2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧

第八十四回 智伯が晋陽に水を灌ぎ、豫讓が襄子に報いる(三)

*今回は『東周列国志』第八十四回その三です。 翌日、段規が韓虎の命を奉じて自ら魏桓子の陣営を訪ねました。趙氏の者が軍中に来て話したことを詳しく伝えてから、こう言いました「我が主は勝手に決めることができないので、将軍の裁決を請います。」 魏駒…

第八十四回 智伯が晋陽に水を灌ぎ、豫讓が襄子に報いる(二)

*今回は『東周列国志』第八十四回その二です。 やがて智、韓、魏三家の兵が晋陽に到着しました。三つの大営を築いて駐軍し、互いに連絡を取り合います。鉄桶のように晋陽を包囲しました。 晋陽城内では、多くの百姓が出陣を願い、そろって公宮を訪ねて軍令…

第八十四回 智伯が晋陽に水を灌ぎ、豫讓が襄子に報いる(一)

第八十四回 智伯が水を決壊させて晋陽に灌ぎ、豫讓が衣を撃って襄子に報いる (智伯決水灌晋陽 豫讓撃衣報襄子) *今回は『東周列国志』第八十四回その一です。 智伯は名を瑶といい、智武子・躒の孫で、智宣子・徐吾の子です。 かつて徐吾が後嗣を立てよう…

第八十三回 葉公が楚を定め、越王が夫差を滅ぼす(四)

*今回は『東周列国志』第八十三回その四です。 数日後、句践が越に兵を還しました。西施を同行させています。 しかし越夫人が秘かに人を送って西施を誘い出し、大石を背負わせて江中に沈めました。越夫人が言いました「これは亡国の物です。留めておいて何…

第八十三回 葉公が楚を定め、越王が夫差を滅ぼす(三)

*今回は『東周列国志』第八十三回その三です。 夫差が越兵の入城を知りました。伯嚭は既に投降しています。 夫差は王孫駱と自分の三子を連れて陽山に奔りました。 昼も夜も駆けたため、空腹に苦しみ目がくらみます。左右の者が生稻を揉み取り、皮を剥いて献…

第八十三回 葉公が楚を定め、越王が夫差を滅ぼす(二)

*今回は『東周列国志』第八十三回その二です。 都の異変を聞いた葉公・沈諸梁が、葉の衆を全て集めて昼夜楚都に向かいました。 郊外まで至ると百姓が道を遮って出迎えます。人々は葉公がまだ甲冑を身に着けていないのを見て、驚いて言いました「公はなぜ冑…

第八十三回 葉公が楚を定め、越王が夫差を滅ぼす(一)

第八十三回 羋勝を誅して葉公が楚を定め、夫差を滅ぼして越王が霸を称す (誅羋勝葉公定楚 滅夫差越王称霸) *今回は『東周列国志』第八十三回その一です。 衛荘公・蒯瞶は府藏の宝貨を全て出公・輒に持ち出されてしまったため、渾良夫に策を問いました。 …

第八十二回 夫差が歃を争い、子路が纓を結ぶ(五)

*今回は『東周列国志』第八十二回その五です。 翌年、魯哀公が大野で狩りを行い、叔孫氏の家臣・鉏商が一獣を得ました。麕(麇。鹿の一種)の体に牛の尾で、角に肉があります。叔孫氏はこれを奇怪な物と思い、殺して孔子に問いました。 獣を見た孔子が言い…

第八十二回 夫差が歃を争い、子路が纓を結ぶ(四)

*今回は『東周列国志』第八十二回その四です。 呉王・夫差は魯・衛の二君と共に黄池に至りました。そこで人を送って晋定公を会に招きます。 晋定公は断ることができませんでした。 夫差が王孫駱を派遣し、晋の上卿・趙鞅と載書における名次の前後について議…

第八十二回 夫差が歃を争い、子路が纓を結ぶ(三)

*今回は『東周列国志』第八十二回その三です。 数日後、越王・句践が群臣を率いて自ら呉国に来朝しました。併せて戦勝を祝賀します。呉庭の諸臣にも饋賂(礼物。賄賂)が贈られました。 伯嚭が言いました「これは呉庭に奔走するという兆しに応じています。…

