先秦 附

戦国時代 趙簡子・趙襄子に関する故事(2)

前回は『資治通鑑』から趙簡子の後継者選びに関して書きました。 戦国時代 趙簡子・趙襄子に関する故事(1) ここでは『史記・趙世家』の内容を注釈(「索隠」「正義」)を交えて紹介します。 晋頃公の時代、趙簡子が病にかかり、五日間も意識を失ったため、大…

戦国時代 趙簡子・趙襄子に関する故事(1)

『資治通鑑外紀』が趙簡子(趙鞅)と趙襄子(趙無恤)に関する故事を紹介しています。 戦国時代7 東周貞定王(二) 智氏と趙氏 前464~459年 まずは『呂氏春秋・恃君覧・驕恣(巻第二十)』からです。『説苑・君道(巻一)』にも同じ話があります。 趙簡子が鸞…

戦国時代 子貢 原憲 曾参

『資治通鑑外紀』が『史記』等を元に子貢、原憲、曾参(三人とも孔子の弟子)について書いています。 戦国時代5 東周元王(五) 宋の内争 前469年(2) ここで紹介します。 まずは『史記・仲尼弟子列伝(巻六十七)』から子貢です。 端木賜は衛人で字を子貢とい…

戦国時代 范蠡(2)

呉を滅ぼした後の范蠡について書いています。 戦国時代 范蠡(1) 今回は『史記・越王句践世家』の記述を注(「集解」「索隠」「正義」)の内容を交えて紹介します。 范蠡は南陽人とも徐人とも楚の宛三戸人ともいわれています。字は少伯です。 越王・句践に仕…

戦国時代 范蠡(1)

越が呉を滅ぼしてから、謀臣・范蠡が去りました。 戦国時代1 東周元王(一) 呉の滅亡 前475~473年 『国語』『史記』等における范蠡に関する記述をここで紹介します。 まずは『国語・越語下』からです。 呉を滅ぼした越王・句践が五湖(太湖周辺)に還ると、…

春秋時代 臥薪嘗胆

越王・句践は呉に大敗して首都を失い、呉王・夫差に臣従を誓いました。しかし句践は「臥薪嘗胆」して復讐を誓いました。 春秋時代268 東周敬王(三十七) 会稽の戦い 前494年(1) 春秋時代 会稽の戦い 『史記』の記述 「臥薪」は「薪の上に寝る」という意味です…

春秋時代 白公の乱(後)

東周敬王四十一年(前479年)に楚で起きた白公の乱に関する記述を紹介しています。 春秋時代 白公の乱(前) 今回、まずは『淮南子・人間訓』からです。 白公の乱が起きる前に屈建が石乞に言いました「白公・勝が乱を起こすだろう。」 石乞が言いました「そん…

春秋時代 白公の乱(前)

東周敬王四十一年(前479年)に楚で白公の乱が起きました。 春秋時代290 東周敬王(五十九) 白公の乱(前) 前479年(2) 春秋時代291 東周敬王(六十) 白公の乱(後) 前479年(3) 二回に分けて『国語』等の記述を紹介します。 まずは『国語・楚語下』からです。 楚…

春秋時代 黄池の会と呉の滅亡(5)

黄池の会から呉の滅亡までを書いています。 春秋時代283 東周敬王(五十二) 黄池の会 前482年 今回は『史記』からです。 まずは『呉太伯世家』です。 呉王・夫差十四年(東周敬王三十八年・前482年)春、夫差が北上して黄池で諸侯と会しました。中国(中原)…

春秋時代 黄池の会と呉の滅亡(4)

黄池の会から呉の滅亡までを書いています。 春秋時代283 東周敬王(五十二) 黄池の会 前482年 今回は『国語・越語上』からです。 越軍は呉を囿(笠沢)で破り、また没(地名)で破り、更に呉の郊外で破りました。 呉王・夫差が講和を求めて言いました「寡人の…

春秋時代 黄池の会と呉の滅亡(3)

黄池の会から呉の滅亡までを書いています。 春秋時代283 東周敬王(五十二) 黄池の会 前482年 『国語・呉語』の続きです。 越王・句践が宮内に入り、夫人に命令を出しました。越王は寝門前の屏(屏風。外と中を遮る小さい壁)を背にして立ち、夫人が屏に向い…

春秋時代 黄池の会と呉の滅亡(2)

黄池の会から呉の滅亡までを書いています。 春秋時代283 東周敬王(五十二) 黄池の会 前482年 『国語・呉語』の続きです。 呉王・夫差は黄池を退いてから、大夫・王孫苟を派遣して周王に功労を報告しました「かつて楚人が不道(無道)で王事(貢物の義務)を…

春秋時代 黄池の会と呉の滅亡(1)

黄池の会から越の反撃、呉の滅亡に関して、本編は『春秋左氏伝』の記述を元にしました。 春秋時代283 東周敬王(五十二) 黄池の会 前482年 ここでは『国語』『史記』の記述を紹介します。 まずは『国語・呉語』からです。 呉王・夫差が申胥(伍子胥)を殺して…

春秋時代 西施

越が呉に美女・西施を献上しました。 春秋時代279 東周敬王(四十八) 呉・斉の対立 前486~485年 春秋時代 呉王夫差の驕侈 西施は中国史における四大美女の一人に数えられています。しかし西施の名は『春秋左氏伝』にも『史記』にも出てきません。 戦国時代の…

西周時代 箕子の『鴻範九等』(後)

箕子による「鴻範九等」の解説の続きです。 西周時代 箕子の『鴻範九等』(前) 箕子の話が続いています。 「三徳とは、一は正直、二は剛克(剛によって勝つこと)、三曰は柔克(柔によって勝つこと)です。世が平穏安康なら正直によって治めます(または「世…

