春秋時代一

春秋時代59 東周襄王(十九) 晋文公即位 前636年(1)

今回から東周襄王十七年です。四回に分けます。 襄王十七年 叔帯元年 前636年 乙酉 [一] 春正月、秦穆公が重耳を晋に送りました。 『韓非子・十過』によると、穆公は革車(兵車)五十乗、畴騎(精鋭騎兵)二千、歩卒五万を動員して重耳を護衛したそうです。 …

春秋時代58 東周襄王(十八) 晋公子・重耳 前637年(2)

今回は東周襄王十六年の続きです。 [七] 晋恵公の死(前回)を聞いて、公子・重耳が帰国します。 今回は『春秋左氏伝(僖公二十三年)』を主な資料にして重耳の亡命生活を書きます。 重耳が蒲にいた時、晋献公が寺人(宦官)・披(勃鞮)を送って重耳を襲い…

春秋時代57 東周襄王(十七) 晋恵公の死 前637年(1)

今回から東周襄王十六年です。二回に分けます。 襄王十六年 前637年 甲申 [一] 春、斉孝公が宋を攻め、緡(閔)を包囲しました。 宋が斉の盟(東周襄王十二年、前641年)に参加しなかったことを討伐の理由とし、宋が楚に大敗(前年)した混乱を狙って攻撃し…

春秋時代56 東周襄王(十六) 泓水の戦い 前638年

今回は東周襄王十五年です。 襄王十五年 前638年 癸未 [一] 春、魯釐公が邾を攻めて須句を取り、須句の国君を帰らせました。 [二] 三月、鄭文公が楚に入朝しました。 夏、宋公(襄公)が衛侯(文公)・許男・滕子と共に鄭を攻めました。鄭が楚に従っているた…

春秋時代55 東周襄王(十五) 盂の会 前640~639年

今回は東周襄王十三年からです。 襄王十三年 前640年 辛巳 [一] 春、魯が南門を改築しました。南門は「稷門」といいましたが、釐公によって他の門よりも大きくなったため「高門」とよばれるようになりました。農時に影響を与えた工事でした。 [二] 『春秋』…

春秋時代54 東周襄王(十四) 宋襄公 前642~641年

今回は東周襄王十年からです。 襄王十一年 前642年 己卯 [一] 春正月、宋公(襄公)が曹伯(共公)や衛・邾と共に斉を攻めました。斉の太子・昭を擁立するためです。 三月、斉人は宋を恐れて前年即位した無虧(武孟)を殺しました。無虧には諡号がありません。…

春秋時代53 東周襄王(十三) 斉桓公の死 前644~643年

今回は東周襄王九年からです。 襄王九年 前644年 丁丑 [一] 春正月戊申朔、宋に五つの隕石が落ちました 同月、大風のため、六鷁(六羽の水鳥)が逆に飛んで宋都を過ぎました。 周の内史・叔興が宋を聘問した時、宋襄公がこの二事について問いました「これは何…

春秋時代52 東周襄王(十二) 斉管仲の死 前645年(4)

今回で東周襄王八年が終わります。 [十五] この年、斉の管仲が病に倒れました。 『管子』の『戒(第二十六)』と『小称(第三十二)』に桓公と管仲の会話が紹介されています。以下、二篇の内容を合わせて簡単に紹介します。 桓公が管仲を訪ねて言いました「…

春秋時代51 東周襄王(十一) 慶鄭処刑 前645年(3)

今回も東周襄王八年の続きです [十二] 十月(晋が用いる夏暦。周暦では十二月)、晋の陰飴甥(呂甥)が秦穆公に会い、王城(秦の地名)で盟を結びました。 穆公が聞きました「晋国は和しているか?」 呂甥が答えました「和していません。小人は国君が犯した…

春秋時代50 東周襄王(十) 戦後の晋と秦 前645年(2)

今回は東周襄王八年の続きです。 [十一] 韓原で秦に敗戦した晋の大夫達は髪を乱したまま営舎を片づけ、恵公に従うため秦軍の後を追いました。 秦穆公が使者を送ってこう伝えました「汝等は何を心配しているのだ。寡人(私)は晋君に従って西に行き、晋の妖夢…

春秋時代49 東周襄王(九) 韓原の戦い 前645年(1)

