2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

春秋時代192 東周景王(十四) 趙武の死 前541年(6)

今回も東周景王四秋の続きからです。景王四年が終わります。 [十五] 邾が悼公を埋葬しました。 [十六] 楚の公子・囲が公子・黒肱(子晳。公子・囲の弟)と伯州犁に命じ、犨、櫟、郟に築城させました。 三邑とも元々鄭の地だったため、鄭人が恐れましたが、子…

第二回 褒人が美女を献じ、幽王が烽火で戯れる(後編)

*『東周列国志』第二回後篇です。 ある日、年長の宮人が申后の哀しみを知り、跪いて言いました「娘娘が殿下を想うのなら、なぜ一通の書を書いて秘かに申国に送り、殿下に謝罪の上表をさせないのですか。もし万歳(国王)の心を動かし、東宮(太子)を呼び戻…

第二回 褒人が美女を献じ、幽王が烽火で戯れる(中編)

*『東周列国志』第二回中編です。 褒洪徳はまず金銀を虢公に贈って関係を作りました。虢公が褒洪徳に代わって幽王に謝罪の上奏を行います「臣・珦(父)は自分の罪が万死に当たることを理解しています。しかし珦の子・洪徳(私)は父の死を痛哀し、褒姒とい…

春秋時代191 東周景王(十三) 晋平公の病 前541年(5)

今回は東周景王四年秋の続きです。 [十四] 晋平公が病を患ったため、鄭簡公が公孫僑(子産)を晋に派遣して聘問し、病状を確認しました。 晋の叔向が子産に問いました(『春秋左氏伝』では叔向ですが、『史記・鄭世家』では平公が子産に聞いています)「寡君…

第二回 褒人が美女を献じ、幽王が烽火で戯れる(前編)

第二回 褒人が美女を献じて贖罪し、幽王が烽火で諸侯を戯れる (褒人贖罪獻美女 幽王烽火戲諸侯) *『東周列国志』第二回の前編です。 宣王が東郊の遊猟で杜伯と左儒の陰魂に遭遇し、命を返すように要求されてから、一行は急いで王宮に還りました。しかし、…

春秋時代190 東周景王(十二) 秦の后子 前541年(4)

今回は東周景王四年五月の続きからです。 [九] 秦景公の同母弟・鍼(后子。桓公の子)は桓公に寵愛されていたため、景公即位後も国君のようにふるまっていました。 ある日、見かねた母が諫めて言いました「もしも自分から去らなければ、追放されることになる…

第一回 宣王が杜大夫を殺し、鬼になって訴える(後篇)

*『東周列国志』第一回の後篇です。 宣王が「檿弧箕箙」の禁令を出し、城中の百姓はそれに従いましたが、郷民(地方の民)には禁令が伝わりませんでした。 翌日、一人の婦人が複数の箭袋を抱えて都に向かいました。袋は箕草で織られています。その夫が山桑…

第一回 宣王が杜大夫を殺し、鬼になって訴える(前編)

第一回 周宣王が謡を聞いて杜大夫を殺し、鬼になって冤罪を訴える (周宣王聞謡軽殺 杜大夫化厲鳴冤) *『東周列国志』第一回 前編です。 周王朝は、武王が商王朝(殷王朝)の紂を討伐して天子の位に即き、成王と康王が継ぎました。二王は守成の明主であり…

東周列国志

『東周列国志』は、西周末から春秋戦国時代を経て、秦が天下を統一するまでの、五百五十年以上に渡る長い時代を舞台にした長編歴史小説です。 明朝中期の余劭魚が『列国志伝』を書き、明朝末期の馮夢龍が『列国志伝』を基礎にして『新列国志』を編纂し、清代…

春秋時代189 東周景王(十一) 鄭の宴 前541年(3)

今回も東周景王四年の続きです。 [五] 夏四月、晋の趙武、魯の叔孫豹と曹の大夫が鄭に入ったので、鄭簡公が宴を開いて三人をもてなすことにしました。 鄭の子皮が趙武に宴の日時を伝えると、趙武は『瓠葉(小雅)』を賦しました。『瓠葉』は下級貴族の宴の様…

春秋時代188 東周景王(十) 魯の叔孫豹 前541年(2)

