新更始時代

新更始時代34 新王莽(三十四) 田況 21年(3)

今回で新王莽地皇二年が終わります。 [十六] 『後漢書・劉玄劉盆子列伝(巻十一)』と『資治通鑑』からです。 この年、荊州牧・某(姓名が伝わっていないため、史書は「某」としています)が奔命二万人を動員して緑林賊(緑林兵)を討伐しました。 しかし賊…

新更始時代33 新王莽(三十三) 相次ぐ挙兵 21年(2)

今回は新王莽地皇二年の続きです。 [七] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』と『資治通鑑』からです。 秋、霜が降って菽(豆類)を殺しました。 関東を大飢饉が襲い、蝗害も起きました。 [八] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』と『資治通鑑』からです。 王莽…

新更始時代32 新王莽(三十二) 王臨事件 21年(1)

今回は新王莽地皇二年です。三回に分けます。 新王莽地皇二年 辛巳 21年 [一] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』からです。 正月、州牧の位を三公と同等にし、怠惰な官員を検挙させました。 また改めて牧・監に副を置きました。秩は元士と同等とし、法冠を被…

新更始時代31 新王莽(三十一) 土功の象 20年(2)

今回は新王莽地皇元年の続きです。 [七] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』と『資治通鑑』からです。 望気(気の観測)を技能とする者の多くが「土功(土木建築)の象」があると言いました。 王莽も四方の盗賊が多いのを見て、自分自身は安定していて万世の…

新更始時代30 新王莽(三十) 軍制変改 20年(1)

今回は新王莽地皇元年です。二回に分けます。 新王莽地皇元年 庚辰 20年 [一] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』と『資治通鑑』からです。 春正月乙未(中華書局『白話資治通鑑』は「乙未」を恐らく誤りとしています)、天下に大赦しました。 改元して地皇元…

新更始時代29 新王莽(二十九) 巨毋霸 19年(2)

今回は新王莽天鳳六年の続きです。 [三] 『資治通鑑』からです。 大司空議曹史・代郡の人・范升が王邑(大司空)に引見を求めて文書を提出しました「升(私)が聞くに、子は人が父母との間を非難できないことを孝とみなし(原文「子以人不間於其父母為孝」。…

新更始時代28 新王莽(二十八) 厳尤降格 19年(1)

今回は新王莽天鳳六年です。二回に分けます。 新王莽天鳳六年 己卯 19年 [一] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』と『資治通鑑』からです。 春、王莽は盗賊が多いのを見て、太史に命じて三万六千歳暦紀を推算させ、六歳(年)で一回改元することにしました。…

新更始時代27 新王莽(二十七) 揚雄 18年(2)

今回は新王莽天鳳五年の続きです。 [六] 『資治通鑑』からです。 この年、揚雄が死にました。 西漢成帝の時代、揚雄は郎になり、黄門で給事しました(働きました)。王莽や劉秀と同列です。哀帝の初年には董賢と同官でした。 王莽と董賢は後に三公になり、権…

新更始時代26 新王莽(二十六) 王宗事件 18年(1)

今回は新王莽天鳳五年です。二回に分けます。 新王莽天鳳五年 戊寅 18年 [一] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』と『資治通鑑』からです。 春正月朔、北軍南門(北軍営塁の南側の門)で火災がありました。 [二] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』と『資治通…

新更始時代25 新王莽(二十五) 呂母と緑林 17年

今回は新王莽天鳳四年です。 新王莽天鳳四年 丁丑 17年 [一] 『漢書・王莽伝下(巻九十九下)』からです。 五月、王莽が言いました「保成師友祭酒・唐林と故(元)諫議祭酒・琅邪の人・紀逡は孝弟忠恕で、上を敬って下を愛し、旧聞(故事)に広く通じており…

新更始時代24 新王莽(二十四) 解剖 16年(2)

今回は新王莽天鳳三年の続きです。 [三] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 この月(五月)戊辰(初九日)、長平館の西岸が崩れ、涇水が塞がって流れなくなりました。水が決壊して北に向かいます。 『資治通鑑』胡三省注によると、…

新更始時代23 新王莽(二十三) 俸禄 16年(1)

今回は新王莽天鳳三年です。二回に分けます。 新王莽天鳳三年 丙子 16年 [一] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 二月乙酉(中華書局『白話資治通鑑』は「乙酉」を恐らく誤りとしています)、地震があり、大雪が降りました。 関東が…

新更始時代22 新王莽(二十二) 王莽の治世 15年

今回は新王莽天鳳二年です。 新王莽天鳳二年 乙亥 15年 [一] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 春二月、王路堂で酒宴を開き、公卿大夫が皆、佐酒(酒宴に参加すること)しました。 天下に大赦しました。 この頃、日中に星が現れま…

新更始時代21 新王莽(二十一) 匈奴関係 14年(3)

今回で新王莽天鳳元年が終わります。 [六] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』からです。 天下の小学(初級学校)に命じ、「甲子」の代わりに「戊子」を六旬(六十日)の筆頭にさせました。 本来、干支の最初は「甲子」ですが、王莽は土徳だったため、土に属…