今回は東周襄王八年です。四回に分けます。 襄王八年 前645年 丙子 [一] 春正月、魯釐公が斉に入りました。 [二] 楚が徐国を討ちました。徐が諸夏(中原諸国)に近づいたためです。斉桓公には徐嬴という夫人がおり、斉と徐は婚姻関係にありました。 三月、斉…

春秋時代48 東周襄王(八) 泛舟の役 前648~646年

今回も東周襄王の続きです。 襄王五年 前648年 癸酉 [一] 春、諸侯が衛の楚丘に郛(外城)を築きました。狄の攻撃に備えるためです。 [二] 三月庚午、日食がありました。 「三月庚午」というのは『春秋(僖公十二年)』の記述です。恐らく「四月庚午朔」の誤…

春秋時代47 東周襄王(七) 周内史過と晋恵公 前649年

今回は東周襄王四年です。 襄王四年 前649年 壬申 [一] 孔子が編纂した史書『春秋』はこの年春に「晋が大夫・丕鄭父を殺した」と書いています。丕鄭父は丕鄭のことです。この事件は前年冬に記述しました。 『春秋左氏伝』は「春、晋が丕鄭の乱を魯に報告した…

春秋時代46 東周襄王(六) 里克と丕鄭の死 前650年

今回は東周襄王三年です。 襄王三年 辛未 前650年 [一] 春正月、魯釐公(僖公)が斉に入りました。 [二] かつて温の蘇子(温子、温蘇子。『資治通鑑外紀』によると巳姓。西周司寇・蘇忿生の後裔の邑)が王子・頽を擁立しました(東周恵王二年、前675年)。王…

春秋時代45 東周襄王(五) 斉桓公と封禅 前651年(4)

今回で東周襄王二年が終わります。 [八] 当時、周王室はますます衰え、斉・楚・秦・晋が強大になっていましたが、晋は献公の死によって混乱し、秦穆公は辺境にいたため中国(中原)の会盟に参加せず、楚成王は荊蛮の地に勢力を拡大して夷狄としての立場を自…

春秋時代44 東周襄王(四) 晋恵公即位 前651年(3)

今回も東周襄王二年の続きです。 [五(続き)] 呂甥が大夫達に言いました「国君が既に死んだが、勝手に新君を立てることはできない。久しく国君がいなければ、諸侯の謀略を招くであろうが、国外の公子を迎え入れても民心が統一しなければ乱を大きくしてしま…

春秋時代43 東周襄王(三) 晋献公の死 前651年(2)

今回は東周襄王二年の続きです。 [五] 九月甲子(晋が使っていた夏暦の九月甲子。周暦では十一月初十日)、晋献公が在位二十六年で死にました。太子・奚斉(驪姫の子)が即位することになります。 しかし晋の里克と丕鄭は公子・重耳を晋に入れようとし、三公…

春秋時代42 東周襄王(二) 葵丘の会 前651年(1)

今回は東周襄王二年です。四回に分けます。 襄王二年 前651年 庚午 [一] 春三月丁丑(十九日)、宋桓公が在位三十一年で死にました。太子・茲父(または「茲甫」)が即位します。これを襄公といいます。 『史記・宋微子世家』によると、襄公は庶兄の目夷を相…

春秋時代41 東周襄王(一) 洮の会盟 前652年

今回から東周襄王の時代です。 襄王 恵王が死んで子の鄭が立ちました。襄王といいます。 襄王元年 前652年 己巳 東周恵王は在位二十四年(前年。前653年)閏十二月に死にました。この年(前652年)は襄王元年になります。『春秋左氏伝』『帝王世紀』とも在位…

春秋時代40 東周恵王(十九) 恵王の死 前654~653年

今回で東周恵王の時代が終わります。 恵王二十三年 丁卯 前654年 [一] 春、晋献公が大夫・賈華に屈の公子・夷吾を攻撃させました。夷吾は守りきれないと判断し、屈の人々に再戦を誓って去りました。 夷吾が言いました「兄(重耳)に従って狄(翟)に行くべき…

春秋時代39 東周恵王(十八) 虢・虞滅亡 前655年(2)

