新更始時代
今回で新王莽地皇二年が終わります。 [十六] 『後漢書・劉玄劉盆子列伝(巻十一)』と『資治通鑑』からです。 この年、荊州牧・某(姓名が伝わっていないため、史書は「某」としています)が奔命二万人を動員して緑林賊(緑林兵)を討伐しました。 しかし賊…
今回は新王莽地皇二年の続きです。 [七] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』と『資治通鑑』からです。 秋、霜が降って菽(豆類)を殺しました。 関東を大飢饉が襲い、蝗害も起きました。 [八] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』と『資治通鑑』からです。 王莽…
今回は新王莽地皇二年です。三回に分けます。 新王莽地皇二年 辛巳 21年 [一] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』からです。 正月、州牧の位を三公と同等にし、怠惰な官員を検挙させました。 また改めて牧・監に副を置きました。秩は元士と同等とし、法冠を被…
今回は新王莽地皇元年の続きです。 [七] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』と『資治通鑑』からです。 望気(気の観測)を技能とする者の多くが「土功(土木建築)の象」があると言いました。 王莽も四方の盗賊が多いのを見て、自分自身は安定していて万世の…
今回は新王莽地皇元年です。二回に分けます。 新王莽地皇元年 庚辰 20年 [一] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』と『資治通鑑』からです。 春正月乙未(中華書局『白話資治通鑑』は「乙未」を恐らく誤りとしています)、天下に大赦しました。 改元して地皇元…
今回は新王莽天鳳六年の続きです。 [三] 『資治通鑑』からです。 大司空議曹史・代郡の人・范升が王邑(大司空)に引見を求めて文書を提出しました「升(私)が聞くに、子は人が父母との間を非難できないことを孝とみなし(原文「子以人不間於其父母為孝」。…
今回は新王莽天鳳六年です。二回に分けます。 新王莽天鳳六年 己卯 19年 [一] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』と『資治通鑑』からです。 春、王莽は盗賊が多いのを見て、太史に命じて三万六千歳暦紀を推算させ、六歳(年)で一回改元することにしました。…
今回は新王莽天鳳五年の続きです。 [六] 『資治通鑑』からです。 この年、揚雄が死にました。 西漢成帝の時代、揚雄は郎になり、黄門で給事しました(働きました)。王莽や劉秀と同列です。哀帝の初年には董賢と同官でした。 王莽と董賢は後に三公になり、権…
今回は新王莽天鳳五年です。二回に分けます。 新王莽天鳳五年 戊寅 18年 [一] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』と『資治通鑑』からです。 春正月朔、北軍南門(北軍営塁の南側の門)で火災がありました。 [二] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』と『資治通…
今回は新王莽天鳳四年です。 新王莽天鳳四年 丁丑 17年 [一] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』からです。 五月、王莽が言いました「保成師友祭酒・唐林と故(元)諫議祭酒・琅邪の人・紀逡は孝弟忠恕で、上を敬って下を愛し、旧聞(故事)に広く通じており…
今回は新王莽天鳳三年の続きです。 [三] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 この月(五月)戊辰(初九日)、長平館の西岸が崩れ、涇水が塞がって流れなくなりました。水が決壊して北に向かいます。 『資治通鑑』胡三省注によると、…
今回は新王莽天鳳三年です。二回に分けます。 新王莽天鳳三年 丙子 16年 [一] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 二月乙酉(中華書局『白話資治通鑑』は「乙酉」を恐らく誤りとしています)、地震があり、大雪が降りました。 関東が…
今回は新王莽天鳳二年です。 新王莽天鳳二年 乙亥 15年 [一] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 春二月、王路堂で酒宴を開き、公卿大夫が皆、佐酒(酒宴に参加すること)しました。 天下に大赦しました。 この頃、日中に星が現れま…
今回で新王莽天鳳元年が終わります。 [六] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』からです。 天下の小学(初級学校)に命じ、「甲子」の代わりに「戊子」を六旬(六十日)の筆頭にさせました。 本来、干支の最初は「甲子」ですが、王莽は土徳だったため、土に属…
今回は新王莽天鳳元年の続きです。 [五] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 王莽が『周官』『王制』の文に基いて官制を定めました。 卒正、連率、大尹を置きました。職責は太守と同等です。 『資治通鑑』胡三省注によると、三十国で…
