2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

東漢時代133 和帝(十二) 南匈奴の混乱 94年(1)

今回は東漢和帝永元六年です。二回に分けます。 東漢和帝永元六年 甲午 94年 [一] 『資治通鑑』からです。 春正月、度遼将軍・皇甫稜を罷免して執金吾・朱徽を度遼将軍代行(行度遼将軍)にしました。 当時、単于(安国)と中郎将(『資治通鑑』胡三省注によ…

東漢時代132 和帝(十一) 梁王劉暢 93年(2)

今回で東漢和帝永元五年が終わります。 [十五] 『資治通鑑』からです。 耿夔が北匈奴を破ってから(和帝永元三年・91年)、鮮卑が機に乗じて転移し、北匈奴の故地を占拠しました。 『資治通鑑』胡三省注は「(鮮卑の)拓拔氏が北荒から南に遷ったのはこの時…

東漢時代131 和帝(十) 良才の選挙 93年(1)

今回は東漢和帝永元五年です。二回に分けます。 東漢和帝永元五年 癸巳 93年 [一] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月乙亥(十一日)、和帝が明堂で宗祀(祖宗の祭祀)を行い、その後、霊台に登って雲物を望みました。 天下に大赦しま…

東漢時代130 和帝(九) 鄧訓の死 92年(3)

今回で東漢和帝永元四年が終わります。 [九] 『資治通鑑』からです。 以前、竇憲が妻を娶った時、天下の郡国が慶賀して礼物を贈りました。 漢中郡も祝賀のために官吏を送ろうとしましたが、戸曹(『資治通鑑』胡三省注によると、郡には戸曹がおり、民戸、祠…

東漢時代129 和帝(八) 竇氏誅滅 92年(2)

今回は東漢和帝永元四年の続きです。 [八] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と『資治通鑑』からです。 竇氏の父子兄弟は並んで卿校になり(『資治通鑑』胡三省注によると、「卿」は「九卿」、「校」は「諸校尉」です)、朝廷に充満していました。また、穰侯・鄧疊と…

東漢時代128 和帝(七) 丁鴻の上書 92年(1)

今回は東漢和帝永元四年です。三回に分けます。 東漢和帝永元四年 壬辰 92年 [一] 『資治通鑑』からです。 春正月、大将軍・左校尉・耿夔を派遣して、北匈奴の右谷蠡王・於除鞬(前年参照)に単于の印綬を授けました。 また、南単于に対する故事(前例)と同…

東漢時代127 和帝(六) 匈奴問題 91年(2)

今回は東漢和帝永元三年の続きです。 [六] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と『資治通鑑』からです。 冬十月癸未(十二日)、和帝が長安を行幸しました。 和帝が詔を発しました「北狄(北匈奴)が破滅して名王が頻繁に降り、西域諸国が質(人質)を納めて内附した。…

東漢時代126 和帝(五) 北単于逃走 91年(1)

今回は東漢和帝永元三年です。二回に分けます。 東漢和帝永元三年 辛卯 91年 [一] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月甲子(十九日)、和帝が曹褒の新礼(章帝章和元年・87年参照)を用いて元服しました(皇帝加元服)。 『資治通鑑』…

東漢時代125 和帝(四) 月氏 90年

今回は東漢和帝永元二年です。 東漢和帝永元二年 庚寅 90年 [一] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月丁丑(二十六日)、天下に大赦しました。 [二] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と『資治通鑑』からです。 二月壬午(初二日)、日食があり…

東漢時代124 和帝(三) 竇氏の専横 89年(3)

今回で東漢和帝永元元年が終わります。 [七] 『資治通鑑』からです。 竇氏兄弟は驕慢放縦で、中でも執金吾・竇景が最も甚だしく、奴客(家奴)や緹騎(貴人に従う騎士。『資治通鑑』胡三省注によると、執金吾には二百人の緹騎がいました)も人から財貨を強奪…

東漢時代123 和帝(二) 北匈奴遠征 89年(2)