今回は東周恵王二十二年の続きです。 [八] 晋献公が虢国(西虢。または黄河南にあるので南虢)を攻撃するため、再び虞国に道を借りようとしました(東周恵王十九年、前658年参照)。 虞の宮之奇が虞公を諫めて言いました「虢は虞の表(表面。外周)です。虢…

春秋時代38 東周恵王(十七) 首止の会盟 前655年(1)

今回は東周恵王二十二年です。二回に分けます。 恵王二十二年 丙寅 前655年 [一] 春正月辛亥朔、冬至(日南至)と重なりました。 魯僖公が太廟で朔(毎月初一日、宗廟に報告する儀式)を行い、宮門前の観台で雲物(雲や風、気、日、月、星)を観察しました。…

春秋時代37 東周恵王(十六) 斉桓公南征 晋太子申生の死 前656年

今回も東周恵王の時代です。 周恵王二十一年 乙丑 前656年 [一] 春正月、斉桓公が魯公(釐公)、宋公(桓公)、陳侯(宣公)、衛侯(文公)、鄭伯(文公)、許男(男爵・穆公)、曹伯(伯爵。昭公)と共に蔡を攻撃しました。 蔡は壊滅し、穆公(繆公)は斉に…

春秋時代36 東周恵王(十五) 邢・衛の再建 晋の虢攻撃 前659~657年

今回も東周恵王の時代です。 恵王十八年 壬戍 前659年 [一] 魯釐公(僖公)の元年、季友を相に任命し、汶陽(汶水北)の鄪邑を与えました。季友の子孫は季孫氏(季氏)を名乗ります。 慶父の子孫を孟孫氏(仲孫氏。孟氏)、叔牙の子孫を叔孫氏(叔氏)といい…

春秋時代35 東周恵王(十四) 晋太子申生の東山討伐 前660年(3)

今回で東周恵王十七年(前660年)が終わります。 [九] 晋献公が太子・申生に東山の皋落氏(赤狄の一種)を討伐させました。里克が諫めて言いました「太子は冢祀(宗廟の祭祀)と社稷の粢盛(穀物。社稷の祭祀)を奉じ、朝晩、国君の食事を見守るものです。だ…

春秋時代34 東周恵王(十三) 衛の滅亡と復国 前660年(2)

今回は東周恵王十七年(前660年)の続きです。 [六] 十二月、狄(赤翟)が衛国を攻撃しました。 衛懿公は淫乱奢侈だったため、百姓・大臣が帰服しませんでした。また、懿公は鶴を愛し、鶴に軒(大夫以上の乗り物)まで与えるほどでした。 狄が侵入すると甲冑…

春秋時代33 東周恵王(十二) 魯閔公殺害 前660年(1)

今回は東周恵王十七年です。三回に分けます。 恵王十七年 辛酉 前660年 [一] 春正月、斉が陽国(恐らく姫姓)の民を遷し、その地を奪いました。 [二] 虢公が犬戎と戦い渭汭(渭水が曲がる場所)で敗りました。 虢の大夫・舟之僑が「徳がないのに禄を貪ってい…

春秋時代32 東周恵王(十一) 晋の二軍 前661年

今回も東周恵王の時代です。 恵王十六年 庚申 前661年 [一] 春、狄が邢国を攻撃しました。 斉の管敬仲(管仲。敬は諡号)が桓公に言いました「戎狄は豺狼のように貪婪です。諸夏(中原諸国)とは親近な関係にあるので、無視できません。平和に慣れるのは毒と…

春秋時代31 東周恵王(十) 魯の内争 前662年

今回も東周恵王の時代です。 恵王十五年 己未 前662年 [一] 春、魯が小穀に築城しました。小穀は穀ともいい、斉の邑のようです。『春秋左氏伝』は管仲のために穀に城を築いたと書いています。斉桓公が諸侯に命じて築城に協力させたのかもしれません。 [二] …

春秋時代30 東周恵王(九) 斉桓公の山戎遠征 前665~663年

今回も東周恵王の時代です。 恵王十二年 丙辰 前665年 [一] 春、魯が延厩を新造しました。馬厩です。本来、春は馬を放ち、秋に囲むといわれていたため、春に馬厩を造るのは時節にふさわしくないとされました。 [二] 夏、鄭が許を侵しました。 許は楚に従って…