東周列国志

第九十九回 武安君が杜郵で死に、呂不韋が異人を帰らす(二)

*今回は『東周列国志』第九十九回その二です。 即日、平原君が趙王に別れを告げて陳都(楚都)に向かいました。 楚に入るとまず春申君・黄歇に訪問を伝えます。黄歇は以前から平原君と交流があったため、楚考烈王に伝達しました。 平原君は黎明に入朝しまし…

第九十九回 武安君が杜郵で死に、呂不韋が異人を帰らす(一)

第九十九回 武安君が冤を含んで杜郵で死に、呂不韋が巧計で異人を帰らす (武安君含冤死杜郵 呂不韋巧計帰異人) *今回は『東周列国志』第九十九回その一です。 趙孝成王は趙括の捷報を得て心中で大喜びしましたが、やがて趙軍が長平で困窮していると聞き、…

第九十八回 秦王が魏斉を要求し、長平で白起が趙卒を坑す(四)

*今回は『東周列国志』第九十八回その四です。 范雎が送った門客は邯鄲で詳しく状況を探っていました。趙括が趙王に語った言葉や趙王が既に趙括を大将に任命したこと、吉日を選んで出征することを知ると、夜を通して咸陽に帰って報告します。 秦王は范雎と…

第九十八回 秦王が魏斉を要求し、長平で白起が趙卒を坑す(三)

*今回は『東周列国志』第九十八回その三です。 三日後、上党太守・馮亭の使者が趙に到着しました。趙王が書信を見るとこう書かれています「秦が韓を激しく攻めており、上党が秦に入ることになりました。しかし吏民は秦に附くことを願わず、趙に附くことを願…

第九十八回 秦王が魏斉を要求し、長平で白起が趙卒を坑す(二)

*今回は『東周列国志』第九十八回その二です。 趙王は魏斉を捕らえることができず、相国の虞卿も逃走したため、二人が一緒に去ったと判断しました。向かうのは韓か魏のはずです。四方に飛騎を送って追跡させました。 使者が魏の郊外に来た時、初めて魏斉が…

第九十八回 秦王が魏斉を要求し、長平で白起が趙卒を坑す(一)

第九十八回 平原を質にして秦王が魏斉を要求し、長平で敗って白起が趙卒を坑す (質平原秦王索魏斉 敗長平白起坑趙卒) *今回は『東周列国志』第九十八回その一です。 命を助けられた須賈は夜を通して大梁に逃げ帰り、魏王に謁見して范雎に命じられた言葉を…

第九十七回 死范雎が秦国に逃げ、假張禄が魏使を辱める(四)

*今回は『東周列国志』第九十七回その四です。 范雎が須賈に「大夫は何の用事があって来たのですか?」と問いました。 須賈が言いました「今の秦では相の張君が政治を行うようになった。私は彼と通じたいのだが、困ったことに取り次ぐ人がいない。孺子(汝…

第九十七回 死范雎が秦国に逃げ、假張禄が魏使を辱める(三)

*今回は『東周列国志』第九十七回その三です。 秦王が左右の人払いをし、長跪(上半身を直立して跪く礼)して問いました「先生は何を寡人に教えてくださるのですか?」 范雎は「はいはい(唯唯)」としか言いません。 少しして、秦王がまた跪いて教えを請い…

第九十七回 死范雎が秦国に逃げ、假張禄が魏使を辱める(二)

*今回は『東周列国志』第九十七回その二です。 范雎は鄭安平の家で薬を塗って養生しました。徐々に体が回復します。やがて鄭安平は范雎を連れて具茨山に隠れました。 范雎は張禄に改名しました。山中で張禄が范雎だと知っている者はいません。 半年後、秦の…

第九十七回 死范雎が秦国に逃げ、假張禄が魏使を辱める(一)

第九十七回 死范雎が計によって秦国に逃げ、假張禄が廷で魏使を辱める (死范雎計逃秦国 假張禄廷辱魏使) *今回は『東周列国志』第九十七回その一です。 大梁の人で范雎、字は叔という者は、談天説地(談論すれば際限がないこと)の能と安邦定国(国を安定…

第九十六回 藺相如が秦王を屈させ、馬服君が韓の囲みを解く(四)