今回は東漢和帝永元元年の続きです。 [三(続き)] 以前、竇憲が門生に書を渡して尚書僕射・郅寿を訪ねさせ、私事を請託(依頼)しました。 しかし郅寿は門生を詔獄(皇帝が管理する獄)に送り、前後して上書を行いました。竇憲の驕恣を訴え、王莽の前例を引…

東漢時代122 和帝(一) 羌族帰順 89年(1)

今回から東漢和帝の時代です。 孝和皇帝 名を劉肇といいます。 以下、『後漢書・孝和孝殤帝紀』からです。 和帝は粛宗(章帝)の第四子です。実母は梁貴人ですが、竇皇后の讒言に遭って憂卒(憂死)しました。竇后が和帝を自分の子として育てます。 章帝建初…

東漢時代121 章帝(二十七) 鄧訓 88年(4)

今回で東漢章帝章和二年が終わります。 [十五(続き)] ちょうどこの頃、斉殤王・劉石(劉縯の孫。章帝章和元年・87年参照)の子に当たる都郷侯(または「郁郷侯」)・劉暢が国憂(章帝の喪)の弔問に来ました。 竇太后がしばしば劉暢を招いて接見します。 …

東漢時代120 章帝(二十六) 南単于の上書 88年(3)

今回も東漢章帝章和二年の続きです。 [十三] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と『資治通鑑』からです。 五月、京師で旱害がありました。 [十四] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』からです。 詔(恐らく皇太后の詔です)を発して長楽少府・桓郁に禁中で侍講(皇帝や太子に学…

東漢時代119 章帝(二十五) 竇憲 88年(2)

今回は東漢章帝章和二年の続きです。 [六] 『資治通鑑』からです。 南単于・宣(伊屠於閭鞮単于)が死に、単于・長(湖邪尸逐侯鞮単于)の弟・屯屠何が立ちました。これを休蘭尸逐侯鞮単于といいます(章帝元和二年・85年参照)。 [七] 『後漢書・孝和孝殤帝…

東漢時代118 章帝(二十四) 章帝の死 88年(1)

今回は東漢章帝章和二年です。四回に分けます。 東漢章帝章和二年 戊子 88年 [一] 『後漢書・粛宗孝章帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月、済南王・劉康、阜陵王・劉延、中山王・劉焉が来朝しました。 三王とも光武帝の子で、章帝の叔父に当たります。 …

東漢時代117 章帝(二十三) 莎車降伏 87年(2)

今回は東漢章帝章和元年の続きです。 [九] 『後漢書・粛宗孝章帝紀』と『資治通鑑』からです。 七月壬戌(二十七日)、瑞物が頻繁に集まったため、章帝が詔を発して章和に改元しました。 『資治通鑑』胡三省注によると、「章」は「明」と同義で、「章和」は…

東漢時代116 章帝(二十二) 焼当羌 87年(1)

今回は東漢章帝章和元年です。二回に分けます。 東漢章帝章和元年 丁亥 87年 七月に元和から章和に改元します。 [一] 『資治通鑑』からです。 博士で魯国の人・曹褒が上書して「文制を定めて漢礼を著成するべきです(漢の礼制を編成させるべきです)」と進言…

東漢時代115 章帝(二十一) 第五倫 86年(2)

今回は東漢章帝元和三年の続きです。 [五] 『後漢書・粛宗孝章帝紀』と『資治通鑑』からです。 司空・第五倫が老病のため引退を乞いました。 原文は「以老病乞身(老病のため身を乞う)」です。『資治通鑑』胡三省注によると、君主に身を委ねて仕えたら、そ…

東漢時代114 章帝(二十) 鄭弘 86年(1)

今回は東漢章帝元和三年です。二回に分けます。 東漢章帝元和三年 丙戌 86年 [一] 『後漢書・粛宗孝章帝紀』からです。 春正月乙酉、章帝が詔を発しました「人の君となる者は、父母のように民を視て、憯怛(悲痛、憐憫)の憂を持ち、忠和の教え(『粛宗孝章…

東漢時代113 章帝(十九) 匈奴対応 85年(3)

