2016-01-01から1年間の記事一覧

秦楚時代28 西楚覇王(二) 鴻門の会(前) 前206年(2)

西楚覇王元年、漢王元年の続きです。 [五] 『史記・項羽本紀』と『資治通鑑』からです。 項羽は河北を平定してから諸侯の兵を率いて西の関中に向い、新安に至りました。 『漢書・陳勝項籍伝』には「項羽は諸侯の兵三十余万を率いていた」とあります。しかし…

春秋時代 城濮の戦い

紀元前632年、中原の覇権を競う二大国・晋と楚が衝突しました。城濮の戦いです。 春秋時代68 東周襄王(二十八) 城濮の戦い 前632年(2) 両軍の布陣を簡単にまとめました。 会戦の詳細は『春秋左氏伝』に書かれていますが、古文の解釈によって異なる説が存在し…

秦楚時代27 西楚覇王(一) 秦滅亡 前206年(1)

今回は秦最後の年です。西楚覇王(項羽)元年、漢王(劉邦)元年になります。七回に分けます。 秦王子嬰元年 西楚覇王元年 漢王元年 前206年 乙未 [一] 『漢書・高帝紀』に「(漢高帝)元年冬十月(歳首)、五星が東井(井宿。二十八宿の一つ)に集まる」と…

神話伝説時代 夏・夷・黎苗勢力図

黄帝が天下を治める前の、夏・夷・黎苗三族勢力図です。 神話伝説時代7 神農氏から黄帝へ 『中国歴代戦争史』を参考にしました。 青字は現在の地名です。

秦楚時代地図

『中国歴史地図集』を元に、秦代の地図および西楚と十八諸侯の地図を作りました。 青字は現在の地名です。 秦代 西楚十八諸侯 *どちらも拡大できます。

秦楚時代26 秦二世皇帝(十七) 二世皇帝の死 前207年(6)

今回で秦二世皇帝三年が終わります。 [十三(続き)] 以下、『秦始皇本紀』と『資治通鑑』からです。 この頃、二世皇帝がある夢を見ました。白虎が左驂馬(馬車の左の馬)に噛みついて殺してしまうという夢です。 目がさめた二世皇帝は心中不快になり、不思…

秦楚時代25 秦二世皇帝(十六) 鹿と馬 前207年(5)

今回も秦二世皇帝三年の続きです。 [十三] 秦の中丞相(宦官の趙高は禁中に出入りできたので中丞相というようです)・趙高が秦の政権を独占しようとしました。しかし群臣が従わない恐れがあるため、策を用いて試してみることにしました。 趙高は鹿を連れて二…

秦楚時代24 秦二世皇帝(十五) 章邯投降 前207年(4)

今回も秦二世皇帝三年の続きです。 [十] 『史記・高祖本紀』と『資治通鑑』からです。 夏四月、沛公・劉邦が南の潁川(潁川郡。陽翟が治所。『秦楚之際月表』では「潁川」ではなく「潁陽」)を攻めて屠しました(皆殺しにしました)。 張良(韓国の相の家系…

春秋戦国時代地図

中国地図出版社『中国歴史地図集(第一冊)』を元に春秋戦国時代の地図を作りました。 青字は現在の地名です。 春秋時代 戦国時代 戦国時代割拠図(紀元前350年頃) *全て拡大できます。

秦楚時代23 秦二世皇帝(十四) 彭越 酈食其 前207年(3)

今回も秦二世皇帝三年の続きです。 [七] 『史記・高祖本紀』と『資治通鑑』からです。 春二月、沛公・劉邦が北(『資治通鑑』では「北」。『漢書・高帝紀』では「碭から北に向かって」。『史記・高祖本紀』では「西」)の昌邑を攻撃しました。そこで彭越に遇…

三代地図

夏・商(殷)・西周三代の地図を作りました。 中国地図出版社の『中国歴史地図集(第一冊)』を参考にしています。 青字は現在の地名です。 夏王朝 商王朝 西周 西周詳細 *全て拡大できます。

