2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧

明日は中元 鬼節 盂蘭盆会

日本のお盆休みももう終わりになると思います。 日本では新暦8月15日前後がお盆ですが、本来は旧暦七月十五日がお盆でした。 そして今日は旧暦七月十四日。明日が十五日中元です。 中国では「鬼節」、仏教では「盂蘭盆会(うらぼんえ)」です。 ちなみに、中…

第九十一回 燕噲が兵を招き、張儀が楚を欺く(四)

*今回は『東周列国志』第九十一回その四です。 話は秦に移ります。 斉湣王が燕に勝って燕王・噲と子之を殺し、威を天下に震わせたため、秦恵文王が憂いました。 しかも楚懐王が従約長として斉と深く結び、互いに誓いの証書を取り交わして信を結んでいます(…

第九十一回 燕噲が兵を招き、張儀が楚を欺く(三)

*今回は『東周列国志』第九十一回その三です。 燕の相国・子之は身長が八尺、腰回りが十囲もあり、肌肥肉重(筋肉質な様子)、面闊口方(顔が大きくて口が四角い様子)という容貌で、手で空飛ぶ禽鳥を捕まえることができ、走れば奔馬に追いつくことができま…

第九十一回 燕噲が兵を招き、張儀が楚を欺く(二)

*今回は『東周列国志』第九十一回その二です。 張儀が魏で相になって三年後、魏襄王が死んで子の哀王が立ちました。 楚懐王が魏に使者を送って弔問し、兵を集めて秦を攻めるように誘いました。哀王は同意し、韓宣恵王、趙武霊王、燕王・噲も喜んで兵を出し…

第九十一回 燕噲が兵を招き、張儀が楚を欺く(一)

第九十一回 讓国を学んで燕噲が兵を招き、偽の献地で張儀が楚を欺く (学讓国燕噲召兵 偽献地張儀欺楚) *今回は『東周列国志』第九十一回その一です。 六国の「合従」を成功させた蘇秦は従約(合従の盟約)の内容を一通の書に記して秦関に投じました。 秦…

第九十回 蘇秦が六国の相となり、張儀が秦邦に向かう(四)

*今回は『東周列国志』第九十回その四です。 この頃、秦恵文王は蘇秦を失ったことを後悔していました。 左右の者が張儀を薦めたため、すぐに招いて客卿に任命し、諸侯の事を謀るようになります。 それを見届けて賈舍人が別れを告げました。 張儀が涙を流し…

第九十回 蘇秦が六国の相となり、張儀が秦邦に向かう(三)

*今回は『東周列国志』第九十回その三です。 賈舍人が魏に入った時は張儀が魏に戻って半年が経っていました。 張儀は蘇秦が趙で遊説して意を得たと聞いていたため、訪問してみようと思っています。門を出た時にちょうど賈舍人が門外で車を止めて休んでいま…

第九十回 蘇秦が六国の相となり、張儀が秦邦に向かう(二)

*今回は『東周列国志』第九十回その二です。 この時、趙の奉陽君・趙成は既に死んでいました。 趙粛侯は燕国が客を送って来たと聞き、階段を降りて迎え入れ、「上客がはるばる遠くから足を運ばれましたが、私に何を教えてくださるのでしょうか?」と問いま…

第九十回 蘇秦が六国の相となり、張儀が秦邦に向かう(一)

第九十回 蘇秦が合従して六国の相となり、張儀が激発されて秦邦に向かう (蘇秦合従相六国 張儀被激往秦邦) *今回は『東周列国志』第九十回その一です。 蘇秦と張儀が鬼谷に別れを告げて山を下りてから、張儀は魏国に向かい、蘇秦は洛陽の家に帰りました。…

第八十九回 馬陵道で龐涓を射ち、咸陽市で商鞅を分屍する(四)

*今回は『東周列国志』第八十九回その四です。 秦孝公が衛鞅の功を嘉して列侯に封じました。以前、魏から奪った商於等の十五邑を衛鞅の食邑として与えます。衛鞅は商君と号しました。後世、商鞅と呼ばれるのはこのためです。 商鞅は恩を謝して屋敷に帰り、…