第八十二回 夫差が歃を争い、子路が纓を結ぶ(二)

*今回は『東周列国志』第八十二回その二です。 呉将・胥門巣が率いる上軍が先に到着しました。 国書が諸将に問いました「頭陣(先陣)を衝こうという者はいるか?」 公孫揮が進み出て出陣の許可を請い、自分の車馬を率いて疾駆していきました。 胥門巣が急…

第八十二回 夫差が歃を争い、子路が纓を結ぶ(一)

第八十二回 子胥を殺して夫差が歃を争い、蒯瞶を入れて子路が纓を結ぶ (殺子胥夫差争歃 納蒯瞶子路結纓) *今回は『東周列国志』第八十二回その一です。 周敬王三十六年春、越王・句践が大夫・諸稽郢に兵三千を与えて呉の斉討伐を援けさせました。 呉王・…

第八十一回 美人の計で西施を寵し、子貢が列国を説く(四)

*今回は『東周列国志』第八十一回その四です。 話は斉に移ります。 斉国の陳氏は代々民心を得ており、以前から国政を独占する志を抱いていました。陳恒が陳氏を継いでから、逆謀(反逆の謀)はますます急になります。しかし高氏や国氏の党がまだ多いことを…

第八十一回 美人の計で西施を寵し、子貢が列国を説く(三)

*今回は『東周列国志』第八十一回その三です。 翌年、越国は豊作になりました。 越王が文種に問いました「寡人が呉に粟(穀物)を返さなかったら信を失うことになる。しかしもし返したら越を損なって呉を利することになる。どうするべきだ?」 文種が答えま…

第八十一回 美人の計で西施を寵し、子貢が列国を説く(二)

*今回は『東周列国志』第八十一回その二です。 越王が美女を教育して三年が経ちました。技も姿態も見事に完成します。珠幌(玉簾)で飾った宝車に座って街衢(街路)を通ると、香風が遠近に漂いました。 更に美婢の旋波、移光等六人が侍女に選ばれました。 …

第八十一回 美人の計で西施を寵し、子貢が列国を説く(一)

第八十一回 美人の計によって呉宮が西施を寵し、言語科の子貢が列国を説く (美人計呉宮寵西施 言語科子貢説列国) *今回は『東周列国志』第八十一回その一です。 越王・句践が境内の美女を求めて呉王に献上しようとしました。すると文種が計を献じて言いま…

戦国時代 范睢と蔡澤(二)

蔡沢と范睢の会話を書いています。前回の続きです。 戦国時代 范睢と蔡澤(一) 元々、范睢は蔡沢に反駁するつもりでした。しかし蔡沢の発言を称賛するようになります。 蔡沢はその機に乗じてこう問いました「商君、呉起、大夫・種は人臣として忠を尽くし、功…

戦国時代 范睢と蔡澤(一)

秦昭襄王五十二年(前255年)に范睢が引退しました。 戦国時代110 秦昭襄王(一) 荀子 前255年 『史記・范睢列伝(巻七十九)』から范睢と蔡沢の会話です。 蔡沢は秦昭王に謁見するふりをし、人を使って范睢にこう宣伝させました「燕の客・蔡沢は天下において…

戦国時代 完璧

東周赧王三十二年(前283年)、趙の藺相如が使者として秦に行きました。 戦国時代84 東周赧王(二十二) 衛嗣君 前283年(2) 以下、『史記・藺相如列伝(巻八十一)』から「完璧帰趙」の故事を紹介します。 趙恵文王が楚の和氏の璧を得ました。 それを聞いた秦…

戦国時代127 秦王政(十三) 天下統一 前223~221年

今回で戦国時代が終わります。 秦王政二十四年 前223年 戊寅 [一] 秦の王翦と蒙武が楚王・負芻を捕えました。負芻の在位年数は五年です。 楚の地には楚郡が置かれました。 『資治通鑑』胡三省注によると、秦の三十六郡には楚郡がないので、この楚郡は楚平定…