秦楚時代22 秦二世皇帝(十三) 鉅鹿の戦い 前207年(2)

今回は秦二世皇帝三年十二月の続きです。 [六] 『史記・項羽本紀』と『資治通鑑』からです。 秦将・章邯が甬道を築いて河(漳水)に繋げ、王離に食糧を送りました。 甬道というのは壁や屋根に守られた道です。『資治通鑑』胡三省注によると、輸送中の食糧を…

秦楚時代21 秦二世皇帝(十二) 項羽の簒権 前207年(1)

今回から秦二世皇帝三年です。六回に分けます。 秦二世皇帝三年 前207年 甲午 [一] 『資治通鑑』からです。 冬十月、斉将・田都が田栄の指示に背き、楚を助けて趙を救いに行きました。 『史記・秦楚之際月表』によると、秦二世皇帝二年(前年)九月、項羽が…

秦楚時代20 秦二世皇帝(十一) 項梁の死 前208年(6)

今回で秦二世皇帝二年が終わります。 [十九] 『史記・項羽本紀』『高祖本紀』と『資治通鑑』からです。 楚の項羽と沛公・劉邦は定陶を攻めていましたが、攻略できなかったため西の地を攻略しながら進み、雍丘に至りました。そこで秦軍と戦って大勝し、三川守…

秦楚時代19 秦二世皇帝(十) 李斯の死 前208年(5)

秦二世皇帝二年の続きです。 [十八(続き)] この頃、盗賊がますます増えていたため、東方の群盗を討伐するために関中で絶えず士卒が徴集されていました。 右丞相・馮去疾、左丞相・李斯、将軍・馮劫が諫言して言いました「関東で群盗が並起してから、秦は兵…

秦楚時代18 秦二世皇帝(九) 趙高と李斯 前208年(4)

今回も秦二世皇帝二年の続きです。 [十五] 『資治通鑑』からです。 秋七月、大雨が三日以上続きました(大霖雨。霖雨は三日以上の雨の意味)。 『史記・秦楚之際月表』では「天が大雨を降らせ、三カ月にわたって星が見えなかった」としています。 『漢書・高…

秦楚時代17 秦二世皇帝(八) 楚懐王即位 前208年(3)

今回も秦二世皇帝二年三月の続きからです。 [十三] 『史記・項羽本紀』『高祖本紀』と『資治通鑑』からです。 広陵の人・召平が陳王・陳勝のために広陵を攻めていましたが攻略できませんでした。 『資治通鑑』胡三省注によると、召氏は西周文王の子にあたる…

秦楚時代 張良と老父

張良が劉邦と合流しました。 秦楚時代16 秦二世皇帝(七) 陳勝の死 前208年(2) 張良は始皇帝二十九年(前218年)に始皇帝暗殺を謀って失敗した人物です。 暗殺未遂事件から劉邦に出会うまでの張良について『史記・留侯(張良)世家(巻五十五)』から紹介します…

秦楚時代16 秦二世皇帝(七) 陳勝の死 前208年(2)

秦二世皇帝二年の続きです。 [七] 『資治通鑑』と『史記・陳渉世家』からです。 秦二世皇帝が長史・司馬欣と都尉・董翳を増派して章邯を援けさせました。 章邯は秦の上将として東討中です。 『資治通鑑』胡三省注によると飂叔安の裔子・董父がうまく龍を操っ…

秦楚時代15 秦二世皇帝(六) 李斯の進言 前208年(1)

今回から秦二世皇帝二年です。六回に分けます。 秦二世皇帝二年 前208年 癸巳 『史記・高祖本紀』が当時の状況を簡単に書いています。 「秦二世皇帝二年(実際は元年)、陳渉の将・周章が軍を西に進めて戲に至ったが、引き返した。燕(韓広)、趙(武臣)、…

秦楚時代14 秦二世皇帝(五) 項羽登場 前209年(5)