西周時代 箕子の『鴻範九等』(前)

箕子が武王に「鴻範九等」の解説をしました。 西周時代5 武王(三) 分封 『史記・宋微子世家』から注釈(主に『集解』)をふまえて紹介します。『尚書・洪範』にほぼ同じ内容があります。 殷(商)を滅ぼした西周武王が箕子を訪ねました。 武王が言いました…

春秋時代 重耳の帰国 『史記・晋世家』(後)

『史記・晋世家』から晋の公子・重耳の帰国について書いています。前回の続きです。 春秋時代 重耳の帰国 『史記・晋世家』(前) 重耳一行が曹に入りました。しかし曹共公は礼を用いず、重耳の駢脅(肋骨がつながっているという奇相)を観ようとしました(沐…

春秋時代 重耳の帰国 『史記・晋世家』(前)

東周襄王十七年(前636年)、晋の重耳が帰国しました。 春秋時代59 東周襄王(十九) 晋文公即位 前636年(1) ここでは『史記・晋世家』の記述を紹介します。 晋文公・重耳は晋献公の子です。 若い頃から士を愛し、十七歳で五人の賢士と交わりがありました。趙…

春秋時代 楚の出来事(後)

『国語』から楚の出来事を紹介しています。 春秋時代 楚の出来事(前) 『国語・楚語下』からです。 子期が平王の祭祀を行い、牛俎(祭祀で使った牛肉)を昭王に贈りました。昭王が観射父に問いました「祭祀ではどのような牲(犠牲)を用いるのだ?」 観射父が…

春秋時代 楚の出来事(前)

東周敬王十三年(前507年)に『資治通鑑外紀』が『国語』を元に楚の出来事を書いています。 春秋時代250 東周敬王(十九) 邾荘公 前508~507年 二回に分けて紹介します。 まずは『国語・楚語下』からです。 楚の大夫・王孫圉が晋に聘問しました。晋定公が宴を…

春秋時代 衛の呉朝見

衛君が呉王を朝見した時、呉王が衛君を捕えようとしました。 春秋時代282 東周敬王(五十一) 呉と魯・衛の会 前483年 『淮南子・人間訓(巻十八)』に『春秋左氏伝』とは異なる記述があるので、ここで紹介します。 呉王が衛君を捕えて海上に送ろうとしました…

春秋時代 孔子の晩年(3)

東周敬王三十六年(前484年)、孔子が魯に帰国しました。 春秋時代281 東周敬王(五十) 伍子胥の死 前484年(2) 孔子に関する故事を紹介しています。 今回は『史記・孔子世家』から孔子の教えに関して書きます。 孔子は四つの事を教えました(四教)。「文(学問…

春秋時代 孔子の晩年(2)

『資治通鑑外紀』が東周敬王三十六年(前484年)に『説苑』等から孔子に関する故事を紹介しています。 春秋時代281 東周敬王(五十) 伍子胥の死 前484年(2) 以下、列記します。 まず『説苑・敬慎(巻十)』からです。 孔子が『詩』を論じ、『正月(小雅)』の…

春秋時代 孔子の晩年(1)

東周敬王三十六年(前484年)、孔子が魯に帰国しました。 春秋時代281 東周敬王(五十) 伍子胥の死 前484年(2) その後の孔子に関して、『韓非子』『孔叢子』『史記』等の記述を紹介します。 まずは『韓非子・内儲説上七術(第三十)』からです。 魯哀公が孔子に…

春秋時代 子貢の外交

東周敬王三十六年・前484年、艾陵の戦いが始まる前に、孔子の弟子・子貢が外交家として諸国を回りました。 春秋時代280 東周敬王(四十九) 艾陵の戦い 前484年(1) ここでは『史記・仲尼弟子列伝』の記述を紹介します。 斉の田常(田恒。成子。田乞の子)は斉…

春秋時代 伍子胥の死

東周敬王三十六年(前484年)に伍子胥が殺されました。 春秋時代281 東周敬王(五十) 伍子胥の死 前484年(2) 本編は『春秋左氏伝(哀公十一年)』を元にしました。ここでは『史記』『国語』等の記述を紹介します。 まずは『史記・越王句践世家』です。 呉王・…

春秋時代 呉王夫差の驕侈

『資治通鑑外紀』は東周敬王三十五年・前485年に越王・句践が呉王・夫差に美女・西施と鄭旦を献上したと書いています。 春秋時代279 東周敬王(四十八) 呉・斉の対立 前486~485年 西施と鄭旦は『呉越春秋』に記述があります。また、『国語』等にも当時の呉の…

春秋時代 楚昭王時代の故事 石渚と貞姜

東周敬王三十一年(前489年)に楚昭王が死にました。 春秋時代275 東周敬王(四十四) 楚昭王の死 前489年(1) 『資治通鑑外紀』が楚昭王時代の故事を書いているので、ここで紹介します。 まずは『呂氏春秋・離俗覧・高義(第七)』からです。 荊(楚)昭王の時…

春秋時代 中行氏と趙鞅の故事

東周敬王三十年(前490年)に『資治通鑑外紀』が『新序』『国語』等から中行氏や趙鞅に関する故事を書いています。 春秋時代274 東周敬王(四十三) 斉景公の死 前490年 ここでまとめて紹介します。 中行寅が出奔する時の事が『新序・雑事(巻一)』に書かれて…

春秋時代 孔子の故事

東周敬王二十八年(前492年)に『資治通鑑外紀』が『説苑』等から孔子に関する記述を書いているので、ここで紹介します。 春秋時代271 東周敬王(四十) 魯の火災 前492年 但し、孔子が魯を出てからの足取りは諸説があるので、以下の故事がいつの出来事かはは…