*今回は『東周列国志』第九十六回その四です。 この頃、秦の大将軍・白起が楚軍を破って郢都を占領し、南郡を置きました。 楚頃襄王は敗走して東の陳を保ちます。 秦の大将・魏冉も黔中を攻めて攻略し、黔中郡を置きました。楚はますます衰退します。 そこ…

第九十六回 藺相如が秦王を屈させ、馬服君が韓の囲みを解く(三)

*今回は『東周列国志』第九十六回その三です。 趙王が秦王に別れを告げて帰国した時、ちょうど三十日が経っていました。 趙王が言いました「寡人は藺相如を得たおかげで、この身が泰山のように安らかになり、国は九鼎のように重くなった。相如の功は最大だ…

第九十六回 藺相如が秦王を屈させ、馬服君が韓の囲みを解く(二)

*今回は『東周列国志』第九十六回その二です。 秦王は偽って斎戒すると言いましたが、実際には行いませんでした。 五日後、殿上に昇って礼物を陳列し、諸侯の使者を全て集めます。璧を受け取る様子を見せて列国に誇示するつもりです。 賛礼(式典で進行を担…

第九十六回 藺相如が秦王を屈させ、馬服君が韓の囲みを解く(一)

第九十六回 藺相如が秦王を二回屈させ、馬服君が韓の囲みを一度解く 藺相如両屈秦王 馬服君単解韓囲 *今回は『東周列国志』第九十六回その一です。 趙恵文王は一人の内侍を寵用していました。姓は繆、名は賢といい、宦者令の官職に就いています。政事にも頻…

第九十五回 楽毅が斉を滅ぼし、田単が燕を破る(後篇)

*今回は『東周列国志』第九十五回後編です。 楽毅に代わって将になった騎劫は、楽毅の軍令をことごとく改めました。燕軍全ての将兵が憤怨して不満を抱きます。 騎劫は営塁に入って三日後に軍を率いて即墨を攻撃しました。城の周りに何重もの包囲網を築きま…

第九十五回 楽毅が斉を滅ぼし、田単が燕を破る(中篇)

*今回は『東周列国志』第九十五回中編です。 楽毅は出兵して六カ月で斉地の七十余城を攻略しました。全て燕の郡県に編入されます。 しかし莒州と即墨だけは堅守を続けたため攻略できませんでした。 楽毅は兵を休めて士をもてなし、斉湣王による暴令を除いて…

第九十五回 楽毅が斉を滅ぼし、田単が燕を破る(前篇)

第九十五回 四国を説いて楽毅が斉を滅ぼし、火牛を駆って田単が燕を破る 説四国楽毅滅斉 駆火牛田単破燕 *今回は『東周列国志』第九十五回前編です。 燕昭王は即位してから、日夜、斉への雪恥を考えていました。死者を弔問して孤児をいたわり、士卒と甘苦を…

東周列国志目録(中)

『東周列国志』の目録(中)です。 東周列国志目録(上) 第四十三回 智甯兪が衛を復し、老燭武が秦を説く(前編) 第四十三回 智甯兪が衛を復し、老燭武が秦を説く(中編) 第四十三回 智甯兪が衛を復し、老燭武が秦を説く(後編) 第四十四回 叔詹が晋侯に抗し、弦高…

第九十四回 馮驩が孟嘗の客となり、斉王が桀宋を伐つ(四)

*今回は『東周列国志』第九十四回その四です。 翌日、宋王・偃は斉兵に戦う能力がないと信じ、営寨を引き払って進軍しました。直接、斉の営塁を攻撃します。 閭丘儉は韓聶の旗号を立てて陣を連ねました。辰(午前七時から九時)から午(正午)に至るまで、…

第九十四回 馮驩が孟嘗の客となり、斉王が桀宋を伐つ(三)

*今回は『東周列国志』第九十四回その三です。 宋康王は宋辟公・辟兵の子で剔成の弟です。母の夢の中で徐偃王(西周時代、徐国の国君)が現れて託生(生まれ換わること。転世)したため、偃と名づけられました。 生まれつきの異相で、身長は九尺四寸、面闊…

第九十四回 馮驩が孟嘗の客となり、斉王が桀宋を伐つ(二)