第八十九回 馬陵道で龐涓を射ち、咸陽市で商鞅を分屍する(三)

*今回は『東周列国志』第八十九回その三です。 話は秦に移ります。 秦の相国・衛鞅は龐涓が死んだと聞いて孝公にこう言いました「秦と魏は比鄰の国(隣り合わせの国。隣国)で、秦に魏があるのは人に腹心の疾(病)があるのと同じです。魏が秦を併呑しなけ…

第八十九回 馬陵道で龐涓を射ち、咸陽市で商鞅を分屍する(二)

*今回は『東周列国志』第八十九回その二です。 龐涓は道中で探りを入れており、斉兵が遠くない場所にいると聞いていました。すぐに追いついて勝敗を決したいと思っているため、将兵に対して前に進むことだけを督促します。 馬陵道に至った時、日が西山に落…

第八十九回 馬陵道で龐涓を射ち、咸陽市で商鞅を分屍する(一)

第八十九回 馬陵道で万弩が龐涓を射ち、咸陽市で五牛が商鞅を分屍する (馬陵道万弩射龐涓 咸陽市五牛分商鞅) *今回は『東周列国志』第八十九回その一です。 魏の龐涓と太子・申が韓を攻めるために兵を起こし、外黄を通った時、布衣(庶民)の徐生が太子に…

第八十八回 孫臏が禍から脱し、龐涓が桂陵で敗れる(四)

*今回は『東周列国志』第八十八回その四です。 この頃、邯鄲に救援が現れないため、平選は城を挙げて龐涓に投降しました。龐涓は人を送って魏王に勝報を伝えます。 ところが龐涓が入城しようとした時、突然、斉が田忌を派遣して襄陵を奇襲したという報告が…

第八十八回 孫臏が禍から脱し、龐涓が桂陵で敗れる(三)

*今回は『東周列国志』第八十八回その三です。 この頃、墨翟が雲遊して斉に至り、客として田忌の家に泊まっていました。弟子の禽滑が魏から来たため、墨翟が問いました「孫臏は魏で意を得ることができたか?」 すると禽滑は孫子が刖刑に遭ったことを墨翟に…

第八十八回 孫臏が禍から脱し、龐涓が桂陵で敗れる(二)

*今回は『東周列国志』第八十八回その二です。 龐涓が孫臏を訪ねて問いました「兄(孫臏)が家の大切な手紙(千金家報)を受け取ったと聞きましたが、本当ですか?」 孫臏は忠直の人なので全く疑いをもたず、「その通りです」と答えました。兄が孫臏に帰郷…

第八十八回 孫臏が禍から脱し、龐涓が桂陵で敗れる(一)

第八十八回 孫臏が狂を装って禍から脱し、龐涓の兵が桂陵で敗れる (孫臏佯狂脱禍 龐涓兵敗桂陵) *今回は『東周列国志』第八十八回その一です。 孫臏は魏国に入ってから龐涓の府中に寄宿しました。龐涓による推挙の恩に感謝すると、龐涓は徳色(恩を施して…

第八十七回 衛鞅が変法し、孫臏が下山する(四)

*今回は『東周列国志』第八十七回その四です。 この頃、墨翟が名山で遊んで鬼谷を通りました。元々は友を探すのが目的でしたが、孫賓に会って談論し、深く意気投合しました。そこで孫賓に問いました「子(汝)の学業は既に成就した。なぜ山を出て功名を求め…

第八十七回 衛鞅が変法し、孫臏が下山する(三)

*今回は『東周列国志』第八十七回その三です。 周の陽城に鬼谷という場所がありました。山が深く樹木が茂っており、どこまでも幽寂としていて人が住める場所とは思えません。鬼谷とよばれたのはそのためです。 しかしその中に一人の隠者が住んでいました。…

第八十七回 衛鞅が変法し、孫臏が下山する(二)

*今回は『東周列国志』第八十七回その二です。 翌日、孝公が人を送って衛鞅を招きましたが、衛鞅は辞退してこう答えました「臣は主公と約束をしました。三日後でなければお会いできません。」 景監が辞退しないように勧めましたが、衛鞅はこう言いました「…