今回は新王莽天鳳元年です。三回に分けます。 新王莽天鳳元年 甲戌 14年 [一] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 春正月、天下に大赦しました。 [二] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 王莽が言いました「…
今回は新王莽始建国五年です。 新王莽始建国五年 癸酉 13年 [一] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 春二月、文母皇太后(王政君)が死にました。八十四歳です。 王莽は太后を渭陵の元帝と合葬しましたが、間に溝を掘って隔絶しまし…
今回は新王莽始建国四年の続きです。 [八] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 以前、五威将帥が西南夷に出て句町王を侯に改めました(新王莽始建国元年・9年参照)。 句町王・邯は怨怒して新に服従しなくなります。 王莽は牂柯大尹…
今回は新王莽始建国四年です。二回に分けます。 新王莽始建国四年 壬申 12年 [一] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 春二月、天下に大赦しました。 [二] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』からです、 夏、赤気が東南から出て天を満…
今回は新王莽始建国三年の続きです。 [四] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 太師・王舜は王莽が帝位を簒奪してから動悸を患っていました。 病状がしだいに悪化してついに死亡します。 王莽が言いました「昔、斉太公は淑徳(美徳)…
今回は新王莽始建国三年です。二回に分けます。 新王莽始建国三年 辛未 11年 [一] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』からです。 王莽が言いました「百官を改更(改変)し、職事(職責)を分移(変動)したが、律令儀法はまだ全て定めるには至っていない。よ…
今回で新王莽始建国二年が終わります。 [十] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 王莽が簒奪を謀った頃、吏民が争って符命を作り、全て封侯されました。 符命を作らなかった者達は互いに戯れて「あなたには天帝の除書(任命書)が無…
今回も新王莽始建国二年の続きです。 [九] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 王莽が作った銭幣(貨幣)が一向に流通しないため、王莽が書を下して言いました「民は食を命とし、貨(貨幣。または貨物、物資)を資(資本)とするので…
今回も新王莽始建国二年の続きです。 [五] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 十一月、立国将軍・孫建が上奏しました「西域将・欽(但欽)が報告して『九月辛巳(中華書局『白話資治通鑑』は「辛巳」を恐らく誤りとしています)に戊…
今回は新王莽始建国二年の続きです。 [四] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』からです。 匈奴単于が故璽(漢代の印璽)を求めました。しかし王莽が与えなかったため、辺郡を侵して吏民を殺略しました。 以下、『資治通鑑』から詳しく書きます。 王莽はかつて…
今回は新王莽始建国二年です。五回に分けます。 新王莽始建国二年 庚午 10年 [一] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 春二月、天下に大赦しました。 [二] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 前年、各地に派…
今回で新王莽始建国元年が終わります。 [六] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 冬、雷が落ちました。 桐に花が咲きました。 [七] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 五威司命と中城・四関将軍を置きました…
今回も新王莽始建国元年の続きです。 [五] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 秋、王莽が五威将・王奇等十二人を派遣し、符命四十二篇を天下に頒布しました。四十二篇というのは、徳祥五事、符命二十五、福応十二です。 徳祥には文…
今回も新王莽始建国元年の続きです。 [二] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 「劉」の字が「卯」「金」「刀」からできているため、詔によって「正月剛卯」や「金刀」の利を全て廃止しました。 「剛卯」は魔除け用の装飾品で、玉、…
今回も新王莽始建国元年の続きです。 [一(続き)] 王莽は漢の承平(太平)の業を受け継ぎました。府庫と百官(諸官府)の富があり、百蛮が賓服(服従)しており、天下は晏然(安寧。安定)としています。王莽は一朝にしてこれらを有しましたが、心意はまだ満た…