今回は東周景王四年三月の続きです。 [三] 魯の季孫宿(季武子)が莒を攻めて鄆(または「運」)を取りました。鄆はこれまで魯領になったり莒領になったりしています。 莒人が会盟に参加している諸侯に魯の侵攻を訴えました。 楚が晋に言いました「弭兵の盟…

春秋時代第一期に入る前に

春秋時代第一期の対象になるのは 平王・桓王・荘王・釐王・恵王・襄王・頃王 紀元前771~613年 の約百六十年です。 第一期概略 東周平王は即位すると犬戎を避けて東に遷り、洛邑で王室を復興しました。この時、鄭の武公が大きく貢献したため、平王に重用され…

西周時代 諸侯一覧(4)

諸侯一覧の続きです。 上段左から国名・爵位・始封者、下段は注記です。 戎 爵位・姓・始封者不明 春秋時代、衛の地に入る。戎州という。 北戎(山戎) 爵位・姓・始封者不明 春秋時代、斉が北戎を攻める。それ以後の詳細は不明。 盧戎 子爵 姓・始封者不明 …

西周時代 諸侯一覧(3)

諸侯一覧の続きです。 上段左から国名・爵位・始封者、下段は注記です。 鄷 侯爵 姫姓 文王の子 元は商朝の崇侯・虎の地。周文王が滅ぼして豊邑を作り、武王が弟を鄷侯に封じる。成王が鄷侯を廃して絶封。後にその地は崇国になる。 郇 侯爵 姫姓 文王の子 晋…

西周時代 諸侯一覧(2)

諸侯一覧の続きです。 上段左から国名・爵位・始封者、下段は注記です。 梁 伯爵 嬴姓 始封者不明 秦に滅ぼされ少梁邑になる。後に晋が少梁を取る。 荀 一説では郇国と同じ 侯爵 姫姓 始封者不明 晋に滅ぼされ、大夫・原氏に下賜される。原氏を荀叔という。 …

西周時代 諸侯一覧(1)

夏曾佑の『中国古代史』が清代・顧棟高の『春秋大事表五』を引用しています。周代の諸侯の一覧です(後ろの方には夏・商時代の封国も記載されています)。 古い資料なので現在では否定されている部分もあるかもしれませんが、参考資料として簡単に紹介します…

春秋時代187 東周景王(九) 虢の会 前541年(1)

今回から東周景王四年です。六回に分けます。 景王四年 前541年 庚申 [一] 春正月、魯昭公が即位しました。 [二] 楚の令尹である公子(王子)・囲が鄭を聘問し、公孫段氏と婚姻をすることになりました。伍挙が介(副使)を勤めます。 公子・囲一行が鄭城内の…

周の宗法制度

『春秋史話』(王貴民・応永深・楊昇南。中国国際広播出版社)から西周時代に完成された宗法制度について紹介します(完訳ではなく一部変更・省略します)。 宗法制度は血縁関係を基礎とし、権力と財産を分配するために作られた制度です。商代には既に存在し…

春秋時代186 東周景王(八) 子産の政治 前542年(2)

今回は東周景王三年の続きです。 [十] 十二月、衛襄公が楚に入朝しました。北宮佗(文子)が相(補佐)を勤めます。宋の盟(弭兵の盟)に則った朝見です。 襄公が鄭を通った時、鄭の印段が棐林で慰労し、聘問で用いる礼と同等の礼で慰問の辞を述べました。 …

西周時代 『尚書・周官』

西周成王が親政を開始し、官制を整理しました。 西周時代10 成王(三) 親政開始 この時、官員のあり方を明確にした『周官』が書かれました。『尚書』に収録されています。 以下、意訳します。 西周成王は殷命(商王朝の命運)を廃し(商王朝の遺民を平定し…

春秋時代185 東周景王(七) 魯襄公の死 前542年(1)

今回から東周景王三年です。二回に分けます。 景王三年 前542年 己未 [一] 春正月、魯の叔孫豹(穆叔)が澶淵の会から還り、仲孫羯(孟孝伯)に会って言いました「趙孟(晋の趙武。趙文子)はもうすぐ死ぬでしょう。その言葉は偸(目先のことしか考えず、遠…