廟を祈祷したとしています。 [二] 夏四月、成王が太祖・文…

西周時代8 成王(一) 周公摂政 三監の乱

今回から西周成王の時代です。 成王 武王が死んで子の成王が継ぎました。名は誦です。 元年 丁酉。または丙戌。 [一] 春正月、成王が即位しました。 しかし成王はまだ幼く、天下もまだ不安定だったため、周公・旦(武王・発の弟)が諸侯の反乱を恐れました…

西周時代7 武王(五)

今回で西周武王の時代が終わります。 十三年 [一] 西旅(西方の少数民族)が獒(大型犬の一種)を献上しました。 そこで太保・召公・奭が武王を戒め、『旅獒』を書きました。武王の徳が遠方に伝わり、四方から貢物が献上されているが、それらは異姓の諸侯に…

西周時代6 武王(四)

今回も西周武王の時代です。十二年が終わります。 [十一] 周公・旦が呂尚に聞きました「どのように斉を治めるつもりですか。」 呂尚が言いました「賢人を尊んで功績を貴ぶつもりです。」 周公が言いました「(功績を重視したら功臣の権力が大きくなり)後世…

西周時代5 武王(三) 分封

今回も西周武王の時代です。十二年の続きになります。 [十] 全国の諸侯や百官が豊に集まりました。武王は諸侯や功臣および聖人の子孫を分封しました。まず聖人の子孫が封侯されます。 神農の子孫が焦に封じられました。 黄帝と帝堯の子孫に関しては説が分か…

西周時代4 武王(二)

今回も西周武王の時代です。十二年の続きになります。 [四] 武王が紂の子・武庚祿父を諸侯に封じて殷の祭祀を続けさせ、盤庚の政治を継承させたため、殷民が喜びました。 [五] 武王が召公・奭に命じて箕子を釈放させ、貝千朋(「朋」は貨幣の単位)を下…