*今回は『東周列国志』第九十四回その二です。 秦昭襄王は孟嘗君を失ったことを後悔しており、また、孟嘗君がもたらす影響を恐れ、こう考えました「あの者が斉国で用いられたら、いずれ秦の害になるだろう。」 そこで、昭襄王は謠(噂)を拡散させて斉国に流…

第九十四回 馮驩が孟嘗の客となり、斉王が桀宋を伐つ(一)

第九十四回 馮驩が鋏を弾いて孟嘗の客となり、斉王が兵を糾合して桀宋を伐つ 馮驩弾鋏客孟嘗 斉王糾兵伐桀宋 *今回は『東周列国志』第九十四回その一です。 孟嘗君は秦から逃げ帰って趙を通りました。平原君・趙勝が趙都から三十里も出て迎え入れ、恭敬を極…

第九十三回 趙主父が沙邱で餓死し、孟嘗君が函谷関を通る(後編)

*今回は『東周列国志』第九十三回後編です。 平原君が美人を斬って躄者に謝罪した出来事は、秦昭襄王の耳にも入りました。 ある日、秦王が向寿に平原君の賢を話して感嘆しました。すると向寿が言いました「斉の孟嘗君には遥かに及びません。」 秦王が問いま…

第九十三回 趙主父が沙邱で餓死し、孟嘗君が函谷関を通る(中編)

*今回は『東周列国志』第九十三回中編です。 趙恵王の太傅・李兌は肥義と仲が良かったため、秘かにこう言いました「安陽君は強壮なうえ驕っており、その党も多いので、今でも怨望の心があります。田不礼は剛狠(剛腹。頑強)で自分に自信を持っており、進む…

第九十三回 趙主父が沙邱で餓死し、孟嘗君が函谷関を通る(前編)

第九十三回 趙主父が沙邱宮で餓死し、孟嘗君が函谷関を偸み通る (趙主父餓死沙邱宮 孟嘗君偸過函谷関) *今回は『東周列国志』第九十三回前編です。 趙武霊王は身長が八尺八寸もあり、龍顔鳥噣(帝王の相で口が鳥のように尖っている)、広鬢虯髯(もみあげ…

第九十二回 秦武王が踁を絶ち、楚懐王が秦に陥る(後編)

*今回は『東周列国志』第九十二回後編です。 秦昭襄王は楚が質子を斉に送ったと聞き、秦に背いて斉に附いたと疑いました。樗里疾を大将に任命して楚を討伐させます。 楚は大将・景快に迎撃させましたが、景快は敗れて殺されました。 楚懐王が恐懼していると…

第九十二回 秦武王が踁を絶ち、楚懐王が秦に陥る(中編)

*今回は『東周列国志』第九十二回中編です。 秦武王は背が高く力も強かったため、勇士と角力(格闘技。力較べ)をして遊ぶのが好きでした。勇士の烏獲と任鄙は先王の時代に秦将となり、武王にも寵任されて禄秩が増やされました。 斉人の孟賁、字は説という…

第九十二回 秦武王が踁を絶ち、楚懐王が秦に陥る(前編)

第九十二回 鼎を挙げて秦武王が踁を絶ち、会に赴いて楚懐王が秦に陥る (賽挙鼎秦武王絶踁 莽赴会楚懐王陷秦) *今回は『東周列国志』第九十二回前篇です。 楚懐王は張儀に欺かれたことを怨んでいたため、黔中の地を献上して張儀一人と交換することを願いま…

第九十一回 燕噲が兵を招き、張儀が楚を欺く(四)

*今回は『東周列国志』第九十一回その四です。 話は秦に移ります。 斉湣王が燕に勝って燕王・噲と子之を殺し、威を天下に震わせたため、秦恵文王が憂いました。 しかも楚懐王が従約長として斉と深く結び、互いに誓いの証書を取り交わして信を結んでいます(…

第九十一回 燕噲が兵を招き、張儀が楚を欺く(三)

*今回は『東周列国志』第九十一回その三です。 燕の相国・子之は身長が八尺、腰回りが十囲もあり、肌肥肉重(筋肉質な様子)、面闊口方(顔が大きくて口が四角い様子)という容貌で、手で空飛ぶ禽鳥を捕まえることができ、走れば奔馬に追いつくことができま…