秦二世皇帝元年九月の続きです。 [十五] 『史記・項羽本紀』と『資治通鑑』からです。一部、『漢書・陳勝項籍伝』も参考にします。 下相の人・項梁も呉で挙兵しました。 項氏は代々楚将となり、項(地名)に封じられたため、項を氏にしました。 楚が滅亡した時…

秦楚時代 挙兵前の劉邦(2)

劉邦が挙兵するまでの事を『史記・高祖本紀』を元に紹介しています。 秦楚時代 挙兵前の劉邦(1) 高祖が亭長だった頃、竹皮の冠を被りました。求盗を薛(地名)に派遣して作った物です。高祖はしばしばこの冠を被っており、高貴になってからもよく被ったため…

秦楚時代 挙兵前の劉邦(1)

秦二世皇帝元年(前209年)、劉邦(西漢高祖)が挙兵しました。 秦楚時代13 秦二世皇帝(四) 劉邦登場 前209年(4) 『史記・高祖本紀』から挙兵前の劉邦について書きます。二回に分けます。 高祖は沛県豊邑中陽里の人で、姓は劉氏、字は季といいます。 『史記…

ちょっと休憩

いろいろ忙しい季節になってきたので、 項羽と劉邦の時代を迎えたところですが、 2、3カ月ほど休憩します。 また会う日まで。 再見。

秦楚時代13 秦二世皇帝(四) 劉邦登場 前209年(4)

秦二世皇帝元年の続きです。 [十三] 『資治通鑑』からです。 張耳と陳餘は邯鄲に入った時、周章が退却したと知りました。 また、陳王のために各地を攻略した諸将でも、多くの者が帰還してから讒毀(讒言誹謗)によって罪を得て誅殺されたと聞きました。 そこ…

秦楚時代12 秦二世皇帝(三) 章邯の反撃 前209年(3)

秦二世皇帝元年七月の続きです。 [九] 『秦始皇本紀』と『資治通鑑』からです。 当時、山東諸郡県の若者達は秦の法に苦しんでいました。そのため争って長吏(郡の守・尉や県の令・丞)を殺し、陳渉に呼応しました。それぞれの勢力が秦討伐を名目にして協力し…

秦楚時代 陳勝・呉広の蜂起

秦二世皇帝元年、陳勝と呉広が挙兵しました。 秦楚時代11 秦二世皇帝(二) 陳勝・呉広の蜂起 前209年(2) ここでは『史記・陳渉世家(巻四十八)』を主軸にし、一部『漢書・陳勝項籍伝(巻三十一)』も参考にして紹介します。 陳勝は陽城の人で字を渉といいま…

秦楚時代11 秦二世皇帝(二) 陳勝・呉広の蜂起 前209年(2)

秦二世皇帝元年の続きです。 [七] 『史記・秦始皇本紀』からです。 四月、巡行していた二世皇帝が咸陽に帰って言いました「先帝は咸陽の朝廷が小さかったから阿房宮を建造した。しかし室堂が完成する前に上(始皇帝)は崩じ、(阿房宮の建造を)中止して酈山…

秦楚時代10 秦二世皇帝(一) 粛清 前209年(1)

今回から秦二世皇帝の時代です。『史記・秦始皇本紀』『項羽本紀』『高祖本紀』と『資治通鑑』を主要な史料とします。 秦二世皇帝 秦二世皇帝は名を胡亥といい、始皇帝の少子です。『史記・高祖本紀』の注釈(索隠)によると、趙高は二世皇帝のために十七人…

秦楚時代 趙高と李斯の陰謀

秦始皇帝三十七年(前210年)、始皇帝が死にました。趙高が胡亥と李斯を陰謀に誘います。 秦楚時代8 秦始皇帝(八) 始皇帝の死 前210年(1) 以下、『史記・李斯列伝(巻八十七)』からです。 趙高は扶蘇に届けるために準備された璽書を留めて公子・胡亥にこう言…