今回で東漢章帝元和二年が終わります。 [十二] 『後漢書・粛宗孝章帝紀』からです。 五月戊申、章帝が詔を発しました「最近、鳳皇、黄龍、鸞鳥が相次いで七郡に集まり(比集七郡)、あるいは一郡で再見している。白烏、神雀、甘露に及んではしばしば姿を現し…

東漢時代112 章帝(十八) 行幸と祭祀 85年(2)

今回は東漢章帝元和二年の続きです。 [八] 『後漢書・粛宗孝章帝紀』と『資治通鑑』からです。 二月乙丑(十五日)、章帝が定陶で田地を耕しました。 章帝が詔を発しました「三老は尊年(高齢)である。孝悌は淑行(品行が優れていること)である。力田は勤…

東漢時代111 章帝(十七) 四分暦 85年(1)

今回は東漢章帝元和二年です。三回に分けます。 東漢章帝元和二年 乙酉 85年 [一] 『後漢書・粛宗孝章帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月乙酉(初五日)、章帝が詔を発しました「令にはこうある『民で子を生んだ者がいたら、三年の算(人頭税)を免除す…

東漢時代110 章帝(十六) 毛義と鄭均 84年(3)

今回で東漢章帝元和元年が終わります。 [十六] 『後漢書・粛宗孝章帝紀』と『資治通鑑』からです。 十二月壬子(初一日)、章帝が詔を発しました「『書(『尚書・康誥』が元になっていますが、完全には一致しません)』はこう言っている『父に慈愛がなく、子…

東漢時代109 章帝(十五) 朱暉 孔僖 84年(2)

今回は東漢章帝元和元年の続きです。 [十二] 『後漢書・粛宗孝章帝紀』からです。 九月乙未(十二日)、東平王・劉忠が死にました。 『後漢書・光武十王列伝(巻四十二)』によると、劉忠の諡号は懐王です。子の孝王・劉敞が跡を継ぎました。 [十三] 『後漢…

東漢時代108 章帝(十四) 韋彪 84年(1)

今回は東漢章帝元和元年です。三回に分けます。 東漢章帝元和元年 甲申 84年 八月に建初九年から元和元年に改元します。 [一] 『後漢書・粛宗孝章帝紀』からです。 春正月、中山王・劉焉が来朝しました。 [二] 『後漢書・粛宗孝章帝紀』からです。 日南徼外…

東漢時代107 章帝(十三) 竇氏 83年(2)

今回は東漢章帝建初八年の続きです。 [六(続き)] 馬氏が罪を得てから、竇氏がますます貴盛(高貴旺盛)を得ました。 竇皇后の兄・竇憲が侍中・虎賁中郎将になり、弟・竇篤が黄門侍郎になり、共に宮省(宮内)に侍って賞賜が積み重ねられます。二人は賓客と交…

東漢時代106 章帝(十二) 馬氏衰退 83年(1)

今回は東漢章帝建初八年です。二回に分けます。 東漢章帝建初八年 癸未 83年 [一] 『後漢書・粛宗孝章帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月壬辰(二十九日)、東平王・劉蒼(「献王」。または「憲王」。前年参照)が死にました。 章帝が詔を発して中傅に告…

東漢時代105 章帝(十一) 巡行 82年(2)

今回は東漢章帝建初七年の続きです。 [五] 『資治通鑑』からです。 飲酎の儀式の後、有司(官員)が再び東平王・劉蒼を帰国させるように上奏しました。 章帝はやっと同意し、手詔(皇帝が自ら書いた詔)を劉蒼に下賜して言いました「骨肉の天性は誠に遠近に…

東漢時代104 章帝(十) 皇太子廃立 82年(1)

今回は東漢章帝建初七年です。二回に分けます。 東漢章帝建初七年 壬午 82年 [一] 『後漢書・粛宗孝章帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月、沛王・劉輔、済南王・劉康、東平王・劉蒼、中山王・劉焉、東海王・劉政、琅邪王・劉宇が来朝しました。 劉輔、劉…