新更始時代20 新王莽(二十) 行政の混乱 14年(2)

今回は新王莽天鳳元年の続きです。 [五] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 王莽が『周官』『王制』の文に基いて官制を定めました。 卒正、連率、大尹を置きました。職責は太守と同等です。 『資治通鑑』胡三省注によると、三十国で…

新更始時代19 新王莽(十九) 新朝の大臣 14年(1)

今回は新王莽天鳳元年です。三回に分けます。 新王莽天鳳元年 甲戌 14年 [一] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 春正月、天下に大赦しました。 [二] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 王莽が言いました「…

新更始時代18 新王莽(十八) 烏累単于 13年

今回は新王莽始建国五年です。 新王莽始建国五年 癸酉 13年 [一] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 春二月、文母皇太后(王政君)が死にました。八十四歳です。 王莽は太后を渭陵の元帝と合葬しましたが、間に溝を掘って隔絶しまし…

新更始時代17 新王莽(十七) 下句驪 12年(2)

今回は新王莽始建国四年の続きです。 [八] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 以前、五威将帥が西南夷に出て句町王を侯に改めました(新王莽始建国元年・9年参照)。 句町王・邯は怨怒して新に服従しなくなります。 王莽は牂柯大尹…

新更始時代16 新王莽(十六) 封爵 12年(1)

今回は新王莽始建国四年です。二回に分けます。 新王莽始建国四年 壬申 12年 [一] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 春二月、天下に大赦しました。 [二] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』からです、 夏、赤気が東南から出て天を満…

新更始時代15 新王莽(十五) 龔勝 11年(2)

今回は新王莽始建国三年の続きです。 [四] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 太師・王舜は王莽が帝位を簒奪してから動悸を患っていました。 病状がしだいに悪化してついに死亡します。 王莽が言いました「昔、斉太公は淑徳(美徳)…

新更始時代14 新王莽(十四) 匈奴遠征 11年(1)

今回は新王莽始建国三年です。二回に分けます。 新王莽始建国三年 辛未 11年 [一] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』からです。 王莽が言いました「百官を改更(改変)し、職事(職責)を分移(変動)したが、律令儀法はまだ全て定めるには至っていない。よ…

新更始時代13 新王莽(十三) 甄豊の死 10年(5)

今回で新王莽始建国二年が終わります。 [十] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 王莽が簒奪を謀った頃、吏民が争って符命を作り、全て封侯されました。 符命を作らなかった者達は互いに戯れて「あなたには天帝の除書(任命書)が無…

新更始時代12 新王莽(十二) 新貨幣 10年(4)

今回も新王莽始建国二年の続きです。 [九] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 王莽が作った銭幣(貨幣)が一向に流通しないため、王莽が書を下して言いました「民は食を命とし、貨(貨幣。または貨物、物資)を資(資本)とするので…

新更始時代11 新王莽(十一) 降奴服于 10年(3)

今回も新王莽始建国二年の続きです。 [五] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 十一月、立国将軍・孫建が上奏しました「西域将・欽(但欽)が報告して『九月辛巳(中華書局『白話資治通鑑』は「辛巳」を恐らく誤りとしています)に戊…

新更始時代10 新王莽(十) 新匈奴単于章 10年(2)

今回は新王莽始建国二年の続きです。 [四] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』からです。 匈奴単于が故璽(漢代の印璽)を求めました。しかし王莽が与えなかったため、辺郡を侵して吏民を殺略しました。 以下、『資治通鑑』から詳しく書きます。 王莽はかつて…

新更始時代9 新王莽(九) 五均六筦 10年(1)

今回は新王莽始建国二年です。五回に分けます。 新王莽始建国二年 庚午 10年 [一] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 春二月、天下に大赦しました。 [二] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 前年、各地に派…

新更始時代8 新王莽(八) 司命中城四関 9年(7)

今回で新王莽始建国元年が終わります。 [六] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 冬、雷が落ちました。 桐に花が咲きました。 [七] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 五威司命と中城・四関将軍を置きました…

新更始時代7 新王莽(七) 五威将 9年(6)

今回も新王莽始建国元年の続きです。 [五] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 秋、王莽が五威将・王奇等十二人を派遣し、符命四十二篇を天下に頒布しました。四十二篇というのは、徳祥五事、符命二十五、福応十二です。 徳祥には文…

新更始時代6 新王莽(六) 復古政策 9年(5)

今回も新王莽始建国元年の続きです。 [二] 『漢書・王莽伝中(巻九十九中)』と『資治通鑑』からです。 「劉」の字が「卯」「金」「刀」からできているため、詔によって「正月剛卯」や「金刀」の利を全て廃止しました。 「剛卯」は魔除け用の装飾品で、玉、…

新更始時代5 新王莽(五) 王莽の先祖 9年(4)

今回も新王莽始建国元年の続きです。 [一(続き)] 王莽は漢の承平(太平)の業を受け継ぎました。府庫と百官(諸官府)の富があり、百蛮が賓服(服従)しており、天下は晏然(安寧。安定)としています。王莽は一朝にしてこれらを有しましたが、心意はまだ満た…