戦国時代126 秦王政(十二) 王翦と李信 前226~224年

今回は秦王政二十一年から二十三年までです。 秦王政二十一年 前226年 乙亥 [一] 冬十月、秦の王翦が燕都・薊を攻略しました。 これは『資治通鑑』の記述です。『史記・秦始皇本紀』によると、秦の王賁(王翦の子)が燕都・薊を攻撃し、前年から燕を攻めてい…

戦国時代 荊軻(二)

荊軻の故事を紹介しています。 戦国時代 荊軻(一) 久しく時が過ぎましたが、荊軻は動こうとしません。 その間に秦将・王翦が趙を破り、趙王を虜にしてその地を全て併合しました。秦は更に兵を北に進めて燕の南界に至ります。 恐れた太子・丹が荊軻に言いまし…

戦国時代 荊軻(一)

秦王政二十年(前227年)、荊軻が秦王・政(始皇帝)の暗殺を謀りました。 戦国時代125 秦王政(十一) 荊軻 前228~227年 本編は『資治通鑑』を元にしました。ここでは『史記・刺客列伝(巻八十六)』の内容を簡単に紹介します。 荊軻は衛人ですが、先祖は斉…

戦国時代125 秦王政(十一) 荊軻 前228~227年

今回は秦王政十九年と二十年です。 秦王政十九年 前228年 癸酉 [一] 前年、趙は自らの手で趙最後の名将・李牧を殺してしまいました。秦の侵攻を防げる者がいなくなります。 秦の王翦が趙軍を攻めて大勝し、趙葱を殺しました。顔聚は逃亡します。 秦軍は邯鄲…

第八十回 夫差が越を赦し、勾践が呉に仕える(四)

*今回は『東周列国志』第八十回その四です。 句践は心中で会稽の恥を念じていたため、会稽に築城して都を遷し、戒めにしようとしました。そこで范蠡に新都建設を委ねます。 范蠡は天文地理を観察し、新城を設計しました。会稽山を中に包み、天門(天界に通…

第八十回 夫差が越を赦し、勾践が呉に仕える(三)

*今回は『東周列国志』第八十回その三です。 伯嚭が句践を連れて呉王の寝室に入りました。夫差が無理に目を開いて「句践も孤に会いに来たか?」と問います。 句践が叩首して言いました「囚臣は龍体が失調したと聞いて肝肺を打たれたように悲しみ、顔色を一…

第八十回 夫差が越を赦し、勾践が呉に仕える(二)

*今回は『東周列国志』第八十回その二です。 伯嚭が軍を率いて越王を護送しました。呉の都城に入り、呉王に謁見します。 句践は肉袒(上半身を裸にすること。降伏の姿です)して階下で伏し、夫人がそれに従いました。 范蠡が宝物・女子の単(明細)を開いて…

第八十回 夫差が越を赦し、勾践が呉に仕える(一)

第八十回 夫差が諫に違えて越を赦し、勾践が力を尽くして呉に仕える (夫差違諫釈越 勾践竭力事呉) *今回は『東周列国志』第八十回その一です。 越の大夫・文種は呉王・夫差が講和に同意したことを越王に報告し、こう言いました「呉王は既に班師(撤兵)し…

第七十九回 女楽を帰して孔子を拒み、会稽に棲んで宰嚭に通じる(四)

*今回は『東周列国志』第七十九回その四です。 戦いが始まると、呉兵が少し退いたため、越軍は約百十人(百人前後)を殺傷しました。句践は利に乗じて直進します。しかし数里進んだ所で夫差の大軍に遭遇しました。 双方が陣を構えて大戦します(ここからは…

第七十九回 女楽を帰して孔子を拒み、会稽に棲んで宰嚭に通じる(三)

*今回は『東周列国志』第七十九回その三です。 翌日、句践が秘密裏に軍令を伝えました。軍中で死罪を犯した者三百人が集められ、三列に分けられます。三百人は袒衣(上半身を脱ぐこと)して剣を首にかけ、ゆっくり呉軍に向かって歩きました。 先頭の者が呉…