第八十七回 衛鞅が変法し、孫臏が下山する(一)

第八十七回 秦君を説いて衛鞅が変法し、鬼谷を辞して孫臏が下山する (説秦君衛鞅変法 辞鬼谷孫臏下山) *今回は『東周列国志』第八十七回その一です。 衛人の公孫鞅は衛侯の支庶(傍系の子孫)にあたり、刑名の学(法家の学問)を好みました。 公孫鞅は学…

第八十六回 呉起が将を求め、騶忌が相を取る(五)

*今回は『東周列国志』第八十六回その五です。 斉の騶忌はしばしば周りの者に「邑守の中で誰が賢人で誰が不肖だ?」と問いました。 同朝の人(同じ朝廷に仕える者)は皆、口を極めて阿大夫の賢才を褒め称え、即墨大夫をけなします。 騶忌はこれを威王に話し…

第八十六回 呉起が将を求め、騶忌が相を取る(四)

*今回は『東周列国志』第八十六回その四です。 話は斉に移ります。 田和は斉侯になってから二年で死にました。子の午が跡を継ぎ、午から子の因斉に継承されます。因斉が即位したのは周安王二十三年のことです。 因斉は斉の国が豊かで兵が強いことを自負して…

第八十六回 呉起が将を求め、騶忌が相を取る(三)

*今回は『東周列国志』第八十六回その三です。 韓烈侯は俠累が殺されたと聞いて「賊は誰だ?」と問いました。しかし誰にもわかりません。そこで死体を市中に曝し、千金の賞を懸けました。相国の仇に報いるために、賊の姓名と来歴を求めます。 死体は七日間…

第八十六回 呉起が将を求め、騶忌が相を取る(二)

*今回は『東周列国志』第八十六回その二です。 魏文侯が翟璜に西河の守備について尋ねました。ちょうど呉起が翟璜の家に投じていたため、翟璜は呉起を推挙します。 文侯が呉起を招いて問いました「将軍は魯将として功を立てたと聞いたが、なぜわざわざ敝邑…

第八十六回 呉起が将を求め、騶忌が相を取る(一)

第八十六回 呉起が妻を殺して将を求め、騶忌が琴を弾いて相を取る (呉起殺妻求将 騶忌鼓琴取相) *今回は『東周列国志』第八十六回その一です。 呉起は衛国の人で、若い頃は里中に住み、剣術に夢中になって正業に就きませんでした。それを母に譴責されたた…

第八十五回 楽羊子が中山羹を啜り、西門豹が河伯に婦を送る(後篇)

*今回は『東周列国志』第八十五回下編です。 文侯は中山の地が遠いため、親信の者に守らせなければ無虞(憂いがないこと)を保証できないと考えました。そこで世子・撃を中山君にします。 世子・撃が命を受けて都を出た時、田子方が敝車(粗末な車)に乗っ…

第八十五回 楽羊子が中山羹を啜り、西門豹が河伯に婦を送る(中篇)

*今回は『東周列国志』第八十五回中編です。 ちょうど八月中秋の時です。中山子・姫窟が羊肉や酒を楸山に送って鼓須を慰労しました。鼓須は月に向かって酒を楽しみ、警戒を忘れてしまいます。 三更(夜二十三時から一時)の頃、西門豹が壮兵を率い、枚をく…

第八十五回 楽羊子が中山羹を啜り、西門豹が河伯に婦を送る(前篇)

第八十五回 楽羊子が怒って中山羹を啜り、西門豹が偽って河伯に婦を送る (楽羊子怒餟中山羹 西門豹喬送河伯婦) *今回は『東周列国志』第八十五回前編です。 趙無恤は豫穣に服を三回撃たれた時、続けて三回寒噤(寒さで震えること)しました。豫穣の死後、…

第八十四回 智伯が晋陽に水を灌ぎ、豫讓が襄子に報いる(四)

*今回は『東周列国志』第八十四回その四です。 趙無䘏が晋陽の役の論功行賞をしました。左右の者は皆、張孟談を筆頭に推しましたが、趙無䘏は高赫だけを第一としました。 張孟談が言いました「高赫は包囲された城の中で一策を献じることもなく、一労を尽く…